(番外編:2002年夏・カンボジア/アンコール・ワット)

長い文章ですので、常時接続でない方は一旦接続を切られた方がよろしいかと思います。


第三日目 アンコールの奥地へ  バンテアイ・スレイ〜大回り

  悪路を往く

 今朝の目覚めは6時30分。1回目の目覚ましコールできちんと目が覚めました。
 「朝の目覚めが悪い」と公言する彼女を起こし、出発の用意を始めます。
 
 男の僕は化粧をするということもないんで、用意も早く済んで窓の外を眺めてたんですが、外は相変わらずの曇天です。
 時間が早いせいか増築工事現場にやってくる人もまだ少なく、ようやくぽつりぽつりと現れ始めた、というところです。それにしても出勤時間が早いですよね。もっとも、その分昼の休憩時間はたっぷりあるそうです。
 本館のすぐそばで、猫が歩いているのが見えました。その近くには鶏も歩き回ってますし、なぜかウサギも跳ねてます。面白い庭です。
 
 スーパーで買ってきたペットボトルの水をリュックに入れて出発です。
 朝食は昨日と同じ、離れのレストラン。昨日と同じようにウェイターとウェイトレスに出迎えられてテーブルまで案内されました。すぐ近くのテーブルでは西洋人熟年カップルが食事をしています。僕たちはクバール・スピアンに向かうから、と勢い込んで早く来たんですが、この方たちは朝が早いですね。というか、僕たちが普段から遅すぎるのかもしれませんが…。
 メニューは昨日と同じ。美味しかったので今日もオレンジジュースです。ホットコーヒーは陶器じゃなきゃダメ、ということもないんですが、あまり見慣れないためか耐熱ガラスのカップに注がれたホットコーヒーに若干の違和感を覚えます。アイスコーヒーはガラスの方が美味しそうに見えるということは、ガラスは冷たそうに見えて、陶器は熱そうに見える、ということなんでしょうかね。
 ソーサーに乗っていた粉末のクリームは、同じく横に添えられていた砂糖とともにMade in Thailandです。カンボジアはまだまだ、日用品の多くを周辺の国々、特にタイに依存しているとの事で、パッケージに入ったお菓子などもほとんどがタイ製なんだそうです。昨日買ったビスケットはマレーシア産でしたけどね。
 レストランからホテルの建物側を見ると増築現場へ通勤する人たちがパラパラと見えます。その傍らで、仔猫がじゃれあって遊んでました。そういえば、昨日の夜に入ったレストランでも足元に猫が寄り添ってきてましたね。タイに近いからといってもシャムネコではなく、日本でよく目にしそうなスタイルの猫です。同じ種かどうかは本人に聞いてないんで判らないんですが…。
 ケチャップをかけたスクランブルエッグの最後の一すくいをフォークで口に運び、食後のコーヒーを頂きます。もっとも、運ばれてきたのは最初ですから、この頃に飲むコーヒーは十分にぬるいです。頼めば食後に持ってきてくれるのかもしれません。が、未確認です (^_^;)
 
 離れのレストランから庭を通って正面玄関へ向かったんですが、ブンニーさんの車は見当たらず。ロビーで待ちます。
 それからすぐでしたね。到着したようで、表へと出ました。またもや皆さんのお見送りで出発です。
 
「おはようございます」
「では、出発しましょうか」
 というような軽い挨拶で出発です。
 今日は昨日立てた予定通り、まずクバール・スピアンへ。その後、バンテアイ・スレイに向かいます。
 
 国道6号線は朝から行き交う車も多いんですが、心なしか昨日よりもさらにバイクの数が多く感じます。でも、これは単なる気のせいじゃなくて、通勤時間帯なんで通勤の人が多いから、という理由かも知れないですね。
 ロータリーを過ぎ、右折して、昨日と同じグランドホテルを眺めつつアンコール・ワットへと向かいます。バンテアイ・スレイはシェムリアップよりも北部に位置してるんですが、このあたりへ行こうと思えば、アンコール・ワットの近くを通ることになります。
 そのために、アンコール遺跡群へ入らなくても、チケットチェックを受ける必要があります。
 で、車はチェックゲートへ。パスを購入したゲートは素通りし、チェックコーナーでパスの確認です。リアウインドウを開けてもらい、両側からそれぞれ一人ずつ確認してもらいました。
 朝一番のチェックはパンチの穴あけ。今日はパス通用二日目なんで昨日開けられた穴のそばにもう一つパンチ穴が開きました。
 
 走りはじめてすぐくらいだったでしょうか、彼女が車に備え付けのカセットデッキに、カセットテープが途中までセットされているのに気が付いたんです。
「それは、カンボジアの曲なんですか?」
 と。Yesとの返事に、「ぜひ聞いてみたい」と申し出。
 ブンニーさんがカセットテープを押し込めば、車中に軽快な曲が響き始めました。日本の歌謡曲をジャパニーズポップスというなら、カンボジアンポップスなんでしょうね。歌詞は確かにクメール語なんですが、リズムというか曲のノリは日本のものとよく似てます。
 ひょっとしたら香港とか、韓国あたりのヒット曲のクメール語カバー曲なのかも知れないですけど、こういう曲が受け入れられて流行っているということにちょっとだけ驚いちゃいました。なんていうんでしょう、あの、宮廷音楽のようなゆったりとしたリズムの曲の方がクメール人には合うのかと思ってたんですが…。もっとも、これは日本をあんまり知らない人が「日本人は雅楽のような曲を好む」と思ってるのと同じようなもんですかね。
 
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 昨日走った道から東へと逸れると、プラサット・クラヴァンやプレ・ループといった遺跡を通過します。それぞれに止まって見ていきたいところですけど、これは明日の予定ですね。
 東メボンを過ぎてアンコール遺跡群から遠ざかり始めた頃から、周りの風景がだんだんと変わってきました。
 今まで見ていた景色は、住宅というよりも商店の方が多かったんですが、このあたりからは本格的な住宅地です。でも、何かが違うんですね。今まで見ていたのは、庭があり玄関がありと、ごくごく普通の日本にあってもおかしくないものだったんですが、いきなり1階がなくなりました。いや、これでは何のことかサッパリわからないですね。判りやすくいえば、高床式の家が並んでるんです。
 数本の柱で持ち上げたような格好の住宅です。庭は、塀で区切るでもなく植え込みで判る程度のものですね。まぁ、自分の庭だからどうとか、他人の庭だからどうとかということもないんでしょう。その庭には椰子の木なんかの南国系の木々が植えられてます…というか、生えてます。
 ポツリポツリとそういう集落があり、それを抜ければ水田が続きます。雨季も終わりに近付いた9月、緑が美しい季節ですね。
 所々に立つ木は、先端部分に球状に葉を付けた砂糖ヤシという種のもので、南国というよりはステップ気候、サバナ気候に通ずる印象がありますね。
 
 演歌風の曲やらロック風の曲やら(って、ロックに風はいらないか…)のクメールソングを聞きながら軽快に走っていると、突然スピードが落ちてきたんです。
 何事かな? と思ってたら、ブンニーさんが
「タイソーって知ってますか?」
 と。何でしょう…。
 何度か繰り返した後、英語で一言二言コメントをしたところで、彼女が
「Oh! Taizou!」
 と。何でしょう…。
「ほら、あの人。一ノ瀬泰造のことよ。」
 すみません、わからないです。
 一ノ瀬泰造氏は佐賀県出身のカメラマン。1972年に民族解放軍クメール・ルージュと政府軍の戦いが激化する中、日本人のカメラマン一ノ瀬泰造氏がアンコール・ワットを目指して戦闘の最前線を突き進み、若くして命を落としたという実話があったそうです。最近『地雷を踏んだらサヨウナラ』というタイトルで映画化されたそうなんですね。このあたりがその舞台になったんでしょう。彼女から説明を聞いて
「あぁ、はいはい」
 判ってくれて安心したのか、再びそれまでのスピードに戻り、バンテアイ・スレイに向かって走り始めました。
 
 走る道中、未舗装路では昨夜の雨で水溜りが出来ていたりします。進行方向に向かって右側に水溜りがあるときは対向車さえいなければ左側を走ることもあるんですね。でも、どんなに左側の方が走りやすくても、車と対向する時は右側に寄ります。そのあたりは徹底して右側通行ですね。
 
 街中でもそうなんですが、よく見かけるのが人を満載したトラックです。荷台にあふれるほどの人を乗せて走ってるんです。僕は何となく、どこかの勤め先へ移動する、共通の目的を持った人たちかと思っていたんですが、これが交通手段としてのピックアップトラックなんですね。町から町への移動手段の一つです。料金は交渉制で、例えばシェムリアップから首都プノンペンへは荷台なら3ドル程度で行ける時もあるんだとか。
 振り落とされることはないでしょうけど、日本で走れば、即、警察に止められるんでしょうね。
 トヨタのサーフが意外と多かったですかね。道が悪いんで性能のいい日本の4輪駆動車が人気のようです。
 
 しばらく走り続け、周りの風景が、日本でいう里から山に変わったあたりで集落にさしかかりました。急に車の量が増えだしたなぁ、と思えばすぐ左手に遺跡への入口が見えてきました。これが、バンテアイ・スレイです。日本語がかかれたツアーバスも見えます。
 
 集落を過ぎれば、いきなり道が悪くなってきます。いや、半端じゃないくらいに悪いです。場所にもよるんですが、水溜りの中に道がある、というくらいの勢いで冠水していたり、トラックが残していった深い轍があったり…。
 おまけに雨がパラパラと落ちてきてます。雨季でも日中は晴れることが多い…と昨日コメントしたばっかりなのに今日は朝からの曇天で雨付きです。雨が手伝ってぬかるんだ道路は、常識的に考えればFR(前輪駆動)の普通乗用車が走るような道じゃないです。4輪駆動で当たり前、という感じですね。だからカムリには過酷だろうなぁ、と思います。
 今年の1月に富士五湖へ遊びに行ったときに走った悪路を思い出しましたね。レンタカーのヴィッツをこき使った道です。あの時にも書いた表現ですけど、今のこの道じゃとてもじゃないですけどキャバリエは走れないですね。
 両側の路側帯…というようないい物はないんで、道端という方がぴったりですかね、そこに生えている草木が茶色なんです。最初、枯かけなのかと思ってたんですが、よく見てみるとベースは緑の草や木で、それが泥を被ってたんですね。その状態の草木が延々と続いてるんです。
 日本人のごく普通のドライバー的な感覚からすれば、シェムリアップからクバール・スピアンまでは約50kmなんで、渋滞さえなければ1時間ちょっとで着くんじゃないかと思ってたんですね。確かにバンテアイ・スレイまでは1時間ほどで着いたんですけど、そこから残り10kmが遠いこと遠いこと。平均時速も10km程度なんじゃないですかね。水溜りを避けて右に曲がり、左に曲がり…。仕方なく水溜りに入れば前輪が落ち込んで車体が傾き、抜け出すためにエンジンをふかして…。こんなことを1時間近く繰り返してます。
 何度か、途中で止まって雨の中を3人で押すはめになるんじゃないかと思ったもんです。
 
 そんな体験をしたからか、急に道が良くなっているのを感じました。クバール・スピアンに到着です。
 道が整備されていたのは最後の数10mだったでしょうか…。ブンニーさん、お疲れさまです。あ、帰りもよろしくね。
 
 
  神秘の川と遺跡たち
 
 小雨の降る中、3人が駐車場に降り立ちました。周りにはちょっとしたお土産物屋があり、立派な観光名所なんですよね。でも、この道じゃぁねぇ…。
 外からカムリを見ると、タイヤとホイールはもちろんのこと、フロントフェンダーからドア、リアフェンダーにかけて茶色に変色してました。ドロドロです。
 すぐ近くに警備員風のクメール人のおじさん二人が近付いてきて、ブンニーさんと喋ってます。その会話が終わるとブンニーさんから、
「どうぞ、入口はあっちです」
 と。指差す方向には木々が途切れた怪しげな入口が口を開けてます。二人だけで行くの?
 ガイドブックには「人気(ひとけ)のない山道を歩くため信用のおける旅行会社のガイドの同行が望ましい」と書かれていて、二人とはいえ心細いというか、心許ないので、彼女が
「ガイドを付けてもらえませんか?」
 と。そしたら件の警備員と何やら話をした後、
「一人1ドルで、2ドルです」
 とのこと。承諾すると警備員が、そばの小さな小屋に声をかけたんです。そしたら小屋の中から一人の青年が駆け寄ってきました。爽やか系の顔立ちの彼は、制服というか作業着にサンダルという出で立ちで、「さぁ、行きましょう」と、気合十分です。
 見たところ17、8くらいなのかなぁ、と思うんですが、年齢不詳ですね。年齢不詳といえばブンニーさんもわからないです(笑)
 
 彼はさすがに手馴れたもの。サンダル履きなんですが、完全に僕らが置いて行かれるペースで歩いてます。
 最初はハイキングコースみたいな土の道だったんですけど、そんな平穏な区間も短く、岩の上を歩いたり、階段を登ったりと結構ハードです。それでも息を乱すこともなく、淡々と歩き続けてます。
 途中、大きな岩があり、その上で一休み。
 そうそう、そういえばいつの間にか雨も上がってますね。木々が傘の役目をしてくれているのかと思えば、そうでもなさそうです。
 
 道はますます山深くなり石の段をフーフー言いながら歩いてます。
 ところどころで木や岩に赤くペイントされたものが目に入ってくるんですが、これは「そこから山側は地雷の危険があるので入るな」という意味の標識なんです。地雷があるから注意しろ、というよりは、地雷の確認と撤去が済んでないから注意しろ、ということなんでしょうね。いずれにせよ、むやみに山側を歩けば命の保証はなさそうです。
 
 ガイドの彼は途中で立ち止まって間合いを取ってくれます。でも、僕たちが近付けば歩き出すんで、二人に休憩はナシです…。
 しばらく歩くと彼が立ち止まりました。遺跡に到着です。
 ガイドブックには駐車場から40分ほど山道を歩くとあるんですが、そんなにもかからなかったですね。結構ハイペースで歩いたのかもしれないです。
 どれどれ? とまわりを見渡せば、ありました。シェムリアップ川の源流となる流れの中に大きな岩があり、そこに彫刻が施されているんです。聖なる牛「ナンディン」やヴィシュヌ神、シヴァ神などヒンドゥー教の神々が刻まれています。
 雨季だからか、乾季もそうなのか、結構早い流れの中にある岩だけに、どうやって彫ったのかに非常に興味が湧くところです。その手前にはたくさんのリンガがあるはずなんですが、川の流れに隠されてるんだそうです。
 
顔を出すガイドくん
 少し移動して、川の流れに洗われていたのがブラフマー神。ちゃんと四面の顔がありますね…。注)裏面の顔は見えません。
 このブラフマー神が最も上流に位置するようで、写真を撮り終わったのを確認すると、今度は下流に案内されました。
 川の流れの上に大きな岩があり、こっちへ来るようにという仕草をされたんでついて行ってみると、岩に大きな穴がポッカリと開いてるんです。川面に向かって開いている縦穴ですね。人が優に入れそうな大きな穴です。下には当然のように激しく水が流れてます。
 じゃぁ行くよ、ってな感じで彼がその穴の中に足を突っ込んだんですね。僕も彼女も「おいおいおい」と思いながらも成り行きを見てたんですが、両足を入れて身体を入れて頭まで入ると、岩の下に隠れちゃったんです。思わず、流されたんじゃないかと下流の方を見に行ったんですが、こっちの方に出てくる様子も無し。まぁ、引田天功じゃないんだしなぁ、とは思いながらも「出てきたら面白いかも」と思ったのも確かです。
 実際には、少しの間を開けて、再び同じ穴から顔を出したんですが、穴に収まっているところを彼女がカメラでパチリ。それにも慣れてるんでしょうね、左手はピースサインです。…手を離しても危なくないの?
 出てきた彼が、手で「どうぞ」と招待してくれたんですが「No! no, no」と。こんなところで命を落としたくはないです(^_^;)
 
 川のあちこちに神々が彫られているという感じで、いろいろと案内してくれました。川の底にも彫刻はあるようなんですが、流れの激しい濁った水の中ですから見れなかったのも少なからずありますね。
 川幅がやや狭くなったところで対岸に渡ります。細い丸太状の橋です。橋って言うんですかね、これでも。彼が先頭に立ち、先に対岸に立って手を掴んでくれました。対岸の足場が悪くバランスを失いかけたんですが、なんとか立ち直してると、後ろで「あっ」という声が…。彼が手を掴んで誘導するも、バランスを崩して、彼女の片足が川の中に浸かってたんです。スニーカーと靴下とジーンズの裾は浸水したようですが、カンボジアの気候ですからすぐ乾くでしょう。って、冷たい男ですね… (-_-;)
 この時、ガイドの彼もズボンの裾をまくって川の中に入ってたんですが、それがとても気持ち良さそうに見えたんです。僕もサンダルなら間違いなく入ってたでしょうね。
 
 この対岸にはナンディンに乗るシヴァ神が彫られていたり、たくさんのリンガがあったりします。でも、こっちに渡って改めて思いましたね。彼女も同じ事を考えていたようなんですが、「なぜ、ここなんだろう」と。誰も入って来ないような密林の中ですからね。こんな山奥に聖地を作った当時の人々はさぞ大変だったことだろうと思います。
 
 少し歩いて滝に出ました。高さもそこそこある立派な滝で、近寄れば水飛沫がかかります。それがまた、気持ちいいんです。彼は太もも辺りまでズボンを捲り上げて川の中で涼んでます。しばらく休んでると、階段を下りて日本人の女の子がガイドと共に二人で下りてきました。僕よりも若いんでしょうが、一人でカンボジア旅行なんですね。頑張ってますよね、このお姉さん。
 写真を撮り終えた姉さんが先に上がってったんで、僕たちもそろそろ移動しましょうか。
 帰り道はさっきの姉さんの組と一緒に下りました。途中で蛇のように他の木に絡み付いて育っている木を見るために寄り道したり、休憩したり。でも帰りも40分はかからなかったと思いますね。
 
 駐車場に戻ってきたところで、彼にガイド料に若干のチップを上乗せして支払いました。どうもご苦労様でした。
 
 
  東洋のモナリザ
 
 帰りも当然同じ道です。ですから、右に左に振られながらガクガクガクと進みます。
 たまにバイタクとすれ違ったりするんですが、西洋人のツーリスト達はこんな道でもバイタクでやってくるんですね。いや、滝で見かけた女の子もバイタクで帰っていったようなんで、僕たちが贅沢だってことなんでしょうか。この道をバイクで走るのはかなりきついはずです。こういう道をバイタクで走っている姿を見ると、勇敢に見えますよね。
 
 ガクンガクンと走ってると、たまにゴツンという音が下から聞こえて来たりします。とにかく道が悪いですからね。
 そのうちにシュルシュルというか何というか、異音が聞こえてきたんです。
 道の端に寄って止まるやブンニーさんが車を降りちゃったんです。何事かと静観していたんですが、車を一周してチェックをするだけで何も言わずに再び発進です。異音は相変わらずなんで、街に戻らなきゃ直らない、ってことなんでしょうか。ちょっと気になるところではあります。
 
 ガタピシと走ること数十分、目の前にはツアーのマイクロバスが目に入ってきました。バンテアイ・スレイに到着のようです。
 最もよく目にするツアーバスはアイボリーとローズピンクに塗り分けた「JHCアンコールツアー」と大書きされたものです。この、いかにも「クメール人が手本を見ながら書きました」というようなカタカナがいい味を出してます。
 そんなことはともかく、入口近くでドアを開けてもらい降りました。この辺りで待ってます、とのことですのでさっそく行きましょうか。
 でも、その前に…。
 彼女がお手洗いに行くというので一緒に行くと、トイレの前に小さな男の子が立ってました。トイレ番(?)なんですね。入ろうとすると
「10バーツ」
 と。
「バーツ?」
 と聞き返せば、
「1000リエル」
 一人500リエルとのことだったんで500リエルを払い、僕は外で待ちます。彼女が出てくるまで、この少年とちょっとだけおしゃべりをしてました。英語のレベルで言うとこの少年の方がよっぽど上なんで情けないところですけど、適当に返事をしてたんですね。そしたら、年齢を聞かれたんで
「30歳」
 って答えたら、この少年、
「Oh, I'm sorry.」
「…」 いや、別に誤る必要はないじゃん… (^_^;)
 
 彼女が戻ってきたところで東門から一緒に入ります。チケットチェックを受けて中に入ればまっすぐに100mほどの参道が伸びています。この参道は赤っぽいラテライトという石で出来ていて、中央祠堂まで赤絨毯が敷かれているように見えるという表現も大袈裟ではないような感じがします。
 奥に見える第一周壁の周りには木々が生い茂り、バイヨンやアンコール・ワットで見た「遺跡」とはまた違う雰囲気なんですね。「山の中に密かに存在する遺跡」という雰囲気が十分に感じられます。
 それにしても…。
 観光客ばっかりです。そのうちの8割くらいが日本人ですかね。おかげで得もしましたけどね。ポイントポイントで日本語でガイドの説明が聞けましたから… (^_^;)
 
 第一周壁の門をくぐれば両側に環濠が広がり、その奥に周壁に囲まれたいくつもの塔が見えてきました。周りの木々の多さが東南アジアの寺院っぽさを醸し出してます。
 ちょっと寄り道をして第一周壁の内側を少しだけ歩いて見ます。ここからだと、環濠を挟んで全体を見渡すことができるんです。環濠の水面には所々にハスの葉が群集を作っていて、その中ほどからハスの花が顔を出しています。彼女も僕も、ハスの花とバンテアイ・スレイというテーマで両方を意識した写真を撮ろうと頑張ってたんですけど、ちょっと無理がありましたね。大きさが違いすぎます。結局、当たり障りのない風景写真を撮って第二周壁の門へと近付きました。
 
 この門をくぐればいよいよバンテアイ・スレイで最も見てみたかったデバダー像に出会えます。このデバダーこそが「東洋のモナリザ」と謳われる美しい像なんですね。
 ただ、判ってはいたことなんですが、中央祠堂付近には遺跡保護のためにロープがかかっていて、近くに寄る事が出来ないんです。彼女の一眼レフカメラの望遠をもってしてもアップの写真を撮ることが出来ずに残念です。高倍率の望遠レンズもセットで買っていたんですが、用途が限られることもあって今回の旅行には持ってきてないんですね。それをちょっと悔やんでました。
「はい、これ」
 と言って彼女から手渡されたのが、折り畳み式のオペラグラス。なかなか準備がいいですよね。でも、コンパクトな分だけアップ率はそれに反比例するようで、モナリザのアップを堪能できるところまではいかなかったんです。とはいえ大きな双眼鏡を持ってくるとなるとそれまた大事なんで悩むところです。
 モナリザまではちょっと遠かったんで、オペラグラスでその他のデバダーやナラシンハを覗いて遊んでました。ナラシンハとは半人半獅子の守り神で、頭が獅子です。そういえば、マーメイドやケンタウロスなどの西洋生まれのものは顔が人間なのにナラシンハとかガルーダとかは胴体が人間なんですよね。こんなところにも東西による違いってのがあるんでしょうか。
 でも、首のないナラシンハ像もあるんですよね。これだとナラシンハなのか人間なのかわかんないんですけど…。
 
 敷地内をくるっとまわってみます。
 このバンテアイ・スレイはヒンドゥーの神話が様々な形でレリーフとして残されているんです。他の多くの遺跡と異なり、彫刻が赤色の砂岩で造られているので美しさも違って見えるんですね。デバダー像一つをとってみてもアンコール・ワットで見られるものよりも彫りが深く、くっきりと美しいんです。
 使用している材質が違うこともあるんでしょうが、他の遺跡群とは「何か違う」と思うんですね。時代が違うのか、宗教が違うのか。僕の場合はそんな高尚なことではなく、「何かが違う」というインスピレーションのレベルなんですが…。
 ちなみにこの寺院が建設されたのが967年と言われているので、アンコール・ワットやアンコール・トムなどより200年ほど早いんですよね。そして、ここはレリーフからも判る通りヒンドゥー教の寺院で、シヴァ神とヴィシュヌ神が奉られているんだそうです。
 
遺跡の額縁に溶け込む
 西側にある門の上部にはスグリーヴァとヴァーリンが彫られています。二人ともラーマーヤナに登場する猿なんですが、見た目にもユーモラスで可愛いんです。でも、やってることは結構激しいんですよね。喧嘩をしてるんです。
 後ろの方から日本語のガイドさんの声が聞こえてきました。
「愛の神様カーマがシヴァ神に矢を射ってるところですね。愛のキューピッドです」
 これに女子大生か新人OLくらいの女の子たちがキャーキャー反応してます。若いですねぇ…(笑)
 しかも、写真を撮ってるんですけど、カメラが携帯電話なんです。これには、「単に若い」だけではなく、時代を感じてしまいましたね。画像を送るだけのカメラ、じゃなくて記録するためのカメラとしても使われるんですね。まぁ、画素数を考えれば厳しいものがありそうですが。
 携帯電話といえば、意外にもカンボジアでも大活躍です。携帯電話の普及率は結構高いようで、観光地でもあちこちで携帯電話を手に会話しているクメール人の若者を目にしましたね。
 ちなみに、電話の第一声は「アロー」です。仏文化の影響大です。
 
 デバダーを眺めながら一周して東側へと戻ってきました。再び小雨がぱらつきだしています。なんか今日はあんまり天気がよろしくないですね。でも、雨季ですからね。仕方がないんでしょうか。
 ここでクバール・スピアンで遭遇した女の子を見つけました。といっても、声をかけるわけでもなく、ただ「いた」というだけの話です。あっ、でもこれは僕が意識して探したんじゃないですからね。彼女が、「ほらほら」というので気付いたんですから。そのあたり、誤解のございませんように…。
 
 正規の門ではなく、大人一人が簡単に出入できそうな窓枠があるんです。そこが遠目に額縁のようにも見えるんで、格好の撮影スポットになってます。遺跡の中に佇んでいると、自分自身が歴史の中に溶け込んだようで不思議な感覚にとらわれます。もっとも、順番待ちをして撮影して、次の人のために場所を空けなきゃならん、というような状況では、なかなかタイムトリップも難しいですけどね。
 第二周壁の内側に戻り、環濠の近くに大き目の石が積み上げられているのが見えました。崩壊した遺跡の一部なんでしょうね。こういうのを見ると修復工事の大事さを感じます。
 
 どの門だったでしょうか、サンスクリット文字の碑文があったんです。サンスクリットといえば遥か昔の話のようですが、この文字も現在のクメール文字の源流ということですから、歴史は脈々と流れているということでしょうね。そういえば漢字だってそうですよね。古代の中国の遺跡から発見された文字は現在の漢字の元になってるわけですし、日本語のひらがな、カタカナも漢字を崩した字ですから、歴史を感じます。
 ちなみに、失礼ながらタイ王国はカンボジア王国よりも政治や文化、工業面などで先を行ってるのが実情だと思うんですが、現在のタイ文字はクメール文字を借用したものなんだそうです。このあたりがインドシナ半島の文明の中心地だったって事なんでしょうね。歴史とは面白いものです。
 
 歴史を噛みしめながら、ラテライトの赤茶色に染まった石を踏みしめ、門を出ました。
 
 
  遺跡を巡る
 
 出口を出ると、バイタクの兄ちゃんたちに声をかけられました。バイタクだけではなく、土産物、飲み物を売る子供たちからも声がかかります。それらに断りつつブンニーさんを探してるんですが、少しして、離れた場所からカムリがやって来ました。
 クーラーの効いた車に乗り込み、シェムリアップの街に向かいます。
 …で、次はどこへ行くの?
 
 時刻はまだお昼前で、帰るにはまだまだ早すぎます。ひょっとしたら説明があったのかもしれないんですが、僕は何も知らずに車に揺られてました。彼女は…当然知ってたんでしょうね (^_^;)
 
 かなりの時間揺られ続けた後、途中でまたまた右に寄って車が止まりました。車道の端には少年が立ってます。ブンニーさんが一言二言少年に声をかけると、機械から伸びるホースを手にしてタイヤの横にしゃがみこみました。それからコンプレッサーが動き出します。タイヤの空気圧の調整ですね。メーターを見ながら適当なところで止め、最後にブンニーさんから紙幣を受け取りました。いくらだったのかは判りませんが、こういう道端で「待つ」商売が結構多いんですよね。
 飲料水、ジュースなどを積んだワゴンを道端に止めて、車が止まってくれるのを待つ、という商売も結構あるんです。
 その中にあって、よく目にしたワゴンが色とりどりの一升瓶を並べたものです。色からすれば、かき氷屋のシロップのようなんですが、肝心の氷が見当たらないんですね。コップ売りするジュース屋かな? とも思ったりしたんですが、結論は出ず。これが何屋か判ったのは4日後のことでした。
 
 バンテアイ・スレイから走ること数十分、とある遺跡の前で停車しました。
「プレ・ループです」
 と。このあたりの遺跡は観光3日目、つまり明日に予定していたんですが、繰り上げたということなんでしょうかね。僕たち二人の観光時間があまりにも長すぎるんで明日1日では回りきれない、と察知して1.5日に延ばしてくれたのかも知れないです… (^^ゞ
 
 プレ・ループはヒンドゥーの寺院で、全体がピラミッド状になっています。
 石段を上り、中央祠堂に近付きます。上がってきて右手には石槽があり、ここで死者を荼毘に付したんだそうです。妙にリアルな感じを受けたんですが、これでこそ宗教の建物、「寺」ということなんでしょうかね。現世と霊界をつなぐ場所なのかもしれないです。プレ・ループという名も「身体を変化させる」という意味があり、火葬の儀式に由来しているんだとか。
 ハッキリとはわからなかったんですが、火葬の後で灰を流したところというのもあったんだそうです。
 
 ここで、フランス人の観光客を見かけました。確か、バンテアイ・スレイでも見かけたはず。お姉さんというのか、ご婦人というのか、短パン姿だったんで覚えてるんです…っていうと、変な誤解をされそうですけどね。
 その女性が降りてきた階段を逆に上れば中央祠堂へと近づきます。中央祠堂の周りに4基の祠堂があるんですが、その東西南北に面した全ての面に扉が設けられています。とはいえ、開いているのは全てが東側の扉。他の扉は閉じています。というか、閉ざされています。作成されてから一度たりとも開けられたことのない扉、そうなんです。この東向き以外の扉は全て、扉のように見せかけられた壁、「偽扉」なんです。なぜ、開けられることのない扉の存在が必要かという宗教的な意味はわかりませんが、偽扉はプレ・ループだけでなく、アンコール遺跡群のいたるところで見られます。
 
 中央祠堂のある段は眺めがとてもよく、付近が一望できます。もっとも、見えるのは一面に広がる緑一色なんですけどね。
 
 正面に戻り、車に乗ります。
 左手に遺跡を見ながら走りすぎます。これが東メボンですね。バンテアイ・スレイからプレ・ループに向かった時とは逆方向になります。つまり、ちょっと「戻ってる」んですね。この近くにある交差点を北へ向かえば大回りコースの続き、右へ向かえば郊外となるようです。でも、その東メボンへは今日は寄らないようです。で、向かっている先がどこなんだか相変わらず判りません…。
 大回りコース・小回りコースというのは、アンコール遺跡観光の定番的な名称のようなんですが、はっきりと、どこの遺跡・どこの寺院が大回りでどこが小回りか、という線引きは知らないんです。多分、今向かってるのが大回りに属してるんだろうなぁ、っていうくらいのもんですね。
 
 ほどなく到着したのが、タ・ソムという遺跡です。
 ここは、もともと僧院だったという仏教寺院ですね。もっとも、ヒンドゥーだからどうとか仏教だからどうなんだとか言われても、あんまり判らないです。理解しておいた方がアンコール遺跡群を観光するのにいいんでしょうが、知識がなくても歴史を感じることは十分に出来ます。
 車を降りた側に近いのが西塔門なんですが、これは同じく仏教寺院であるバイヨンの南大門と同じように、頂に四面仏を冠しています。南大門よりは小振りですが、ゴツゴツした質感は同じように味わえ、いい感じです。
 西塔門をくぐれば真正面に、石を積み重ねた要塞が見えます。これが西門です。要塞というよりは子供が海岸に作った砂のお城という方が近いかもしれないですね。アンコール・ワットやバイヨンのように、石の積み重ねが横に真っ直ぐではなく、段差があるんです。ガタガタです。よく見れば積んであっただろうと思われる石が抜けていたり、欠けて無くなっていたり。これが自然の力なんですね。ジャヤヴァルマン七世がこれを建てたのが12世紀の末。それからおよそ800年の歳月が流れているわけです。崩壊が始まっていても不思議ではないです。
 
静かに想うデバダー
 この門の近くには美しいデバダーがいるとのことで、ちょっと探してみました。
 いました、いました。髪の長いデバダーで、垂れ下がる髪を自身の右手で押さえているというポーズです。でもまぁ、何が「美しい」かは時代の変遷によって移り変わる、ってことでしょうかね。美しいといえば美しいんでしょうが、現代日本にこの顔の女性がいても「…」って感じです。フェイスもボディもふくよかなのに目がきつく見えるからでしょうかね。
 僕はむしろ、ガイドブックお勧めのこのデバダーよりも、別のデバダーに「美」を感じました。こちらの美しさに彼女もカメラを構えてました。デバダーの話題のついでに…。ここには、もう一人美しいといわれるデバダーがいます。こちらも長い髪で、その長い髪を梳かしているスタイルは独特の感じを受けました。顔ですか? ちょうど顔の辺りに石の継ぎ目があって原型は想像するしか…、としておきましょう(^_^;)
 
 全体的に今にも崩れ落ちそうな雰囲気の漂う遺跡ですが、その中にあって最も悲惨さを感じられるのは東塔門ではないでしょうか。こちらも西塔門と対になるべく、四面仏を冠してるんですがその仏を隠すかのように木が覆い尽くしてるんです。硬い石の上に降り注ぐ溶けたロウソクの蝋のように見えるんですが、もちろん覆いつくす木は硬いものです。数百年という歳月が作り上げた現場なんですよね。
 巨大な石をも動かす植物の力に感服です。
 
 遺跡を守るためにこれらの木を打ち払うのがいいのか、自然の驚異を保存し続けるのがいいのか。「歴史を保存する」とはどういうことなんだろう、と考えながらタ・ソムを後にしました。
 
 
 待ってくれていたカムリに乗り込み、少しばかり揺られます。
 T字路を曲がり車が止まりました。
 目の前は簡易食堂です。というか「屋台」ですね。プラスチック製のテーブルとイスが何セットか並んでます。良く言えばオープンカフェみたいですが、やっぱりこれは屋台ですね。
 ブンニーさん曰く、ここでランチを食べてください、と。ビニール製のテーブルクロスがかかったテーブルに腰掛けているとお店の女性がメニューを持ってきてくれました。日本語は書かれていないものの、英語で十分に判ります。で、僕が頼んだのがヌードルスープ、彼女が頼んだのがフライドライスです。それぞれのメニューが1ドルとか、2ドルとか、そんなもんなんですね。飲み物もジュースで1ドル前後です。
 
 食事が来る前に運ばれてきたのがお箸とスプーン。それらがコップに立てられてるんですね。しかもコップの中には熱いお湯が入ってます。口につける側がお湯に浸かってますから、「消毒しましたよ」という意味なんでしょうね。このスタイルは他の多くの店でも見られました。
 
 運ばれてくるのを待ちつつキョロキョロしてると、小さな女の子が近づいてきました。
 開口一番
「コレ、ニホン(二本)イチドル」
 手には細長いケースを持ってます。ケースの中からは縦笛が出てきました。彼女と顔を見合わせ、正直「またかい」という気分になったんですが、可愛い女の子だったんで追い払うでもなく聞き流します。彼女は優しく「要らない」と返すんですが、女の子はなおも続けてきます。
「コレ、オンコー・ウォアット」
 笛にはアンコール・ワットのシルエットが描かれてます。やっぱり「要らない」と返すと
「コレ、フラワー」
 さっきと同じ笛なんですが、絵が花模様です。なおも「要らない」と繰り返すと筒から笛を取り出してピョーッと吹き出しました。仕草は可愛いんですけどね。買い出すと収拾が付かなくなるんで「要らない」を通しました。他にもブレスレットなんかを持ち出してきたんですが、どんなに頑張っても買ってくれないんでどっかへ行っちゃいました。
 
 代わりにやって来たのがお食事です。フライドライスがピラフ、ヌードルスープがラーメンって感じでしょうか。屋台だから多くは望まないんですがヌードルの縮れ具合がいかにもインスタント麺で、面白いなぁ、と思ったもんです。
 でも、食べてみればスープは美味しいんです。だからヌードル「スープ」なんでしょうね。ラー「メン」ってメインが麺じゃないですか。って、そんな単純な話なんでしょうかね (^_^)
 フライドライスの味付けも日本人に合っているのかとても美味しかったです。
 
 食堂に面した道を、椰子の実を大量にぶら下げたバイクが走ってきました。すぐ目の前に止まると、運転していたおじさんはスタンドを立て、お店のお姉さんと喋り始めたんです。おじさんのちょっと甲高いクメール語は妙に抑揚が付いていて、話が盛り上がっていることを感じさせます。会話の内容はサッパリ判りませんけどね。
 勝手に想像するに
「○○ちゃん、聞いてぇなぁ。今日、これ持って来んの、めっちゃ大変やったんやから」
「そうなの?」
「そうそう。こんだけぶら下げてるからハンドルは取られるし、観光客からもジロジロ見られるし。自転車の曲乗りとちゃう、っちゅうの」
「ふふふ。じゃぁ、三つ頂くわ」
「そんなぁ。あんたのためにこんだけ持って来たんやさかい、もうちょっと買うてぇなぁ」
「仕方ないわね。じゃぁ、五つ」
 バイクにぶら下げてあった椰子の実を下ろし始めたんで、内容はこんな感じじゃないですか。って果てしなく空想の世界ですけどね。え?大阪弁が判らないですか? (^_^;)
 
 ブンニーさんはお店の片隅にあるハンモックでお休み中。ラジオからはクメール語の会話や曲が流れています。
 さっきの椰子の実おじさんが奥で休憩をしてるんですが、そのココナッツがどうも気になり、一つ注文しました。お店の姉さんは、冷水で冷やしてあった椰子の実を一つ取り出してきて、斧と言うのか、なたと言うのか恐ろしい刃の付いた刃物で実の上っ側を切り落とし、ストローをさして持ってきてくれました。
 ココナッツジュースというのは、実は初めての経験なんですね。今まで行った沖縄でもグァムでも、ハワイでも飲まなかったんです。加工品はあったかもしれませんが…。切り落とした実にストローをさして飲むココナッツはとてもいいですね。でも、あんなにジュースがたっぷりと入っているとは知りませんでした。糖分もほどほどで、クセになりそうです。
 あまりの水分の多さにお腹をタポタポ言わせながらおいしかった食事も終わりました。
 
 と、ブンニーさんを見ればハンモックから降りて、近くのテーブルでお食事中。あれ? まだ移動しないの? と思っているところへ、右側を指差し
「ニャック・ポアンがあるんで、観光してきてください」
 と。
 僕はまったく気づいてなかったんですが、この屋台はニャック・ポアンの真ん前だったんです。
 
 で、二人で遺跡へ。
 チェックポイントでチケットのチェックを受け、池の畔に立ちました。
 このニャック・ポアンは真ん中に四角い「中央池」があり、その東西南北に中央池の1/4程度の小池が並んでます。中央池の中心には中央祠堂があります。ガイドブックには中央祠堂にも近づけそうに書かれてるんですが、中央祠堂へ行く石段も水の中です。というか、ガイドブックの写真を見る限り水があるようには見えないんですね。…あぁ、今は雨季だからなんですね。これって。
 中央池の淵の石段の上に腰を下ろして、向き合いながらボードゲームに興じる西洋人が居ました。チェスだったような気もします。イギリス人だったんですかね。ってあまりにも安直ですか? (^^ゞ
 他にも観光というよりは、散歩をしている感じの人も居たりと、暑過ぎない昼下がりを思い思いに楽しんでいるというような感じです。
 中央池からパシャパシャという水をはじく音が聞こえてきたんで、何かと見れば、おじいさんが水浴びをしてました。体を清めているのか、単なる行水かは判りませんが…。心地よい昼下がりです。
 
 入り口近くの小池から時計と反対周りに歩きます。それぞれの池には「牛の頭部」「ライオンの頭部」「人の頭部」「象の頭部」があるように書かれてるんですが、牛の頭部を見つけることなく、その場を過ぎちゃったんです。
 どこにあるんだろう?と思いながらライオンがあるはずの南側の小池に近づいたんですがやっぱりなし。
「ちょっと、小池の方へ降りてみない?」
 との提案で下へ降りてみると、祠のような石の建造物がありました。口は小池側にだけ開いていて、中央池の淵を歩いていて気付かなかったのも当然といえば当然のことだったんです。その祠の中には獅子の頭がありました。大きく口を開けたライオンです。小池に向かって開いていたわけは、この口を通して中央池からの水が流れ出るような仕掛けがしてあるからだそうなんです。
 ライオンの口から水かぁ…。思わず豪華に見せようと頑張っている成金っぽい温泉を想像してしまいましたね。金色のライオンの口から温泉が噴出してる、ってやつです。多分、関係はないんでしょうけどね。
 実際には水は流れておらず、口の中を覗いてみても本当につながっているのかどうかはわかりませんでした。
 
 東側の小池に移動します。ここには人の頭があります。東西南北のそれぞれの池に中央池から水を流していたわけですから、当然この人の頭からも水が流れていたわけです。でもって、獅子と同じように大きな口を開けてます。やっぱりここで写真を撮るならこのポーズしかないでしょう、と、この顔の横で口を大きく開けて並んで取ることを提案。で、どっちが? ということになったんですが、口を大きく開けるなら僕よりも彼女の方が絵になるんじゃない? と訳のわからない言い逃れを考えて彼女が被写体に。
 不思議な写真が出来上がりました。
 でも、この頭はオブジェじゃなくて、信仰の対象ですからね。足元にはお線香がまつられてました (^_^;)
 
 入り口近くの北側の小池には象の頭部があります。こうなるとやっぱり西には牛の頭部があったんだろうなぁ、と思いますが、再訪はせずにもと来た道を引き返し始めました。
 
 
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 屋台に戻り、カムリに乗ります。
 次に向かうはプリア・カンです。プリア・カンとは「聖なる剣」という意味を持つ遺跡で、1191年にジャヤヴァルマン七世によって建てられた寺だそうです。1191年といえば鎌倉幕府が開かれる前年ですよね。その頃、ここクメールではチャンパ軍との戦いがあり、その戦いに勝ったことを記念して建てられたんだそうです。
 車を降りた場所から参道を歩いてると、ある親子に出会いました。
 有名人でも何でもありません。鶏と数羽のヒヨコです。あまりに可愛かったんで写真に収めました。カンボジアに来て野放しされてるニワトリは何羽も見てきましたけど、親子では初めてですね。
 
 参道には日本寺院の参道で目にする灯籠の列のように、リンガを模した彫刻が並んでました。蝋燭が入るスペースでもあればまさに灯籠ですね。砂岩彫刻の列を抜ければ第一周壁にあたり、その壁をくぐれば第二周壁が見えてきます。ただ、ここも他でそうであったように崩壊が進んでいて、一部の石が崩れ落ちてます。その崩れた石の向こうにデバダーが微笑んでいたりするのは、間違いなくアンコール遺跡であることを物語ってますね。
 奥に進めば進むほど、どこを歩いているのかわからなくなってきました。それほど回廊が入り組んでいるんです。行けども行けども中央祠堂に近づいていないような気もするんですが、実際に回廊が入り組んでいることに加えて、危険のために回廊の一部が通行止めになっていたりするのも原因なんでしょうね。
 
 ようやくたどり着いた中央祠堂の真ん中にはストゥーパがあります。見上げるほどの大きさがありました。
 中央祠堂からさらに進めばメインテラスへと出てきます。なぜかここで、待ち構えていたかのように
「オ兄サン、フィルム安イヨ」
 と。バイヨンやアンコール・ワットとかのメジャーなところでは遺跡内の物品販売は規制されてるらしいんですが、ここでは放免なんですかね。
 
 入口から最も離れた場所、そこが東正面大門です。今の観光ルートでは西側から入って来ることになるんですが、この名前が示す通り、こちらの東側が正面です。
 門のそばに有った遺跡に絡みつく大木を写真に収めたりしながら歩きます。
 東から西へと戻るんですが、今度はやや北寄りを歩いてみます。
 ここには珍しい建物があるんです。円柱の柱に支えられた、一見二階建てに見える建物です。柱の形状といい、風化の具合といい、ギリシャの神殿を思わせます。実際にギリシアを意識したのかどうかはわかりませんが、これが建てられる数百年前にはすでにローマ帝国との海洋貿易も盛んに行われていたというんですから、驚きです。
 この神殿のような造りの建物は他のアンコール遺跡群では目にしなかったので、非常に珍しいようですね。
 
 テラスの上で、他のお客さん相手にフィルムを売り続けるおばさんをかわして迷宮のような回廊に戻ります。
 もう一度、敬意を表してストゥーパの前を通り、プリア・カンの遺跡から出てきました。
 
 参道を引き返すと先ほどのニワトリ親子の姿は見えませんでした。その辺りが野放しっぽくていいですよね。
 参道の末端には何人かの物売りの少年少女と、僕たちの帰りを待っていたブンニーさんの姿がありました。
 
 
  カンボジアを食べる
 
 今日の観光はこれにておしまい。ホテルへと戻ります。彼女はちらっとプノン・バケンでの夕日のことを聞いたらしいんですが、ブンニーさん曰くは、今日も夕日を期待できないとのこと。雨季ですからね。
 プリア・カンからは北大門をくぐってアンコール・トムの中を走り、バイヨンを囲む周回道路を半周して南大門をくぐりました。プノン・バケンを過ぎるときに「ここがプノン・バケンです」と言ってくれたんですが、夕日が見えなければ面白さは欠けますよね。晴れている日に来てみたいもんです。
 
 アンコール・ワットの正面を通り過ぎ、やや道の悪い区間に入りました。でも、そういえば気になる音はいつの間にかしなくなってましたね。僕たちが観光に行ってる間に修理をしてくれていたのかもしれないです。
 
 左横に座る彼女の顔をチラッと見ると、窓の外を見てました。でも、時折、彼女が右手で僕の太もものあたりをトントンとノックするんですね。いや、わかってるんです。何を言いたいのかは…。
 昨日の夜、英会話が出来ないのは喋る量が少ないからだ、って話を寝る前にしていて、「じゃぁ明日はブンニーさんと何でもいいから喋ってね」って約束をさせられたんです。
 でも、ホテルに戻る段になっても、いまだ喋ってなかったんです。いや、ちょこちょこっとは喋ってるんですよ。でも、彼女の期待する「会話」じゃないそうなんです。いわゆる世間話をして欲しいと。
 
 喋るネタを考えていたらシェムリアップの中心部を通り越し、ボレイ・アンコールへと到着してしまいました。ここでまったく喋らなかったら嘘つきになっちゃいますから、車を降りながらブンニーさんに喋りかけたんです。でも、ネタの提供は彼女だったんですけどね。
「今日、カンボジア料理を食べてみたいんですけど、いい店をご存じないですか?」
 って。通じたのか通じてなかったのか判らないんですけど(返事がないのは意味がわからなかったからか、紹介するほどの店が思いつかなかったのか、どちらかという意味です)、どっちにしろ返事がなかったんで、彼女がフォローを入れてくれたんですね。でも、質問が変わってました(^_^;)
「アプサラ・ダンスを見たいんですけど、明日、連れて行ってもらえませんか?」
 って。…全然変わってるじゃん(笑)
 
 いやいや、ホントはちゃんとフォローしてくれてたんですよ。でも、やっぱりクメール料理に優劣をつけがたかったのか、お店を紹介してくれなかったんです。で、話を変えようかと彼女が踊りを見たいと言い出したんですね。ダンスを見たかったのは僕も同じことです。それならば、とお店を紹介してくれました。店の名前を教えてくれたのかくれなかったのかは判らなかったんですが、明日の夜に行きましょう、との話になったのは確かです。
 
 その後で、明日の朝は何時にしますか?と。
 今日よりも1時間遅い9時30分に。四日目の予定を今日、かなり消化しましたからね。
 それじゃぁ、というブンニーさんとの別れ際に、1ドル札を数枚財布から取り出し、今日のチップとして手渡しました。道が悪いからと10ドル上乗せの料金だったとはいえ、この汚れ方は尋常じゃないですからね。
「洗車に使ってください。」
 と。笑顔で、サンキューと言ってくれたんで悪い気はしなかったです。
 
 フロントでキーを受け取り部屋へと戻る階段で、
「ね、ちゃんとしゃべったでしょ?」
 とまるで子供のように聞く自分が情けなかったです… (^^ゞ
 でも、彼女からの返事の前に、「あっ」と声を上げました。
「あんな言い方したら、『明日までに洗車しておけよ』って捉えられたかなぁ?」
「うーん」
 どう捉えたかは、国民性と個人の判断によるんでしょうね。
(ちなみに翌朝、トヨタ・カムリは見事にきれいになってました)
 
 部屋へと戻り、軽く一休み。
 夕方から外出です。街の中心部へと歩き出しました。
 雨が降っていた昨日と比べると、すごく歩きやすかったですね。二人並んで、暗い国道6号線を歩きます。
 昨日は国道から北側の屋台を眺めてぶらぶらと歩いたんで、今日は南側へと行くべく、左に曲がりました。ガイドブックには「屋台が並ぶ」と書かれていて期待してたんですが、屋台らしい影はまったくありません。あれ?筋を間違えたかな? と思ったものの、シェムリアップ川沿いの道のため、間違えようがないんです。もうちょっと南側かと歩を進めてみても屋台の影はなし。
 困ったものです。今日こそは屋台で庶民の味を楽しもうかと思ってたんですけどね。
 
「屋台にいいところがなかったら行こう」とホテルの部屋で考えていたレストランへと向かいます。
 ガイドブックに「屋台が並ぶ」と書かれている通りの中ほどに「サマピアップ」というレストランがあるんです。玄関前の敷地も広く、およそ「屋台で食べよう」と言っていた人間が行くところじゃなさそうに見える店構えです。
 ウェイトレスに案内された店内も広く、いくつものテーブルが並んでます。各テーブルにかけられた白いテーブルクロスが清潔感を漂わせてます。でも、客層は変です。変と言うと語弊がありますが、明らかに外国人団体客が多いんです。周りからたくさんの日本語が聞こえてきます。それもそのはず、ガイドブックには「ツアー客が利用する、地元でもおいしいと評判のカンボジア料理レストラン」と紹介されてるくらいなんです。
 外国人ツアー客が多いからと言って必ずしも美味しいとは言い切れないとは思うんですが、日本人ツアー客が嫌がるようなら旅行会社も候補から外すでしょうし、まぁ、間違いはないでしょうね。
 
 注文をとりに来たウェイトレスにとりあえずアンコール・ビアを注文して、それから料理のメニューを眺めます。もちろん、大方の予想を裏切らず、とことん悩みましたよ。昨日と同じく、ビールが来てからもまだ悩んでましたから…(^_^;)
 まず、単品で注文するのかセットで注文するのか、というところから悩みましたからね。
 結局、散々迷った結果、二種類のセットメニューを注文することにしました。スープから始まって、サラダにメインディッシュにその他のお皿にと、ご飯はもちろんのこと、食後にコーヒーまで付いて一人5ドルです。日本のお昼の定食よりもまだ安いですよね。
 味の方はと言うと、これがまた、美味しいんです。
 彼女のセットについていたアモックも具がたっぷりで美味しかったですし、魚のから揚げも美味でした。魚が美味しいのはやっぱり魚の宝庫、トンレサップ湖に近いシェムリアップならでは、なんでしょうね。
 
 食事は美味しいんですが…、一つ気になることがあったんです。
 これは昨日の夜にもわずかに感じていたことなんですが、従業員がやたらと多いんですね。ウェイトレスやウェイターがそこらじゅうに散らばってます。食べ終わったお皿はサッと持っていかれますし、ご飯が無くなりそうになったら「おかわりはどうですか?」と来るんですね。まるで食事をずーっと監視されてるようにも感じるんですが、僕はここで「失業って何だろう」って考えてしまいました。
 日本では失業率の高さが問題になってますが、これらのお店を日本人の感覚で合理化を進めていけば、従業員は遥かに減って、路頭に迷う人が急激に増えていくことと思います。確かにカンボジアでは一人当たりの給料は少ないんでしょうが、こうして、無駄に思えるほどの人が働いてます。もっとも、それで経営が成り立ってるわけですからね。ここで経営者が「従業員を減らせば、もっと利益が上がるのに」と考えないところが日本人的なセンスと違うところなんでしょうね。果たして、カンボジアの経営者が本当に「多くのクメール人が働ける環境を提供しよう」と考えているかどうかは知る由もないですけどね。
 
 そんなことを述べながら食事をすると、せっかくの食事が不味くなりそうなんで「働いてる人、多いよね」という程度に抑えておきました。だって、ホントに多いんですもん(笑)
 
 ビールを飲んでご飯を食べてしまったのが間違いですね。美味しい料理が残ったまま、おなかに限界が来ました。
 コーヒーで食後の一息を付いてからテーブルを立ちます。ごちそうさまでした。
 
 ビールは二人で一本だったんですが、ほのかにアルコールが体を回りいい気分でホテルまで戻ってきました。
 このままベッドで眠ってしまえば気持ちいいんでしょうが、今日はもう一仕事あるんです。
 風呂場で洗濯です。今回の旅行では極力荷物を減らそうと、途中で何度か洗濯をすることを前提で衣類を減らしたんですね。シャワーを浴び終わった後、洗面台でジャブジャブと汗に濡れたTシャツなんかを洗いました。
 風呂場に張ったロープに洗濯物の花を咲かせて、長かった一日も終わりです。
 
 明日はアンコール・トム周辺の遺跡群を見て回ります。
 タ・プロームやタ・ケウなど、気になるところがいくつもありますし楽しみです。
 そろそろ明日を楽しみに眠るとしましょうか。では、おやすみなさい。
 
4日目へ続く

(2002年夏・カンボジア 3日目・終わり)

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