(番外編:2002年夏・カンボジア/アンコール・ワット)

長い文章ですので、常時接続でない方は一旦接続を切られた方がよろしいかと思います。


第四日目 湖は果てしなく大きく  タ・プローム〜トンレサップ湖

  静かなる朝

 ベッドで目覚めます。時計を手にすると、ベルが鳴る少し前でした。
 何なんでしょうね。この目覚めの良さは…。
 一人で苦笑いしつつ、対照的な彼女を起こしました。
 
 窓からのぞく空は相変わらずのものですが、朝の天気が一日の天気を暗示するものではないということは、この三日間で十分に判ってますから、曇天であってもどうってことはないです。
 今日も窓の下に見える庭では鶏と猫が動き回ってました。
 いつ終わるとも知れない増築工事も始まってます。
 では、僕たちも一日の活動を始めましょうか。
 
 3回目の利用となるレストランでいつも通りの食事を頂きます。頼むのはいつもオレンジジュースとホットコーヒー。唯一変わるのがプレーンオムレツかスクランブルエッグか、というところでしょうか。もっとも、胃に入れば同じなんですが…。
 毎朝毎朝のことなんで、レストランでの話はこれくらいにしておいて、とっとと出かけましょう。
 
 今日はロビーで待つでもなく、ブンニーさんが姿を見せました。横に止まっているカムリは、昨日の泥がきれいに洗い流されていて、サッパリとしていました。ブンニーさんもサッパリとした青いTシャツ姿で、相変わらず若いのかオジサンなのかは不明です。そのブンニーさんに開けてもらった後部ドアから乗り込むとすぐに出発です。
 昨日よりも若干遅いものの、国道6号線は朝の活況を見せています。一見無秩序に見える走りをしているバイタクの間をすり抜けるように二人を乗せたカムリは街の中心部へと進みます。今日の予定は昨日の続き、タ・プロームやスラ・スランを回ります。まずは…、英語がわからないのも相変わらずです(笑)
 
 グランドホテルの前を北へと走り、アンコール・ワットへのチェックポイントに到着です。今日はチケット使用開始から3日目。日付とパンチ穴を見比べて、横にもう一つパンチで穴が開けられました。チケットを返してもらってアンコール・ワットへと続く道を北上します。
 アンコール・ワットの雄姿を真正面に見て、突き当りを右へと曲がります。昨日と同じですね。
 そこから走ること数分、本日最初の観光地に到着です。
「食らわん」
 とブンニーさんが言ったように聞こえたここはプラサット・クラヴァン。クメール語の発音でプラサート・クロワンです。
 昨日見てきた遺跡群よりも古い時代の921年に、ハルシャヤヴァルマン一世によって創建されたヒンドゥー教の寺院で、パッと見が赤っぽい遺跡です。バンテアイ・スレイの赤さはラテライトの特色でしたけど、ここの赤さはレンガの赤です。全てがレンガ造りの建物なんです。
 まだ朝が早いんですが、西洋人の観光客が数組、遺跡を眺めながら散策してます。東洋系観光客は少なかったんじゃないですかね。
 1メートルと数十センチの高さの壇の上に5つの塔が並ぶスタイルで、真ん中の塔が最も高くなっています。後の4つはピラミッド状に外側が低くなっているのか、漢字の「山」の字のように両端が高くなっているのか、今現在は崩れてしまっていて想像するしかないですね。
 でも、この遺跡は外から眺めるだけでは、その魅力を十分に感じ取ることは出来ません。他の遺跡群の中においても稀なんですが、さほど大きいとも言えない塔の内側に浮き彫りが施されているんです。
 まずは、真ん中の中央塔の中を覗いて見ました。
 ここには壁いっぱいに彫られたヴィシュヌ神の姿が見えます。両足をグッと広げ、しっかりと2本の足で立つ姿はかなりの力強さを感じます。
 一旦中央塔を出て、北の端にある塔へと向かいました。ここにはラクシュミーの立像が、これもくっきりと浮き彫りとして残っています。ラクシュミーは中央塔にいたヴィシュヌ神の妻で、腕が4本あります。しかし、腕が4本もあるのに気持ち悪く感じないのは仏像の持つ不思議な魅力ですよね。だいたい、千手観音とか、常識で考えてもおかしいじゃないですか。でも気持ち悪さは感じないですもんね。四天王は人間っぽいのに…。神仏は偉大なり、ってとこでしょうか。ちなみに、ラクシュミーは日本では吉祥天と呼ばれている結構ポピュラーな方です。
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 それにしても綺麗な遺跡ですね。と思えば、この遺跡、最近に修復されたものなんだそうです。最近とは言っても1964年から始まった修復事業ですから、40年ほど前の話になるんですが、フランス人の団体によって浮き彫りの保存を主目的として行われたそうなんです。何もせずに放って置けば、ヴィシュヌ神もラクシュミーもレンガの塊と化してしまうんですから修復は大切ですよね。
 この遺跡に関して言えば、先述の通り浮き彫りの保存を目的としたため、一旦レンガを解体して、コンクリートで箱状に骨組みを作って、そこに取り外したレンガを積んだんだそうです。見た目は元通りなんですけど、結構大それた事が成されたんですね。
 
 少し北に走れば、スラ・スランに到着です。
 スラ・スランは比較的大きな人工池で、「王の沐浴のための池」なんだそうです。だったら、そんなに大きくなくても…と思うのは王の偉大さを当時の人ほど判ってないからなんでしょうね。アンコール・トムの造営者、ジャヤヴァルマン七世の時代に造られた池です。
 シンハ像に迎えられて石積みのテラスに立てば、正面には大きな池が迫ってきます。このテラスは池の西の端にあるので、朝日がきれいに見えるらしいですね。水面に朝日が映っていい感じらしいですよ。と、これはガイドブックの受け売りなんですが、そのテラスのすぐ横、水面近くの草の上に降りてみました。
 水際近くの池の中に子供たちが遊ぶ姿があり、彼女と一緒にしばらく眺めてたんです。
 僕たちが望んでいた「カンボジアの子供たち」とは、こういう姿なんですよね。昨日まで見た子供たちは「物売り」に執着するあまり、近付きたくなくなるというか疎ましい存在ですらあったんです。だから、こういうピュアな子供たちの姿に、彼女とともに安心したんです。
 手に持った竿から糸を池の中に垂らし、魚がかかる感触を確かめているようです。
 釣竿を持たせてもらえない小さな子は、水際近くに手で掘られた直径15センチほどの小さな穴に放された収穫物で遊んでました。穴をのぞかせてもらうと、水を張った「いけす」で、数匹の魚が泳いでます。見に近付けば、小さな手のひらをいけすに突っ込み、何匹かを引き上げて見せてくれました。なんだか無邪気で可愛いんですよね。
 
 そのいけすに、また魚が放り込まれました。放り込んだのは10歳くらいの女の子。子供たちの中では一番の年長さんで、リーダー格です。
 そんな様子を眺めて微笑んでいたら、いつの間にか彼女が「秘密兵器」を自分のリュックの中から取り出してたんです。このピンクの小瓶とストローは…。
 何の説明もなしに、いきなり彼女がストローの先からシャボン玉を飛ばし始めたんです。
 その瞬間、今まで池の中で釣りに興じていた子供たちが、一斉に彼女の周りを囲み始めたんですね。シャボン玉という遊びが、この国でポピュラーなのかどうかなど全く知らないですけど、子供たちは大はしゃぎです。遠くまで飛んでいくシャボン玉をずーっと見守る女の子、近くに飛んできたシャボン玉を手で突付いて割る男の子、とにかくみんなの目が彼女に釘付けです。
 突然現れた日本人の変な訪問者の噂が子供たちの間に広まってか、数分もしないうちに10人近い子供たちが集まってきました。
 みんなのハートを掴んだ彼女は、そのシャボン玉セットをリーダーの女の子に手渡したんです。その子も、次から次へとシャボン玉を作り続けるんですが、みんなのために作ってあげてるのか、自分自身が楽しんでるのか判らなく見えたもんですから、僕は思わず苦笑いをしてしまいました。
 が、そこで事件は起きたんです。
 いや、事件というほどのもんじゃないんですが、彼女が女の子にシャボン玉を手渡すかどうかという時にやってきた8歳くらいの女の子が「私も欲しい」と言い出したんです。
 彼女はもちろんのこと一つしか持って来てないですから、「もうない」と繰り返し、みんなで仲良くね、と言うんですが、シャボン玉を手にした女の子は、頑としてシャボン玉を吹き出し続けてるんです。やっぱり自分自身が楽しんでるんですかね。それはそれで微笑ましくもあるんですが、彼女に「欲しい欲しい」と繰り返していた女の子の矛先が、いきなり僕の方を向いたんです。

「あなた、持ってる?」
「いいや」
「どうして?」
 いや、そんなこと言われても…。(まさか、日本人旅行者はシャボン玉セットを携帯する、と思ってるってことはないですよね)
「シャボン玉は、日本では女の子のおもちゃだから」
 全て、(一応)英語での会話です。一応ね。
 それと時を前後して、その女の子が僕の右腕をつねったんです。
「痛っ」
 と当然のごとく声を上げれば、
「アナタ、オカマ(日本語で)」
 と。
「はぁ?」と彼女と顔を見合わせれば、もう一度つねって来たんです。
「だから、『痛い』って(日本語です)」
「アナタ、オカマ」
「どうして?」
「痛イ、ハ、オカマ」
 ははぁ、なるほどね。男なら痛くても我慢するはずだ、ってことらしいです。カンボジアン男児は強いんですね。
 
 誰かが彼女に、「あの人(僕のこと)は英語を喋れるのか?」って聞いてたんですね。彼女は正直に「少しだけね」と。最初のうちはほとんど何も喋ってなかったから疑問に思ったんでしょうね。そしたら僕に「英語、しゃべれる?」と。
 子供相手の言葉遊びのつもりで
「No, I can't speak English.」
 と笑いながら答えたら、まじめな顔で
「嘘つき!」
 って…。オカマとか嘘つきとか、散々ですね(笑)
 
 シャボン玉争奪戦が続いてるんで、彼女が新しいアイテムをリュックから取り出しました。いかにも日本的なデザインの千代紙です。何人かの女の子が、折り紙を見るなり
「知ってる!」
 と、奪い取って何やら折り始めたんです。彼女は彼女で何かを折ってるんですね。
 子供たちが作っていたのはお花。どこで教えてもらったのか、きれいな花です。折り紙の文化圏は広いんですね。
 彼女が折ったのは鶴。女の子たちが鶴の出来上がりを待って、我先にと手を伸ばしてました。男の子たちまでもが彼女の折った鶴を欲しがり、彼女は鶴を折り続けることに。
 それじゃぁ、僕も。と折り紙に手を伸ばしてみたものの、数年ぶりに折り鶴を作り始めると、何だか変になってきたんです。
「何を作ってるの?」
 と聞かれ、「鶴だよ」って言いたかったんですけどね。「ツル?」…鶴って何て言うんだっけ?
「ん? バード」
 …ダメだこりゃ。
 何とか折り上げた鶴をそばの女の子に手渡します。1羽作れば後はやさしいモノ。次々に折っては手渡します。
 もっとも、一瞬だけ、「何でカンボジアで鶴を折ってるんだろう」って思いましたけどね。
 
 僕が着ているTシャツにはアルファベットが書かれてるんですが、シャボン玉をねだっていた女の子が、そのアルファベットを指差して、「これは何?」と聞いてきたんです。普通に答えちゃ面白くないんで
「ピアサー・オンクレット」
 と答えてみたんですね。クメール語で「英語」のことです。
「Oh! You can speak Cambodian!」
 と返ってきましたね。一応、通じたってことでしょうね。でも、まぁ喋れるってほど語彙は知らないんですが…。
「いや、これだけ」
 と。その後、Tシャツのアルファベットを一文字ずつ指差して「これは?」を繰り返してたんで、一文字ずつ発音してあげました。でも、その時に思いましたね。この子たちは「英語を読めないんだ」って。こんなに流暢に英語を喋ってるのに。
 これはある意味、僕自身にとってカルチャーショックでもあったんです。日本の英語教育は、まずアルファベットの読み書きから入りますよね。でも、この国では会話から始まるんです。読み書きできなくても会話でのコミュニケーションは十分取れる、ということでしょう。こちらの英語教育の方が進んでいるとも思えます。
 そんなことを考えながら周りを見渡していると、いつしか何人かの子供たちが「ブレスレットを買ってくれ」だの「冷たい水はいらない?」だの言い出したんです。
 
 彼女も僕も、「あ、結局はそういうことなの?」という気分になってきたんですが、一つだけ面白いネタを。
 しつこく「コーラ、コーラ」と繰り返していた小さな女の子に、
「オッ(ト)・トラウ・カー・テー」
 と。クメールで「必要ない(要らない)」ってことです。そしたら間髪入れずに
「わからない」って英語で。
 それまでは、言葉を間違えても「…ん?」(何? もう一度言って)って感じだったんですけどね。ある意味、素直です(笑)
 
 スラ・スランの観光のつもりが1時間近くも子供たちと遊んでたんで、そろそろ移動しなくちゃいけないですね。というのも、ここでブンニーさんからは「スラ・スランとバンテアイ・クディです」と言われていて、スラ・スランと道路を挟んだ向かいにあるバンテアイ・クディの両方を見てきてね、ってことだったんです。片一方で1時間ですからね、そろそろ移動しなくちゃ。
 そろそろ行く、というと、子供たちは口々に
「明日の朝も遊びに来てね」
 と言うんです。彼女と相談をしたんですが、確かにまだ明日の予定は立ててないものの、「来てもモノを買わされるのがオチなんじゃない?」ということに。遊んでいて楽しかったのは確かなんですけどね。それがなけりゃ、明日も来たいところです。
 でも、「うん」と言わなけりゃ帰してくれなさそうだったんで、とりあえず、「わかった」と。
 
 入口まで戻り、ブンニーさんに「バンテアイ・クディを見て来たいんですが…」と言うと、OKと。でも、スラ・スランで1時間以上も過ごした観光客は少ないでしょうね。
 バンテアイ・クディに向かう二人の背中に女の子が
「アナタ、買ワナイ。ワタシ、悲シム」
 と叫んだんで、彼女を指差しながら
「ワタシ、買エバ、コノ人、悲シム」
 と、返しておきました。彼女はふふっと笑ってくれましたが、女の子は判ってくれたでしょうかね。
 
 バンテアイ・クディは、スラ・スランとセットになっている遺跡で、いわばこちらが本体で、スラ・スランが付帯物という感じです。寺院があって池がある、という構図です。
 もともとはヒンドゥー教の寺院として建てられたもので、ジャヤヴァルマン七世が仏教寺院として改修したそうなんです。
 ナーガに迎えられて大きなテラスに上がり、そのまま内部へと入っていきます。
 「田」の字状になった回廊の中央近くに新しすぎると思える仏像が鎮座してます。後世に持ち運ばれたものなんでしょうね、おそらく。色とりどりの三角形をした旗…何ていうんでしょうか、運動会のときの国旗のような感じで天井近くを渡されてるんです。幾筋も。いかにも日本とは異なる寺院スタイルですね。
 とか言いながら徘徊していたものの、スラ・スランでのインパクトが大き過ぎたためか、正直なところ、あんまり印象がないんですね。彼女ともスラ・スランでの話をしてましたし。それに、ブンニーさんをあんまり待たせても悪いしなぁ、という気持ちも働いていたかもしれないですね。
 
 そんなことで、あっさりとバンテアイ・クディを後にしました。
 例の子供たちが待ち受けてるんじゃないかと思ったんですが、池のほとりで遊び続けているのか売店の中で休んでいるのか、姿はありませんでした。
 ブンニーさんに迎えられてカムリに乗り込みます。明日の朝、子供たちは待ってるんでしょうか。さぁどうでしょうね。彼女は、「子供って、『いま』を楽しむのに一生懸命だから、明日の朝には忘れてるんじゃない?」って。確かに。そんな気がしますね。
 
 
  呑み込まれた遺跡
 
 次はいよいよタ・プロームです。ここはシェムリアップに来る前から興味のあった遺跡なんです。なぜか…。その理由は遺跡の保存状態にあるんです。
 では、さっそく見て行きましょう。
 このタ・プロームもジャヤヴァルマン七世によって創建された仏教の僧院だそうなんですが、ここはバンテアイ・クディとは逆に、創建時は仏教であったものが後にヒンドゥー教に改宗されたんだそうです。
 西塔門からテラスを通って西門をくぐったところで、さっそく寄り道。塔門のある第一周壁に沿って美しいデバダーがいるらしいんです。うーん、まぁそれなり、ってとこでしょうかね。
 周壁近くには遺跡を形作っていたと思われる石のブロックが散乱してるんです。これはこの周壁近くだけでなく内部も同じような状態で、まさに、発見されるまで、いや、発見されてからも手を付けられていない、と言う感じなんです。良く言えば状態の完全な保存、悪く言えばほったらかしなんですが、それを一番感じるのがスポアン(榕樹)が絡まった部分でしょうね。絡まる、なんて生やさしいものではなく、押し潰されると言った方が正しい、と感じるほどの勢いなんです。
 例えれば、タコ…、ではないですね。もっと気持ちの悪い…、えーっと。映画『インデペンデンス・デイ』に出てきたエイリアン(名前はありましたっけ)のように、遺跡にねっとりと、しかもがっしりと(相反してる言葉のような気はしますが…)、喰らい付いているんです。
 それにしても植物の生命力ってのは強いですよね。自分が成長するためなら、石のブロックをも跳ね飛ばすんですから。
 これを見た瞬間は「あぁ〜」って、声にならなかったですよ。
 そう、これなんですよ。僕が見たかったのは。
 栄華を誇った王が建てた遺跡が崩れていく…。これは、単に「スポアンが成長して、(たまたま)遺跡が崩れた」というだけの現象ではなく、アンコール朝が力を失った「時」が「象徴」を壊してるようで、そう、まさに諸行無常の心なんですね。
 その心を感じやすいのは東洋系の人々なのか、この遺跡は東洋人に人気があるそうです。
 
 スポアンによる崩壊の仕方にもいろいろあります。塔門からすぐ近くの回廊にそびえるスポアンは、回廊に接している部分が数条の太い根に分かれているんですが、上はすらっとした幹ですから、鳥の脚のように見えるんです。巨大な鳥が回廊に着地した、という感じですね。他にも太い根が石の隙間を見つけて徘徊する様子が巨大な蛇に見える場所もあります。滝のように何本もの根が並んで降りているところも。それぞれに力強く、遺跡を押し潰してます。
 
 このパワーに圧倒されながらも、回廊の中に入ってみました。中の構造は単純かと思いきや、もともとの構造がそうなのか、壁が崩壊したのか、行き止まりがあったりして、なかなか思うように進まないんです。しばらく歩き回っていて、「あれ?同じ場所?」という体験もしました(って、単に方向音痴なだけなんでしょうが…)。
 回廊を出て、ちょっとした庭になっている部分があるんですが、そこに比較的大きなスポアンの樹があります。それを見た瞬間に誰もが感嘆の声を漏らすんですね。面白いほどに。しばらくそこに留まっていたんですが、十人十色というのか、いろいろな驚きを見ました。もっとも、「日常生活で見られないもの」を求めて旅行をしているんですから、何を見ても感動が無いようじゃ面白くないですよね。
 ここで、ちょっと面白いものを発見。壁に彫られた飾り彫刻が顔に見える部分があったんです。そういうと気持ち悪いものを想像されそうですが、そうではなく、スマイルフェイスのような顔なんです。妙に可愛かったんで、写真に収めました。
 
 中央祠堂近くではタ・プロームで最大のスポアンが見られました。この遺跡の中で最も有名なスポアンでもあるんです。
 この姿はどう表現したらいいんでしょうね。植物ではなく、動物的な「動き」が感じられます。根が足のように見えますから、深夜になるとタコのようにニョロニョロと動き出しそう、とも思えるんです。そんなことは有り得ないですけどね。
 それにしても、目にする観光客の多いこと。さすがに人気があるだけのことはあります。その中でもやっぱり多いのが日本人。というか、ほとんど日本人だったんじゃないでしょうか。この有名な樹をバックに写真を撮るために、順番待ちをしてましたからね。
 
 中央祠堂よりも東側に、エコーが響くお堂があるということで向かってみたんですが、どれがそうなのか判らなかったんです。でも、そのお堂があると思われる庭も、日本人であふれていました。もちろん、全員が日本人と言うことではなく欧米人もいるんですが、なんだか目に付いちゃうんですよね。木に登って写真を撮ってもらってる若いのもいましたし。
 崩壊した石のブロックに二人並んで腰を下ろしてちょっと休憩。
 そういえば、もうすぐお昼なんですよね。太陽は高々と昇っているはずです。直射日光が眩しいというほどではないんですが、ムッとした暑さは続いています。持ってきたペットボトルの水でのどの渇きを癒してからも、しばらく座ってました。とにかく暑いんです。短パンにTシャツというスタイルの西洋人のお兄さん方もこの暑さにはバテ気味のように見えました。
 昨日と違って雨が降らないんで、さらに暑く感じるんでしょうね。
 
 中央祠堂の近くを通って、西塔門をくぐりました。高ぶる興奮がうだる暑さで相殺されているような感じですが、やっぱり来てみたいと以前から思っていただけのことはある魅力を十分に感じましたね。諸行無常と神秘的な雰囲気を味わえるタ・プローム、お勧めです。
 
 入口近くの駐車場でブンニーさんと合流です。でも、車に乗る気配はなく、ここで昼食をとりましょう、とのこと。
 遺跡の近くには屋台風の簡易食堂が軒を並べていて、その一つに入りました。
 ビニール製のテーブルクロスがかかったテーブルにプラスチックで出来た背もたれ付きのイスがあるという組み合わせは、昨日のニャック・ポアン前の店と同じです。店の奥を見るような形で二人並んで道に背を向けて座りました。
 メニューが運ばれてきます。メニューも昨日と同じような感じですね。
 オーダーしたのは僕のフライドヌードルと彼女のヌードルスープ。飲み物は何にしましょうか。ちょっとした冒険心でメニューに載っていた怪しげなものを頼んでみたんです。怪しげすぎて名前も覚えてません (^_^;)
 
 まずは飲み物が…。と思えば後ろでお店のお姉さんが、ごそごそと水の入ったクーラーボックスから缶ジュースを取り出してたんです。え?缶? と思ったんですが、間違いではなかったですね。テーブルの目の前にはジュースの缶が2本、並べられました。面白いのは、ストローが2本付いてるってことです。缶ジュースをダイレクトに口を付けて飲めるのは、日本のように衛生状態のいい国だけなんでしょうね。
 でも、このジュース、いったい…何?
 僕も彼女もわからずに頼んだんで、何が何やらわかりません。
 とりあえず、飲めば判るでしょう、と、プルリングを引っ張ります。ここで感動が。最近の日本ではほとんど見かけなくなったちぎり取るタイプの缶の口だったんです。僕の子供の頃は当たり前だったんですけどね。いつのまにか、目にする缶のほとんど全部が環境問題への配慮か、引いて押し込んで蓋が外れなくなるタイプになってましたよね。「指輪!」とか言って遊んでいた頃を思い出します。あれ? それは女の子の遊びでは…。
 
 それはさておき、ストローを突き刺して飲んだジュースはやっぱり謎です。
 一つは「soy」だったか「beens」だったかの英語での表記があって、あぁ豆なんだなぁ、って判ったんですが、もう一つはいったい何だったんでしょうね。
 二人で缶を交換し合って、お互いに首をひねってました。両方ともマズくはないんですけどね。
 
 そうこうしている間に料理が出来上がったようです。
 フライドヌードル。読んで字の如し、焼き蕎麦です。でも、日本で食べる焼きそばとはひと味もふた味も違ったものでした。味よりも、面白いなぁと思ったのが、インスタント特有の縮れ麺だったってことです。ヌードルスープはインスタントでもアリかな、と思ってたんですが焼きそばもインスタントなんですね。
 ラーメンにしても焼きそばにしても、インスタントをそのままではなく、ちゃんと調理をして立派な料理にするのは屋台ならではだなぁって思います。
 いや、待てよ。と思いました。屋台だけではないのでは? と考えたんです。
 日本ではインスタントもの、っていうと手を抜くためにあるような印象ですよね。でも、ここカンボジアでは、あくまでも料理の素材の一つでしかないんじゃないかと。良く言えば「日持ちのする素材」ですね。
 タイや中国といった周辺国から麺類を輸入するなら乾麺の方が都合がいいはずです。さらに便利になったのがインスタント麺なんじゃないでしょうか。そういう意味では、町から外れた屋台でも気軽に麺類を食べられるようになったインスタント文化に感謝、と言うところでしょうか。
 
 食事を終えて、出発前にお手洗いに行っておこうと公衆トイレっぽいところへ入ろうとしたんです。その時、その傍から小学校低学年くらいの男の子が声を上げながら姿を現しました。トイレの入口までは1mほどのところにいたし、男の子まではかなり離れてたんで、とりあえず入っちゃおうと思ったんですね。でも何かを喋りかけてくるんです、クメールで。入口の壁にクメール語と英語とで500リエルらしきことが書いてあったんで、先に金を払えってことを言いたいんだろうなぁ、と
「OK、OK」
 と、判ってんだか判ってないんだか判らん返事をして先に用を済ませたんです。
 そしたらきっちり待ってましたね。出てくるのを。
「プラム・ローイ・リエル?」
 と聞いたら、
「バー(ト)」と。
 一応、会話になってるじゃないですか (^^ゞ
 ちなみに、「500リエル?」「うん」、っていう会話です。
 
 500リエルを手渡して彼女の待つ店まで戻ってくると、ブンニーさんも来てました。それでは出発しましょうか。
 
 車をほんの少し走らせて到着したのがタ・ケウです。
 タ・ケウ(クメール語でタ・カエウ)は、この短い語で「クリスタルの古老」という意味を持っているそうで、アンコール・ワットよりも1世紀近く早い11世紀の初頭にジャヤヴァルマン五世によって造られかけた寺院です。妙な表現をしましたが、このタ・ケウ、実は未完成なんです。といっても、当然ながら現在進行形ではありません。王の突然の死によって造営が中止されて以来、そのままの状態で放置されているんだそうです。
 寺院のすぐそばに立ち、全貌を見渡すように見上げると、他の遺跡とどこか違った雰囲気を味わえます。
 どこかで感じたのと似た雰囲気なんですが…。バイヨンだったでしょうかね。ゴツゴツとした石の質感がもろに出ていて、要塞を見ているような感じです。
 雰囲気はともかく、見た目の形は、プレ・ループにもあったように、真正面から見ると3本の塔が見えるアンコール・ワットにも似たスタイルです。中央祠堂の東西南北に一つずつ塔があるんです。
 でも、それらの遺跡と異なるのが(雰囲気の違いを生み出している理由でもあるんですが)、壁面彫刻が見られないことなんです。石を積み上げて、彫刻が施される前に造営が中止されてしまったので、こんな形になったんですね。だから他の完成された遺跡とは違うように感じるわけです。
 東楼門を抜けて数段の階段を上がると目の前に牛の像が現れました。聖なる牛「ナンディン」です。面白いことに、この石造のナンディン、このあたりの僧侶が身に付けているのと同じ法衣をまとってるんです。でも、普通の仏像ならともかく横たわってる動物ですからね。人と同じようにはまとえず、首のあたりにくるっと一巻きした後、体を這わすように垂れ下がってるんです。これじゃ、どう見てもマフラーです。
 
 オレンジ色のマフラーをする聖なる牛ナンディンと記念撮影をしていたら、現地の子供たちが二人、こちらに近付いてきました。
 この牛を指差して
「コゥ」
 と言ったような気がします。僕は素直に「あぁ、ナンディンって雌牛(Cow)なんだ」って思ったんですが、今思えば「コー」、クメール語で「牛」のことだったのかも知れません。
 ともかくそこで同調してしまったのが運の尽きか、その後、この少年二人のペースに巻き込まれることになったんです。
 カンボジアの小学校の制度はどうなのか知らないですが、日本で言うと小学校3〜4年生のお兄ちゃんと、小学校1年生くらいの弟という感じですね。その小さい方の男の子は「らんま1/2」と日本語の文字とキャラクターのイラストが描かれたTシャツを着てました。なぜだ…、って感じです。
 
 ナンディンのすぐ横には中央祠堂へと続く高く険しい階段が控えています。アンコール・ワットにあった階段よりは幾分か緩やかですが日本の常識からすれば急な階段です。少年たちの誘導のままに上へと進みます。その道中、このタ・ケウについての講釈を垂れてくれます。もちろん、英語です。
 全部を理解したわけじゃないんですが、大方は「何を言いたいのか」は判りました。一言一句訳していたわけではありません。
 
 登りついた頂は、暑い昼下がりの中にあって、さわやかな風が吹き抜けています。少年たちも、Tシャツの裾をパタパタとさせ、中に気持ちのいい風を送り込んでました。「ふぅーっ」と一息。やっぱり長年住んでいてもこの気候は暑いんですね。
 上から見る景色は、緑の森と遺跡群で、いい感じです。
 
 一息ついてから、彼らのガイドが再開です。緑の向こう側に遺跡が見えるんですが、それについて何やら説明をしてくれてます。実はあんまり判らなかったんで、黙ってたんですね。そしたら、指差して、
「見える?」
 と。「あぁ、はいはい」と返事。見えるのは見えるんですけどね。
「あっちに…」
 と、遠くを指差して、別の遺跡の話をしてるようです。
「見える?」
「…?」
「あれは、見えない」
「…。」
 
 彼らの解説はまだまだ続いてます。中央祠堂の中央に祀られた仏像を拝むこともなく、もと来た階段の上に立ち止まりました。
 話はだんだんとエスカレートし、時折混じる日本語の中に、とんでもない言葉が出てきたんです。何の説明をしてるときだったでしょうね、男性と女性、という説明をしようとしている時に、男性のことを○○○、女性のことを○○○、って(…これじゃなんだか判らんなぁ。でも18禁サイトじゃないんで書けないです)。
 彼女と顔を見合わせて
「何で、こんな言葉知ってんの?」
 と。大阪弁で言うところの「よぉ言うわぁ」って感じで「ふふっ」と笑えば、
「笑ワナイ、オ兄サン」
「…(はぁ、すんません)」
「大事ナ話ネ」
 
 その後、彼らはスタスタと階段を下り始めたんです。で、僕たちもつられる様に下へ。でも、とてもじゃないですけど、スタスタとは行かないですね。先に下り立った彼らが声をそろえて
「日本人、急グ、危ナイ」
 と。この急な階段を身軽に上り下りできるようになるには、かなりの鍛錬が必要なんでしょうね。
 
 再びナンディン像の前に戻り、下りてきた東側から、休憩するでもなく南側へと回りました。
 で、ここで案内は終わり。
 僕らの意に反して、というか、当然かのようにガイド料を請求してきたんですね。彼女とともに、
「まぁ、そうだろうねぇ」
 という気持ちで財布に手を伸ばしたんです。でも、ちょっと待った。二人で2ドルは高すぎやしないか?
「2人で1ドルね」
 と、言いながら1ドル紙幣を兄貴分に渡すと、「彼にも」という感じでせがまれるんです。でも、僕たちにすりゃ頼んだわけでもないし…、という気持ちですから、この程度で十分だと思いますよ。一人1ドルなら、時間給に換算すれば日本の大学生並みになっちゃうわけですし。
 ゴネても貰えないと判ると彼らは石段の上から身軽に、次なるターゲットを求めて走り去っていきました。
「何だったんだろう」
 これが僕たち2人の共通した感想です。
 だって、タ・ケウは、何の装飾も施されない、飾らないゴツゴツした遺跡として、もうちょっとじっくり見たかったところでしたからね。でも、今さら、もう一度中央祠堂に上るか、と聞かれれば「もういい」と答えますから、ブンニーさんが待つカムリに向かって歩いていきました。
 
 次に向かうはトマノンです。
 タ・ケウから数分のところにあります。下ろされた所にあるトマノンと、その向かいにあるチャウ・サイ・テボーダを見てきてください、とのこと。
 トマノンは楼門から続く周壁に囲まれた中には中央祠堂と拝殿、経蔵がある程度の規模の小さな寺院です。
 祠堂や拝殿は、それぞれに基壇の上に建てられているため、他のピラミッド式の高層遺跡より低いとはいえ、見上げるような感じです。地面の上に立ち、中央祠堂と一緒に写真を撮ってもらおうとしたんですが、僕の身長では、基壇の方が高いんです。
 階層のない寺院とはいえ、やはり市民よりも一段高いところに置く事で威厳、尊厳を保っていたのかもしれないですね。
 うっすらと草の生える敷地内を歩きながら、壁面に描かれたデバダーを眺めつつ、中央祠堂と拝殿の周りを一周しました。午後の照りつける太陽に、ほんの少しくらくらとし、道路向かいのチャウ・サイ・テボーダへと歩きました。
 
 こちらもトマノンと同じく12世紀の初頭にスールヤヴァルマン二世によって建てられたヒンドゥー教寺院で、敷地面積も構造もスケールは同じようなものです。でも、大きな違いとして、東塔門から東楼門までの数十メートルにわたって空中参道があることが挙げられます。これはバプーオンで見られたものと同じようなものなんですが、残念ながらこちらは修復工事中なんですね。
 空中参道を支える柱だけが並んでいる状態です。危険防止のためにロープが張られていて中央祠堂のある楼門側へは行けそうになかったんで、ここから眺めるだけに留まりました。
 比較的大きなクレーン車などが停車しているのが見えたんですが、作業そのものは止まっているようです。時刻は1時すぎ。まだお昼休みが続いているようです。
 
 
 偉大なる湖・トンレサップ
 

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 これでアンコール遺跡群の内回り、と呼ばれる観光ルートも終わりです。
 で、これからどうするのか、という時にブンニーさんから提案があったんです。
「今から、トンレサップ湖に行きませんか?」
 と。この辺りの会話は全て彼女にお任せだったんですが、どうやら1時間ほどの湖上遊覧が出来るボートが1隻20ドルほどでチャーターできるということらしいんです。ちょっと高いかな? という気がしたんですが、2人きりでチャーターですから、そんなものなのかなぁとOKの返事です。
 
 車はバイヨンのそばを通り、南大門、アンコール・ワットと走り、シェムリアップの中心部へと戻ってきました。その街中を走り抜けると、そのまま南へと走り続け、徐々に街中の風景から田舎の風景へと変貌してきます。
 途中、クロコダイル・ファームと呼ばれるワニ園があったんですけどね、特に寄る予定もなかったんで素通りです。時間が余れば帰り道にでも…、と思っていたんですが、帰る時には気が変わってました(笑)
 
 街の中心部から走ることおよそ半時間。左手にはトンレサップ湖から続くシェムリアップ川、右にはトンレサップ湖という風景が広がってきました。船乗り場も近いようです。
 何もなかった道端には造りが簡単ながらも建物が増えだし、路上駐車をする車も見えてきて、全体に活気を感じるようになってきました。そんな中、1台のバイクが左手から近付いてきたんです。いや、ブンニーさんが近付いていったという方が正しかったかもしれません。ブンニーさんは助手席側の窓を開け、そのバイクの男性に声をかけたんです。当然ながら2人の会話はクメールなんで、さっぱり判らなかったんですが、雰囲気で言うと、「この辺りで20ドルでチャーターできる船主はいないかね」「あぁ、それならあいつがいいよ」ってな感じじゃないですかね。
 実際にはもっといろんなことが交わされてたようですが、大まかにはそんなところだと思います。
 
 で、そこから走ること数分。車が止まり、ブンニーさんを先頭に3人、怪しげな船乗り場へとやってきました。
 ここで僕と彼女の2人は、これまた怪しげなおじさんに引き渡されます。「後は任したよ」「OK」ってなもんですね。
 僕たちは、そのおじさんの手下である子供たちに案内されるまま、船に乗り込みました。
 
 さて、ここまで読まれた皆さんは、さぞかし立派な船なりボートなりを想像されたかと思いますが、実際にはびっくりするほどの粗末な船です。芦ノ湖や阿寒湖などで乗った遊覧船とは似ても似つかないスタイルですね。日本にあるもので例えるならば、鄙びた小さな漁港から、お爺さんが一人、沿岸の沖に出て釣り糸を垂れるような漁船、それも数十年は乗り続けているような船に近いでしょうか。その船の甲板部分を取っ払って、日よけの屋根を作り、その下に観光客が座るための籐製のイスが数脚並べたような感じです。イスの上にはド派手なピンクのクッションが置かれていて、そのイスに座るよう、指示されました。
 
 操縦をする船頭さんは年齢不詳のおじさんです。見たところ僕よりも若いようにも思えるんですが、彼女曰く、「帽子を取ったら意外と…」ということだそうで。
 その彼と、小学校低学年ほどの男の子が乗り込んできます。で、いきなり一悶着。料金が前払いのようで、
「2人で30ドル」と。
「いや、20ドルと聞いてきた」
 と返せば、
「雨季だから、湖に行くまでに距離がある」
 との返事が。トンレサップ湖は乾季と雨季とでは面積が3倍も変わるというとんでもない湖で、雨季の今は、乾季の湖岸よりもかなり街寄りに来てるそうです。だから、当然距離が伸びるのだと。まぁ、理屈としては通ってるんですが、何か釈然としないまま、代金を支払いました。
 
 ともかくこれで交渉成立。船乗り場からの出発です。
 出発スタイルも原始的ですね。エンジンを逆転するでもなく、竹竿で他の船を突付き、その反動で船乗り場を離れるんです。で、船の群れから離れたところでエンジン始動…。そこでおじさんが「オゥ」と感嘆の声。
 弱々しいエンジン音で向かった先は水上に建つ、1軒の建物でした。その桟橋に船を横付けするなり、その建物のオーナーがやってきて、船頭のおじさんと言葉を交わした後、船のエンジン近くにあるタンクに燃料を注ぎ込み始めました。ガス欠、だったんですね。
 うーん、妙な船に乗り込んじゃったみたいです…。
 
 燃料補給で「いちおう」調子を取り戻した船は、水上家屋の間を通り抜け、湖の中心を目指して航行を始めました。
 安定した走行になったところで、おじさんが語りかけてきます。よく聞かれるのが「英語は話せるのか?」と「どこから来たのか?」ですかね。もっとも、大概は「日本人だろ?」という感じでしょうけどね。
 律儀にも「タバコ吸っていい?」と聞いた後でタバコを吸い始めました。妙ではあるものの、観光客には優しいんですかね。
 左手に続く水上家屋を指差して、
「あれらは、ベトナム人のものです」と。
 カンボジア人とベトナム人は歴史的に不仲の時代が長いんですが、こうして共存している地域もあるんですよね。ノンラーをかぶったベトナム人が板1枚のような小さな船に荷物を満載して竿1本の動力で行き来する姿を見ているとベトナムにいるような錯覚さえ覚えます。
「水上には、学校や教会なんかもあるんです。あれが学校です」
「ベトナム人のための?」
「いや、カンボジア人の学校です」
「はぁ…」
 水上家屋=ベトナム人のものかと思っていたら、そういう線引きができるわけでもなさそうですね。ちょっと失礼なことを聞いちゃったかな?と思ったので話題を変えました。
「観光客はいろんなところから来るんですよね」
「あぁ、それはもう」
「例えば?」
「Japanese, Chinese, Korean…」
 フランス人の姿も多かろうと
「French?」
 と聞けば、「French?」と逆に返されちゃったんです。
 あれ? フランス人って「French」でいいんですよね?
「Oh…、えーっと、あぁ…。Oh! バラン」
「Oh! バラン。Yes, Yes」
 とまぁ、こんなとこで「俄かクメール」が活用されるとも思ってなかったですが、なんとか「フランス」ってことは伝わったようです。
 
 その後、湖に浮ぶ教会を見たりしながら航行を続けてると、「魚の展示場があるので見ていきませんか」と。
 水族館みたいなものでしょうかね。そんなものが湖にあるとも知らなかったので、面白そうだったこともあり「Yes」の返事をしたんです。
 ボートは湖の中に浮ぶ施設の、少々心許ない桟橋に停泊しました。
 その建物には見よう見まねで書いたと思われる「魚の博覧会」という日本語が見え、観光スポットにしようという目論見らしいです。
 桟橋から建物に入ると、湖にせり出すように生簀が並んでます。いや、展示をするのが目的なので「いけす」という表現はおかしいのかも知れませんが、これはどう見ても魚を養殖してるようにしか見えません。船頭のおじさんがエサをグイッとつかんで魚めがけて投げ込むと、バチャバチャと大きな魚が大暴れ。観光客ウケはするかもしれませんが、観光客が来たときにしかエサをもらってないんじゃないか、という勢いですね。
 生簀を囲む柵の上にはツンと澄ましたペリカンがとまってます。あまりに動かないんで置物かと思ったくらいです。
 魚を狙うでもなく、エサを横取りするでもなく、ひたすら日光浴を続けてるんで、ペットなのかもしれないですね。
 
 おじさんの後ろについて歩いていくと、壁に囲まれた建物内部へと案内されました。ここには大きな水槽がいくつも並び、なんとなく水族館らしくは見えます。英語とクメール語で名前が書かれているので、それを参考にしたりしながら歩みを進めていきます。
 さすがに珍しい魚も豊富にいて、面白いですよね。ところどころに解説らしきものもあり、観光客誘致の苦労が見えます。
 と、一通り楽しんだところで、船頭のおじさんがそばに立ちました。
 
「この島の入場料、一人5ドルを頂きます」
「え?」
「お2人で10ドルです」
「No! 聞いてないよ。払わないよ」
「それは困ります」
「でも、高すぎる」
「そう言われても…」
「(さっきのに)含まれてると思ってたからね」
「判ります。でも、私はここのオーナーに支払わなければならないんです」
「…」
 そんなの、勝手じゃん。別料金なら上陸するはずもないですからね。
 彼女からは「値切れ値切れ」との熱い眼差しが浴びせられるんで、もう一度
「高すぎる」
 と。
「2人で5ドルなら支払う」
 とも言ってみたんですけどね。なんか、泣きそうな表情で、
「私はオーナーに立て替えてるんです」
 と。まさに、大阪弁で言うところの「そんなもん、知らんがな」って感じになったんですが、船を出してくれなくて監禁されてもイヤなんで、
「上限は8ドル」
 と、折れてみたんです。そしたら、オーナーに相談してみます、とのことで、なんとか2人8ドルで決着しました。いや、これは完全に負けですよね。まるで「ぼったくりバー」に入ってしまったような気分です。払い終わると「では、ごゆっくり」という感じで、どこかに消えちゃいました。
 といっても、魚を見る気力も失せ、お土産を見てもうるさく付きまとわれそうなんで、トイレだけ済ませて「もう行く」と。
 そしたら奥の部屋で、オーナーらしき人の横でビーチチェアのようなゆったりとしたイスでくつろいでるじゃないですか。かなりあきれながら船へと乗り込みました。「ぼったくり水族館」にはご注意を…。
 
「ごめんなさい、私も儲けが少ないですから」
 と、妙な言い訳をされたんですが、あまりに後を引きすぎてもこれからの行程が面白くなくなりますから、とりあえず今のはリセットして、楽しむことに専念してみました。
 
 周りの風景は幅の広い川、というのか幅の狭い湖、というのか。湖面から草が数十センチの丈で顔を出してます。だから、増水した河川、という感じがします。それもそのはず、乾季には草原となっているはずであろう場所ですからね。数ヶ月も水の中に入って根が腐らないんですから大した草です。まぁ、そういう環境だから育つ草なんでしょうが…。
 
 そんな景色を楽しんでいると、後ろに積んであるエンジンが妙な音を立て始めたんです。いや、これは今に始まったことではなく、乗った当初から頼りないエンジンと思わせるに相応しい弱々しさを出してましたから、それが顕著になったということかもしれません。で、ボコン、ボコンと間をおいて異音が発生するもんですから、操縦席に座っていたおじさんが、僕たちの後ろに座っていた子供を呼びつけ、自ら船体後方へと歩いていったんです。
 そしてエンジン周辺を眺め回し、なにやら点検をしている様。
 
 呼びつけられた子供ですか? その子はちゃんと仕事をしてますよ。操縦席でハンドルを握って…、って、おいおいこんな子供に僕たち2人の運命が預けられてるのかよ、ってツッコミたくもなります。船はそのまま真っ直ぐと走り続け、顔を出す草の数も減ってきています。そろそろ本来の湖へと近付いてきたようです。
 
 おじさんはと言うと、エンジンの調子を様子見中で、そのうちラチがあかんということか、Tシャツとズボンを脱ぎ、腰巻き一枚になって湖に飛び込んじゃったんです。スクリュー辺りの確認なんでしょうね。黄色と黒のチェックの腰巻きに水を滴らせながら船に戻ってきてからも、なおもエンジンの調子を確認中です。
 やっぱりとんでもない船に乗り込んじゃったようです。
 
 なんとか正常(あくまでもおじさんの主観ですが)になったようで、操縦を子供から自らの手に移し、先へと進めます。
 周りから草の姿が見えなくなってしばし、船が止まりました。止まってしまったんではなく、意図して止められたようです。
「さぁ、湖に着きましたよ」
 という感じですかね。
 エンジンが止められると、それまでボンボンボン…と唸り続けていた後方からの音がパッタリと消え、急にシーンとした静寂の世界が訪れました。
「おーぉ」
 すごいじゃないですか。この時ばかりは2人して、先ほどの騒動を忘れてましたね。
 見渡す限りに水面が広がっています。
 これはもう、海ですね。沖合いで漂流する船に揺られていると、時間がひたすらにゆっくりと流れていきます。
 遠くに同じような船が見え、その船から人が湖に飛び込んだようです。
 
「あなた達も泳ぎますか?」
 と聞かれたんですが、さすがにパス。泳げば気持ちよさそうではあるんですが、ちょっと遠慮しておきました。
 
 ボートの舳先に彼女と一緒に腰を下ろしてるところをおじさんに撮ってもらったり、おじさんと子供とに挟まれてる写真を彼女に撮ってもらったり。ほどほどに昼下がりの太陽が射し込む湖上での、ゆったりとした時間をしばらく楽しんでいました。
 
「では、行きましょうか」
 十分にトンレサップ湖上でのひと時を楽しんだ頃、船のエンジンが再び唸りを上げ始めました。
 大きく弧を描き、トンレサップの中心部に背を向けるように進みます。
 
 が、エンジンの調子は相変わらずのようで…。
 再び子供がハンドルを握ります。やっぱりかい…(^_^;)
 
 しかも今度はかなり岸近くまで子供に命を預けられてましたね。大概の場所では特にハンドル操作なしでも巡航できるんですが、時折、ハンドルを操らなければ草むらに突っ込んだりしそうになるんです。船は車輪のある車とかとは違い、針路を修正した後も惰性で曲がり続けるんですね。その計算が出来てるのかどうか、どうもフラフラしてるような気がします。
 沖へと向かう同じ規模のボートとすれ違うこともあり、その度にヒヤヒヤしてたんですが、そのボートに乗る西洋人観光客の紳士が子供が操縦する僕たちの船を見て「Oh!」という表情をしてたのが印象的でした。そりゃそうでしょう…。
 
 再び水上家屋が見え始めると到着も間もなくです。
 湖上には見かけがかなり立派な高速船が見えます。これは首都プノンペンへ行くスピードボートです。このシェムリアップ寄りの港からトンレサップ湖とトンレサップ川を下ってプノンペンまでを4〜5時間で結んでいるんだそうです。プノンペンからは川を遡る事もあり、5〜6時間だそうですね。料金は25ドル。飛行機が同区間を55ドルだそうですから、安いですよね。もっとも、安いのがいいのならピックアップトラックの荷台へどうぞ。昨日も紹介しましたが、交渉次第で3〜4ドルだそうですから…。
 
 ベトナム人水上生活者の合間を走り抜け(さすがに操縦はおじさんに代わってます)、出発した桟橋へと戻ってきました。たくさんのボートが溜まる中を、とがった舳先を利用して押しのけ、岸へと到着です。船を定位置に付けるために数人の少年が乗ってきました。さて、降りましょうか、と思った頃、一人の少年が立ちふさがったんです。
「彼らにチップをやってください」
 と。さすがに、彼女と共に
「はぁ?」
 と言いましたね。
 どこまで金を巻き上げれば気が済むんじゃぁ〜、と思いましたが、これ以上係わり合いになるのもイヤで、数ドルを握らせて船を下りました。
 
 そばで待っていてくれたブンニーさんに付いて、カムリの停めてある場所へと歩きました。
 ブンニーさんと僕たち2人の間には若干の距離があって、彼女と小声で話をしました。もっとも、日本語ですから小声である必要はほとんどないんですが。
「あの30ドル、って誰に行くのかなぁ」
「船の持ち主?」
「運転してたおじさん?」
「でも、今のチップは?」
「あの子にも渡って欲しいよね」
「あ、ひょっとして紹介者にも?」
「うーん。ありえないとも言えないね」
 
 なんだか判らない世界です。そもそもブンニーさんって何者なんだろう、って話にも。昼食場所ではお店の中でハンモックに揺られたり、一緒に手伝ったり。いや、これがカンボジアの観光事業の一般的な姿なのかもしれないですね。要は持ちつ持たれつ。観光客を紹介する代わりに昼食代をまけてもらったり、分け前をもらったり。案外と判りやすい構図なのかも。
 でも、今回のトンレサップ湖ではあからさまにボラれましたし、それにブンニーさんも噛んでるんではないかという疑惑があるだけに、シェムリアップの中心部へと向かう帰り道は、なんとなく気まずい雰囲気になっちゃいました。まぁ、これはこちらサイドの2人が勝手に思ってるだけなのかもしれないですけどね。
 
 そんなこともあってクロコダイル・ファームも意識の外。しばらく走り続けて、ボレイ・アンコール・ホテルへと到着しました。
 昨日の夕方の約束で、今日はブンニーさんお勧めの「アプサラ・ダンスのショー」が見られるレストランへと連れて行ってもらうことになってます。ですから、「では、後ほど」ということでホテルのエントランスに入りました。
 
 
 アプサラの舞に酔う
 
 約束の時間にブンニーさんの出迎えを受けました。
 向かった先はオールド・マーケット近くのとあるレストランです。名前は「ジャスミン・アンコール」。ショーが終われば迎えに来ます、というブンニーさんとお別れして、店員の案内で中に入りました。
 正面に大きな舞台があり、手前にはテーブルが並んでいます。ステージと客席の間の中庭には木々の植え込みや松明もあり、雰囲気を出しています。
 
 案内された席は舞台から見て2列目となるテーブルです。1列目は「Reserved」となってますから、2列目を確保できたのは機転を利かせてブンニーさんが出発時刻を繰り上げてくれたからでしょうね。3列目以降のテーブルにもポツリポツリと客の姿が見え始めました。
 とはいえ、ステージがすぐに始まる様子は見えないんです。それ以前に、何時から始まるかも知らないんですが…。
 
 ここはレストランですから、オーダーしたのはアプサラ・ダンスを見るディナーショーです。料理はバイキングとなっていて、客席の周りに配置されたテーブルに盛り付けられた料理を好きなだけ食べられます。
 僕も彼女も、「食事をしに」というよりは「アプサラのショーを見に」来たので、ショーの間は見ることに専念しそうなんで、先に食べちゃおう、ということに。
 で、着席と共にオーダーしておいたビールが到着するや、テーブルを立ちました。
 
 メニューは色々なものが並んでます。ほとんどがカンボジアンなんでしょうが、残念ながら名前を知らないんですよね。とはいえ、名前を知らないからといって食べられないわけではないのがバイキングのいいところで、美味しそうなものをプレートに山盛りにします。
 バーベキューコーナーでは、牛肉や鶏肉、魚やイカ等をタレ付きで焼いてくれ、お皿に載っけてくれます。
 妙に嬉しそうな顔をしながらテーブルに戻り、注ぎあったビールが入ったグラスで乾杯。美味しい食事を頂きました。
 バーベキューの肉がやや生っぽかったような気もしたんですが、美味しかったので許します。とにかく美味しいんです。
 ステージが始まるまでに、すでに何往復かを繰り返してましたね。彼女は既に呆れ気味かもしれませんが…。「僕と食べ放題」切っても切れない仲ですから(笑)
 
 デザートも並んでいたんですが、これはさすがに手を付けずに置いておきました。ステージを見てから最後に食べるつもりです(^_^;)
 
 1列目のテーブルにも客が来ました。でも、予約客ではなく別グループです。予約席に来た客は、一旦席に着いたものの荷物を持ってどっかに行っちゃったんです。で、その席が予約席でなくなりましたから、別のグループが来たというわけです。
 でも、なぜか気になっちゃうんですよね、そのグループが。日本人以外なら大して気には留めなかったんでしょうが、喋る言葉が日本語の、しかも若者言葉だったから気にならざるを得ない、というところでしょうか。
 聞くともなしに聞いていると、男女2人ずつの4人組かと思っていたら、どうやら男女それぞれ2人ずつのペアが、たまたまこのシェムリアップで知り合った、という感じなんですね。
「何歳なの?」「え〜、何歳に見えますぅ〜」とか…。
 まぁ、否定をするつもりはないですけどね。でも、それはステージが始まってから一転したんです。
 
 定刻より遅れて、というか定刻なんてなかったのかもしれませんが、ついに幕が開きました。
 客席のみんなが拍手で迎えます。登場したのは数人のアプサラたち。
 頭に金色に輝く冠を被り、それぞれが色鮮やかな衣装に身を包まれています。なかなかいい感じです。
 
 アプサラの踊り、というのか舞というのか、その動きはアンコール遺跡群のレリーフに見られる姿そのもので、ゾクゾクとした感銘すら受けます。手首に始まり、腕や腰を器用にくねらせ、独特の動きをするんですね。
 ゆっくりとしたその動きは、宮廷舞踊と呼ぶに相応しいものです。バックに流れる宮廷音楽もが相俟って見とれるに十分です。
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 でも、よく見ると彼女たちの息がぴたりと一致しているわけではなく、微妙にズレてるんですね。だから、なんとなくプロフェッショナルというよりは学芸会に見えたりするときもあるんです。これは歴史的に仕方のないことなのかもしれないですね。
 というのもポル・ポト政権時代に粛清という名の下に伝統芸能を伝えるべき多くの先生たちが処刑されたらしいんです。そのため、難を逃れた先生たちによって、本当に細々とした活動から復活を果たしたということのようです。ですので、現在、熟練したアプサラの踊り手はいないんですね。アプサラのあるべき姿を勉強しつつ、その舞を完成させていくという、まさに勉強中という段階なんです。彼女ともども、応援したいですね。カンボジアの文芸復興に期待を込めて。
 
 でもねぇ、前に座る4人組、何とかならないですか。
 アプサラの踊りが始まっても、その前からの会話が延々と続いてるんです。その内容といったら、コンパそのものですね。
 「見る気がないなら出てってよ」って感じです。彼女もその姿越しに踊りを見るのがイヤだと見えて、前方に歩いていき、最前列から写真を撮ったりしてます。
 彼女は何か言いたげではあるんですが、僕はその時、思ってました。「旅行先で出会うのが悪いことだとは思わないんだけどねぇ…」と (^_^;)
 
 ステージは何部かの構成で成っていて、女性だけ(アプサラだけ)の舞台の後、男性をもまじえたものや、ソロというのか、主役一人が舞ったり、それに数人が加わったりと、なかなかに興味深い時間が過ぎていきました。
 
 ショーが終了したら、その余韻を楽しむ人、そそくさと退場する人、色々ですね。結局、最後まで鑑賞することなく喋り続けていた件の4人は終わるやいなや退散していったんですが、僕たち2人はというと、余韻を楽しんでいる暇も惜しんでデザートを貪りに立ち上がりました。
 プレートとカップにカボチャ・プリンや寒天入りココナッツ・ミルクといった甘味や、ランブータン、ドラゴンフルーツなどの果物を盛り付けてテーブルに戻ります。
 ショーはショーとして楽しみましたけど、やっぱり「食」も楽しまなくちゃ、ね。
 ココナッツミルクをふんだんに使ったデザートが多いんですが、それぞれに味が違って美味しかったですね。味だけじゃなく、食感の面白さもあります。カンボジアン・スイート、なかなかいいです。
 
 ほぼ全種類のスイートを平らげてテーブルを立ちました。
 ショーもディナーも堪能できました。ブンニーさん、ありがとう。
 
 外に出れば雨が降ってました。ブンニーさんの待つカムリに駆け寄り、発車を待ちます。前に止まっている車が邪魔をして動けないようですね。クラクションを鳴らし、前の車が移動したところで僕たちの車も出発です。
 雨の中を走り出して数分、ボレイ・アンコールに到着しました。
 
 雨をしのげる屋根のあるエントランス前に3人が並びました。ここで3日分の料金の精算です。約束したチャーター料に、若干のチップを上乗せして支払いました。3日間、ありがとうございました。
「で、明日は?」
 と聞くブンニーさんに対して彼女が答えます。
「明日はちょっと休みたいんです」
 明日は、観光らしい観光は中断して、シェムリアップの街中をブラブラと散策したいと考えてるんです。オールド・マーケットでの買い物その他色々と。
「OK。ではまた、必要なときは声をかけてくださいね」
 と、ここでブンニーさんのお仕事は終わり、車に戻られました。
 僕たちもホテルの中へと入ります。
 
 フロントでキーを受け取り、部屋へと戻ります。
 シャワーを浴びたり、彼女と明日からの予定を話したり。楽しい一日はあっという間に終わりますね。
 明日はシェムリアップの街を散策の予定。観光続きだったこの3日間と対照的にのんびり過ごすつもりです。マーケットをひやかしたり、屋台で食事をしたりと、主だった観光はないものの楽しみは一杯です。
 では、おやすみなさい。

≪5日目へ続く(予定)≫

(2002年夏・カンボジア 4日目・終わり)

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