(番外編:2003年冬・北海道/オホーツク流氷の旅)

長い文章ですので、常時接続でない方は一旦接続を切られた方がよろしいかと思います。イラストを拡大する時は再接続を。


 2月11日(火) 第4日目 紋別〜宗谷岬〜稚内

 今日も朝が早いんです。
 紋別バスターミナルを8時45分に発車するバスに乗車します。
 ホテルからバスターミナルは歩いて5分ほど、ということで8時15分にチェックアウト。雪の積もる歩道をターミナルに向かって歩きます。でも、暖かいですよね。今日も。
 昨日、一昨日と、道東では3月上旬並みの陽気だったそうで、今日も風がなく暖かく感じます。
 僕が大学時代に紋別へ来たときは、札幌からの夜行列車でJR石北本線の遠軽駅に早朝4時頃降り立ったんですが、駅前にあった温度計は氷点下14度をさしてましたからね。8時ごろには何度になっていたかは知らないですが、紋別市内もそれなりに寒かったように記憶しています。
 そんな話をしながらバスターミナルに到着。
 これから乗るのは、紋別発稚内行きの冬季限定バス「流氷ラインバス・ポールスター号」です。このバスは興部(おこっぺ)・雄武(おうむ)・枝幸(えさし)・浜頓別(はまとんべつ)と、オホーツク沿岸を走って5時間30分で稚内とを結んでいます。紋別から稚内までおよそ200km。高速道路はなく一般道だけで、しかも雪道ですからこんなもんでしょうね。でも、このバスがなければもっと足が悪いんです。雄武・枝幸・浜頓別と路線バスを乗り継いで行くと、接続がよくても8時間前後かかります。便利なバスなんです。
クリックすると拡大表示されます

 僕たちは、稚内まで行かず、その手前の宗谷岬で下車します。それでもここから4時間30分ほどかかります。
 チケットを購入して待合室へ。でも、待合室にはやたらとバス待ちの人が多いんです。2日目に立てた予想では、稚内まで乗客6名。でも目の前にはもっと多くの人の姿が。なんとなく気になってちょっと早めですがバス乗り場に向かいました。
 そしたら、多くのお客さんは同じく8時45分に発車する旭川行きの特急バス「オホーツク号」待ちだったようで…。ポールスター号と掲げられた乗車口にはわずかに二人ばかりが並んでいるだけでした。
 が、その二人もガリヤ地区(ガリンコ号ステーションを中心としたエリア)へ向かうバス待ちと判ったんです。彼女と顔を見合わせて「…」。
 
 稚内行きのバスはガリンコ号ステーションを8時35分に出発してこちらへ来ますから、バス到着は8時45分の直前です。
 やってきた大型観光バスのドアが開いて乗り込むと、僕たちが最初の客だったようです。次に続いて乗ってきたのが大きなリュックを背負った二人のカップル。最初、気が付かなかったんですが、彼女が言うには昨日の網走からのバスで浜佐呂間から乗ってきた二人だと。そういえばそうですね。
 で、45分になりました。ドアが閉まります。
 結局、紋別からはこの4人だけ。予想していたのは僕たち二人と熟年カップル、それに一人旅の若者二人、だったんですが、実際には物好きカップルが二組だけ。では出発進行!
 
 バスはオホーツク沿岸部を走ります。海岸ぎりぎりの道路ではなく、やや内陸寄りの国道を走っていたんですが、少しばかり高いところだったようで、海がきれいに見えました。流氷は昨日の風で、やっぱり遠く離れてしまっているようですね。
 このバスは昨日の流氷ロードバスとは異なり、ワンマンバスです。時折観光ガイドのアナウンスがテープに録音された声で流れてきます。ガイドさんの肉声がないからか、オホーツクの海が静かだからか、バスの中には妙な静寂間が漂ってます。って、一番の理由は乗客の少なさなんでしょうけどね…。
 
 30分ほど走れば最初の停留所、興部です。かつては遠軽駅から紋別を経由して、ここ興部を通り、宗谷本線の名寄まで鉄道が走っていたんですよね。興部からはオホーツク海沿いに雄武まで興浜南線が延びてましたから、乗換駅ということもあり大きな駅だったんでしょうか。今はその面影もありません。ただ、走行中に見た景色の中で、サイクリングロードとして整備されている道路が、かつては線路だったんだろうなぁ、と想像させるところはありました。鉄橋がそのままの姿で残っているところもありましたからね。
 網走から稚内までおよそ300km。時間と体力があればサイクリングをしてみたいところです。(もちろん夏にね)
 
 日の出がきれいに見えるという日の出岬を通り過ぎて9時50分、雄武に到着。5分ほどの停車の後に出発します。
 走行中、右手に見えるオホーツクは、時折流氷が近付いて見えることもあるんですが、一面にひろがる流氷、という姿はなかなか見られませんね。
 雄武から走ることおよそ1時間。10時50分に枝幸に到着です。
 ここで一旦バスを降ります。といっても観光とかではありません。バスを乗り換えるんです。
 
 あれ?直通バスじゃないの? と誰もが思うところ。後方に陣取っていたもう一組のカップルも、「そんなことどこにも書いてないじゃん」とかブツブツと。ガイドブックにもバス会社発行の案内にも「紋別−稚内」とありますし、バスそのものにも「ポールスター号 紋別−稚内」とあります。僕は昨年末に問い合わせの電話を運行会社である北紋バスにかけていて、このからくりを聞いていたんですが、何も知らなかったらびっくりしたでしょうね。雄武に停車中に、紋別で乗車するときに渡した乗車券を「枝幸からのバスの運転手に渡してください」と返されたときも僕は不思議に思わなかったんですが、後ろではどう思ってたんでしょうね。

 枝幸は紋別と稚内のほぼ真ん中に位置しています。紋別と稚内から同じような時刻に2台のバスがそれぞれの目的に向かって走り出し、ちょうど同じ時刻に枝幸に到着するんです。ここで紋別からの乗客は稚内から来たバスに、稚内から来た乗客は紋別を出たバスにそれぞれ乗り換えるんですね。なぜにこんな面倒なことを…、と思うんですが、紋別から枝幸まで往復するのが紋別を拠点にする北紋バス、稚内から往復するのが稚内を拠点にする宗谷バス。それだけの理由です。
 1日1便なんで、午後2時前後に反対側に着いたバスと乗務員が翌日まで待機するのは無駄だから、なんでしょうかね。バスはともかく乗務員は宿泊を伴いますから。確かにこのスタイルだと北紋バスと宗谷バスがそれぞれ1台と1名の乗務員でやりくりできるわけです。この乗客数を考えれば致し方なし、というところでしょうね。
 
 待合室には稚内からのバスに乗っていたおじさん1人と、紋別からの4人がいるだけで、閑散としてます。両者とも発車は11時20分前後で、30分ほどの時間があります。それを利用して2人で街に出てみました。
 といっても何があるわけでもなく、数軒隣のスーパーマーケットに入って魚介物売場をうろついたくらいですかね。
 面白いのはバスターミナルの前に建っている三角屋根の食堂です。名前が「駅前食堂」。かつての北見枝幸駅の駅前です。ここから浜頓別までは興浜北線として浜頓別まで鉄道線が走っていました。廃止されたのが昭和60年6月のことですから、当然ながら、それ以前から駅前食堂なんですよね。この食堂とバスターミナルを隔てる道路は「興浜線通り」という名称ですから、地元の方々の全線開通への思いは強かったのかもしれないですね。ちなみに全通していれば網走-(勇網線)-中湧別-(名寄本線)-紋別-(名寄本線)-興部-(興浜線)-北見枝幸-(興浜線)-浜頓別-(天北線)-南稚内-(宗谷本線)-稚内と、網走から稚内までオホーツク沿岸を列車で走ることが出来ていたんですよね。それが今ではすべて廃線になってしまいましたから寂しいものです(南稚内-稚内は現存してますのでお間違いなく)。
 こんな話を、戻ってきたバスターミナルの待合室で彼女にしていたんですが、やっぱり鉄道マニアなんでしょうか…。
 
 ターミナルに横付けされた宗谷バスの大型バスに乗り込んで、出発を待ちます。僕たちが前方、もう一組が後方、というのはそのままです。指定席ではないんですけどね。
 枝幸から先は日本海から吹き抜ける強風が積もった雪を撒き散らす地吹雪(ブリザード)で有名な区間のようです。でも今日は幸いにも天気がよく、穏やかな天候の中を走り続けています。
 枝幸を出ておよそ30分、お昼前に浜頓別に到着です。バスターミナルの前には大きな建物を模した雪像があったんですが、見ているとブルドーザーが壊しているようです。札幌の雪まつりはまだ開催中ですが、ここのお祭りは終了したんですかね。今日は建国記念日ですから人出も多そうな気がするんですが…。
 
 浜頓別から浜鬼志別にかけては左にクッチャロ湖が広がる北オホーツク道立自然公園です。湖とはいえ、今は巨大な雪原ですから、見たところ今までの景色の延長です。
 浜鬼志別を出てしばし、日本最北端の市、稚内市に入ってきました。さらにしばらく走ると見覚えのある集落が目に入ってきました。大岬です。大学の3年の時にここにある日本最北端の郵便局「大岬郵便局」に立ち寄ってます。ここまで来れば宗谷岬は目と鼻の先です。
 
 1時前、予定よりも数分早く宗谷岬バス停に到着しました。
 ここで後方に座っていたカップルも下車しましたから、全員下車ですね。
 
 まずは…。やっぱり宗谷岬のシンボル、日本最北端の碑でしょう。三角形をした大きな碑で「日本最北端の地」との石碑が印象的です。とんがった三角形の碑が最北端らしさを感じさせますよね。
 ここで写真を撮りあって、「2人の写真も撮ってもらおうよ」と例のカップルの到着を待ちます。
 その間に間宮林蔵の銅像と写真を撮ったり、海を眺めたり。雲が広がってきていてるので、遠景は望めませんが、晴れ渡っていればわずかに40kmほど先のサハリンがくっきりと見えます。僕も、夏に来たときは見えたんですよ。そういえば、ソビエト連邦からロシア共和国に変わってすぐの頃でしたね。時代を感じます。
 彼女のカメラで2人並んでの写真を撮ってもらってから、昼ご飯を食べるために食堂に入りました。入口近くのテーブルには格闘中の1000ピースはあると思われるジグソーパズルや、編みかけの編み物と毛糸球が転がってました。観光地といえどもこの季節は時間を持て余すんでしょうね。
 帆立味噌ラーメンを食べながら、バターコーンラーメンを食べる彼女と、ひそひそそんな話をしてました。
 (…この文章を書きながらふと思い出したんですが、帆立の味噌とバターコーンって、一昨年北海道に来たときに札幌で食べた組み合わせですよね。全然意識せずに注文したんですが…)
 
 食事の後は丘陵になっている公園を散歩します。
 最北端の灯台があったり、風車が見えたり。この季節、観光客は宗谷岬の日本最北端の碑を見るだけで帰ってしまう人が多いのか、この公園は下手をすればひざまで埋もれてしまうほどの積雪の状態です。夏に来たときはどんなのだったかな?と思い出すのに時間がかかるほど一面が真っ白です。
 他に誰もいないので、雪の上で寝転がってみたり、カメラを持った左手を前方に伸ばして2人の写真を撮ってみたり。雪の積もった宗谷岬を楽しんでみました。
 
 公園からバス停近くへと戻ります。道路わきに設置してある電光掲示板には現在の気温が-4℃と表示されていました。確かに今までよりそれなりに寒く感じますね。
 バス停の待合室に入ります。ここには隣の土産物屋のアイデアで雑記帳が置かれていて、日本各地から最北端の地を訪れた思い出がメッセージとして書き綴られています。2冊あるノートは全て書き尽くされてました。でも、記念に名前を残したい、というのは万人の思いなのか、待合室の壁は至る所にメッセージが残されていて、落書きと化しています。
 それらを眺めていると、稚内駅へと向かうバスがやってきました。
 
 ここから稚内駅まではバスでおよそ1時間。
 右手に灰色の海が広がっているのが見えます。宗谷海峡です。宗谷岬とサハリンとを結ぶラインよりも西側ですから、さっきまで眺めていたオホーツク海ではなく、日本海ですよね。荒々しい冬の日本海です。
 
 稚内空港のある辺りを過ぎれば単発的な集落ではなく、街の雰囲気が漂い出してきます。南稚内を過ぎれば立派な街ですね。
 4時前に稚内駅前にあるバスターミナルに到着しました。
 街歩きの前に、まずはホテルに荷物を置きに出かけます。
 今日の宿泊は駅から歩いて数分のところにある「稚内サンホテル」。チェックインを済ませてとりあえず部屋へと入りました。落ち着いてしまうと、なかなか腰を上げにくいんで早めに出発です。

 稚内で見ておきたいのは稚内港北防波堤ドーム(略称・北防ドーム)でしょうね。僕のお勧めです。
 半円形のドームで、東西に数十メートルにわたって伸びています。作製された経緯は忘れてしまいましたが、寒い北風を防ぐのに作られたことだけは確かでしょうね。
 が、近づけないんです。
 ちょうど、どこかのテレビ局が撮影に来ていて、リフト車を使って下から上へとパーンしながら撮影するなど、凝った撮影をしているんです。そばで、「通られますか?」と聞かれたんですが、これは「通り過ぎますか?」ということなのでカメラで撮りたい僕たちは「また後にします」と、その場を離れました。
 北防ドームと道路をはさんだ歩道は雪かきで左右に1m近い雪の壁が出来ています。その歩道を歩いてフェリーターミナルへ。冬季はここから1日に2往復ずつ、利尻島・礼文島へとフェリーが出ています。この時期の観光はどうなんでしょうか。礼文島へは、低地であるにもかかわらず緯度の関係で高山植物が咲き誇るという6月〜7月に訪れたいですね。6月…、休みにくい時期ですよね(笑)
 
 やや暗くなり始めた5時過ぎ、ドームに点々と灯った街灯がいい雰囲気を出しています。僕の好きな理由でもある「最果て」感が十分に漂っています。稚内らしい、というか、日本の最北らしい独特の雰囲気なんですね。いい感じです。
 
 観光を終えたところで少し街歩き。どこかでお土産物を見たいなぁ、と思ってるんです。まだ6時前なんですが、飲食店以外は早々と店を閉めているところも多いですね。結局ぶらぶらと歩いてみたものの収穫はなく、時間もほどほどになったところで、稚内での夕食に、と目をつけていたお店へと向かいます。ネットで調べたお店が「車屋・源氏」さん。郷土料理のお店で稚内名物のタコしゃぶを食べさせてくれるんです。タコしゃぶは大学時代に稚内に来たときに食べたかったのに食べられなかった料理で、今回はそのリベンジでもあるんです。
 ところが…。なんとお休み。ネットには不定休、とあったんですが、よほどのことがない限りは開いてるだろうと思ってたんですよね。リベンジの夢が…、とショックを受ける僕を慰めてくれる彼女とともに、一旦ホテルへと戻りました。
 ホテルのスタッフなら有力な情報を教えてくれるはず、と、再びフロントへ。
「タコしゃぶを食べたいんですが…」
 というと、待ってましたとばかりに一枚の地図を差し出して、流暢に、一軒のお店とそこまでのアクセスを教えてくれました。意外にもタコしゃぶを食べられるお店は少ないそうなんですね。
 
 教えてもらった「竹ちゃん」へと向かいます。
 カウンターのある居酒屋で、そのカウンターに並んで座りました。注文したのはタコしゃぶ御膳。タコしゃぶの他に刺身など、数点のおかずとご飯、お椀が付きます。
 タコしゃぶとは、生きたミズダコを急速冷凍して、薄くスライスしたものを昆布だしが出たお湯に通して食べるもので、これがまた美味しいんです。昨日の蟹しゃぶに続けて食べるので見劣りするかなと思っていたんですが、引けをとらないくらいに美味しかったですよ。それに、単品で注文した白子の天ぷら。もう言うことなしです。
 ビールもすすんで、ほろ酔い気分でお店を出ました。旅先で、その土地の美味しいものを食べる、これが最高の贅沢ですよね。ごちそうさまでした。


 2月12日(水) 第5日目 稚内〜東京

 目を覚まし、窓の外を見ました。真っ白です。目を疑うくらいに…。
 昨日の夜から降り続いていたんですかね。道路もビルの屋根も真っ白です。で、今もなお、しんしんと降り続いています。
 駅近くの駐車場では大型のブルドーザーが除雪作業を行っています。ひとすくいで小さなトラックの1台分くらいはありそうですが、それで除雪できる面積はほんの一部なんです。かなりの大雪です。
「見て見て」
 と、彼女を喜んで彼女を起こしたものの、一抹の不安が…。「飛行機、飛ぶの?」
 
 出発の準備をして、もう一度窓の外を見ます。昨日の夕方ははっきり見えていた北防ドームが雪でかすんで見えないんです。かなりの雪のようですね。でも、ホテルでじっとしていても面白くないんで、とりあえず出かけましょう。
 フロントでチェックアウトを済ませ、僕も彼女も大きなリュックを預けておきます。午前中はノシャップ岬に遊びに行って、稚内空港への連絡バスが出る時刻にあわせて戻ってくる算段です。
 
 エントランスのドアを開けて外に出ます。
「うわっ。す、すごいよ」
 雪で100メートル先がまったく見えないんですね。行き交う自動車は当たり前のようにヘッドライトを点けていますが、その車ですら相当に近付かないと判らないんです。
 とりあえずバスターミナルに行こう、と駅前を通り過ぎます。駅前には、誰が作ったのか、ウサギとクマとアザラシの小さな雪像があったのを昨日の夕方に見ていたんですが、その雪像がすっかり雪に埋まってしまってます。かなりの積雪量のようですね。
 バスターミナルまで来てみたんですが、ターミナルからノシャップ岬へ行くバスは便数が少なく、ここから少し離れた駅前通のバス停から乗車するのが便利なようです。で、雪の降りしきる中を、その駅前通停留所へ。雪はますます激しくなり、2〜30メートル先も見通せなくなってます。信号とかヘッドライトとか、光を放つものがかろうじて遠くからでも判るかな、という程度ですね。
 バス停に着いてから、いつ来るとも判らないバスを待ちます。どの車もスピードはノロノロで、バスが定時運行しているとも思えないですからね。でも、この路線は休日でも9〜20分間隔で運行しているんで、いつかは来るんでしょう。
 大きなヘッドライトが近付いてきて、「あれかな?」と思えば大型トラックだったり、ということが数回続いて、ようやくノシャップ行きのバスが到着しました。

 乗っていたのは僕たちの他には数名。でもいずれもが地元の方々で、ポツリポツリと途中の停留所で降りていきました。
 駅前通で乗車して、十数分で終点のノシャップに到着です。下車したのは僕たち2人だけ。雪は相変わらず激しく、とりあえずバスの待合所へと避難しました。ここで、マフラーを締め直し、防寒・防雪対策を施していざ出発です。
 雪が激しい、というか、風が強いのでブリザードなんですよね。視界が全く利かない、というのはこういう事を言うんでしょうか、どこを見ても10メートル以上先が見えないんです。ですから、どっちに灯台があるかすら判らないんです。おそらく雪が降ってなければ迷うことなどありえないんでしょうけどね。
 
 いくつかの民家の前を通り過ぎます。このとき思いました。自宅前で遭難するのも笑い話じゃない、って。それくらいの勢いです。
 冷たい風が顔に当たり、頬の上が凍ってるような感じです。雪が当たって、「冷たい」んじゃなくて「痛い」んです。毛糸の手袋を頬に添えても、既に手袋にも雪が凍り付いてますから、どうしようもないんです。
 ようやくノシャップの灯台が見えてきて余裕が出てきたのか、「観光客じゃなくて探検隊みたい」って冗談も言えるようになったんですが、まさにそんな感じです。観光客が来る環境ではないです。実際、観光客なんて周りには誰一人見えないですし。
 ノシャップ岬灯台は島根県の日御碕灯台に次いで高い灯台だそうです。赤と白とに塗り分けられた背の高い灯台を眺めて、ゆっくりする間もなく、移動です。じっとしてると凍りつきそうですから…。
 
 灯台から少し歩いたところに広場があり、ここに「ノシャップ岬」と書かれた木製の看板が立っています。晴れていれば海を挟んで利尻島にそびえる利尻富士が見えるそうなんですが、今日のこの天候では数十キロも離れた島が見えるはずもないですよね。目の前にはグレーの日本海が広がって見えました。
 
 彼女の毛糸の帽子にもマフラーにも雪が積もり、見るからに寒そうです。僕もマフラーが凍りつき、手袋もパリパリです。
 ノシャップのバス停への帰り道、海鮮モノの販売店がありました。蟹を買って帰りたいなぁ、という思いがあったんで、とりあえず中へ。
 ひっそりとした店内では、お店のおばさんが暖かく迎えてくれました。
「あらぁ〜、どうぞ、あたってあたって」
 と、ストーブの前に案内してくれ、暖を取らせてもらいます。その間に話をしたんですね。
 今日のこの天気だから、誰も来ないんじゃないかと思ってた、ということなので聞いてみれば、こんなに荒れるのはこの冬初めてじゃないかとのことらしいです。すごいときに来たもんですよね。で、今日の飛行機で東京に帰る、という話をすれば、「飛べばいいけどね」と。彼女と顔を見合わせて、やっぱり…?
 
 凍っていたジーンズの裾が融けだして来た頃に、店内を散策。お世話になった分だけ、何かを買っていこうかと思ったんですが、手ごろなカニがなかったので、聞いてみればカニは別の水産業者から仕入れているので、小分けは出来ない由。残念ですが、お礼だけ残して手ぶらでお店を出ました。
 カニを求めて、ノシャップ停留所から稚内駅へと戻ります。
 岬よりも街中の方が雪は幾分かゆるくなっているように感じます。
 
 昨日の夕方にフェリーターミナルの前に見つけた稚内シーフードセンターへ。こちらも名前の通り海産物が所狭しと並んだお店で、雪を積もらせた僕たちを、おじさんが暖かく迎えてくれました。タラバや毛ガニを試食させてもらったり、いろいろと説明をしてもらったりして、カニを購入。
 ここでも、おじさんといろいろとお話させてもらいました。今日の便で東京に帰る、といえば、またしても「飛べばいいんだけどね」と。東京行きの便は、東京からの便の折り返し運用のため、稚内空港の天候が悪くて、千歳なり旭川なりの他の空港に着陸することになれば、その時点で稚内発の便の欠航が決まるんだそうです。要は、稚内には予備の飛行機などない、ってことです。飛行機は、離陸よりも着陸の方が天候に左右されるので、着いちゃえば少々の悪天候でも離陸はするんだとか。また、到着便にしても、稚内空港の上空で旋回してタイミングを見計るらしいんですが、そのタイムリミットが1時間だそうですね。上空で1時間の旋回中に見込みがなければ、他の空港を探して引き返すんだそうです。
 初めて聞く話ばかりでおもしろいんですが、自分たちが乗る飛行機がそういう目に遭うってことは、あんまりないケースだけに、何だか他人事のような気もしてきました。今日中に東京へ帰れるかどうか、という重要な話なんですけどね。
 
 お店を出る間際、「これ、サービス」と、北海道限定販売のキャラメルを頂きました。彼女とも話をしてたんですが、北海道の方って暖かい方が多いですよね。観光客にも暖かな北海道、大好きです。
 
 お店でカニとにらめっこする時間が長すぎたのか、時間もそれなりに経過してお昼に近くなってました。
 とりあえずホテルにリュックを取りに戻り、駅横の食堂に入ります。
 ここで食べたのが「肉丼」。本州では牛丼が当たり前のように氾濫してますが、北海道では牛丼よりは豚丼の方が人気があるんだそうですね。北海道のとある町に全国チェーンの牛丼の店が進出してきたときのこと、数年後、牛丼の店は人気のなさから撤退し、以前からあった豚丼をメインにしていた食堂が勝ち残った、という逸話もあるそうです。
 それほど、北海道では豚肉の消費が多いそうですね。で、食べてみれば美味しいんです。食べ終わった感想は、丼が牛肉である必要なんてないんだよなぁ、ってことですね。豚肉の丼、美味しかったです。
 
 バスターミナルから12時35分に出発する空港連絡バスに乗り込みます。
 手元にある携帯電話で全日空のサイトにアクセスしてみたところ、東京発稚内行きの571便は定刻に羽田空港を離陸して、順調に飛行しているようです。今の時点では他の空港に降りるという条件は付いてないみたいですね。
 
 バスは駅前から南稚内駅前を通り、238号線を空港に向けて走ります。
 左手に時折見える海は、荒々しく、激しい雪も続いています。運転席を覗いて見れば、ちょっと唖然としましたね。それこそ10メートル以上先が見えてないんです。
 次第にバスのスピードも落ちてきました。安全運転に努めてるようです。
 でも、飛行機に間に合うかどうか、という心配じゃなくて、飛行機が飛ぶかどうか、という心配の方が大きいんですよね。こんな心配をしたのは初めてです。
 
 空港への交差点を右折し、しばらく走ったところで左折します。この辺りは以前にも一度来たことがあるので感覚で判るんですが、あくまでも感覚だけで、目には全く見えないんです。恐ろしいくらいに周囲が真っ白なんです。
 あれ?この辺に空港ターミナルがあったはずなんだけど…、と思った頃にテープの案内が。空港ターミナルビルに到着です。ホントに到着数秒前まで、ビルが見えませんでした。これで飛ぶの…?
 
 稚内空港からは全日空が東京便、エアーニッポンが札幌(丘珠)便、それにエアー北海道が利尻・礼文にとそれぞれ就航しています。で、全日空の受付カウンターの周辺からただならぬ気配が漂ってるんです。殺気に近いものがありましたね。
「東京行き572便の搭乗手続きは、稚内空港天候調査中のため中止しております」
 と。
「あ…」
 思わず彼女と目を合わせました。どーすんの?
 
「東京に帰りたいんですが…」
 と恐る恐るカウンターの女性に尋ねれば、
「東京からの飛行機が到着しておりませんので…。この天候ですから…。」
「で?」
「千歳からは飛んでますが…」
「ど…(ういうこと?)」
「このチケットを千歳からの便に振り替えてご使用頂けますので」
「え?」
「稚内を13時45分に出るJRにご乗車いただきまして、千歳から…」
「何ですってッ?」
「今のところ、JRをご利用頂く方が確実かと」
「はぁ…。で、千歳までは全日空さんが?」
「いえ、天候による振り替えの場合は、お客様のご判断ということになりますので…」
「まじ?」
 最後のは、独り言です。
 札幌までは確か、JRの特急で1万円前後したはず。そんなこと、急に言われても…ねぇ。
「で、結局、飛ばないんですか?」
「今のところは、何とも。1時40分に最終のご案内を申し上げます」
 …って、1時40分に飛ばない、って言われも遅いですよね。稚内駅まで5分で戻ることなんて不可能ですし。だいたい、駅からここまで30分近くかかっているのに…、と時計を見れば1時15分。あれ? 特急にも間に合わないんじゃないの?
「旭川からの便は?」
「ちょっとお待ちください」
 返ってきた答えは
「14時ちょうど発ですから、無理です」
「あ、あ。そう…」
「JRで札幌へ行った方がいいのかなぁ。どう?」
 これは彼女へ。彼女自身は、飛ばなきゃ明日は会社を休む、って腹をくくってるようで「どっちでもいいよ」というノリです。僕は…、ちょっとハードなプロジェクトを抱えてる身で、明日も休むとなれば何が飛んでくるかわからないですから、ぜひとも今日中に名古屋へ、最悪でも東京へと帰っておきたいんですね。
 もしも、今日、欠航となれば明日の同じ時刻になるわけですから、休むほかなくなるわけです。
 だったら、札幌へ向かうのが最善の策なんでしょうかね。
 
 時刻は1時20分に近付いてます。折りしもお隣のエアー北海道の窓口では、「利尻行き361便の本日のフライトは欠航いたします」とのアナウンスを始めている最中。こりゃダメだな、と意を決して彼女の手をとりタクシー乗り場へ。
 が、びっくり。タクシー乗り場にも長蛇の列。
 でも、その列も何台かのタクシーで掃け、僕たちの前に1台のタクシーが滑り込んできました。
「南稚内13時49分の特急に間に合います?」
「あぁ〜、どうでしょうねぇ。この天候だからね」
「うーん」
 と唸ったものの、飛行機が飛ばないことには空港に用事はないわけで、どちらにせよ市内に戻るんですから、まぁいいか、と走らせてもらったんです。
「じゃぁ」
 とばかりに、前の車を追う刑事を乗せたかのように、勢い良く飛び出してくれました。
 で、メータを「空車」から「賃走」に変えてなぜか「割増」も。え? 特急料金…? まぁ、いいか。
 
 フロントガラスからのぞく景色は、前方数メートル先が見えないというブリザードが続いていて、自然と走行スピードも落ちてきます。運転手に聞いても、こんな天気はあんまりないそうですし、慎重にならざるを得ないでしょうね。客を乗せてるわけですし。
 
 街中に入ってきたからなのか、なんとなく天候が良くなってきてるように感じるんです。あれ? うっすらと日も射してないですか?
 1時40分近くになり、運転手さんの口から
「あぁ、なんとか間に合いそうですね」
 と。ちなみに、稚内を45分に出る特急は49分に南稚内を発車するので、空港に近い南駅を指定したわけです。空港の案内は不十分でしたね。
「近いんですか?」
「もうすぐですね」
 
 JRで帰る心積もりではいるものの、吹雪の勢いもただの雪に変わっていることもあり、念のために携帯で空港に電話をしてみたんです。儀礼的な挨拶を済ませた後、本題を切り出しました。
「東京行き、どうなってますか?」
「はい、搭乗手続きを再開してます」
「え゛ー…。再開したぁ?」
「はい」
「で、どうしたらいいの?」
「いま、どちらですか?」
「(どちらですか、って、アナタがJRを使って札幌へ行けって言ったから)南稚内駅へ向かうタクシーの中ですよ」
「あぁ、そうですか」
 そうですか、じゃなくて…。
「戻れば飛行機に乗れるんなら、戻ります。無理ならこのままJRに乗ります。40分に最終の決定があったんですよね」
「少々、お待ちください…」
「…、なんか飛ぶみたいです」
 と、タクシーの運転手さんに。タクシーは既に南稚内駅の駅前に到着していて、僕の電話が終わるのを待ってくれています。
「ほれ、後ろのお客さんも、空港から一緒だった人たち」
 見れば、タクシーから降りて、足早に駅構内に消えていきました。JRで札幌に行くんですよね、きっと。
「もしもし、お待たせしました」
「はいはい」
「戻ってきてください」
「え? 戻っていいんですか? 飛ぶんですね」
「はい」
「じゃぁ、戻ります。あっ、戻るまで待っててくださいね」
 このセリフは心の余裕の表れですかね。運転手に空港へ戻るようにお願いして電話を切りました。
 
 空港に近付くにつれて、またまた天候が悪くなってきているように感じるんですが、電話では羽田発の便が最終の着陸態勢に入っているとか言ってたんで、大丈夫なんでしょう。きっと。
 これで飛ばないとなったら…。
「5時前の汽車しかないっしょ」
 そうです。でも、この16時53分稚内発に乗れば札幌着が21時50分。本日中の東京着は不可能です。
 
 空港のターミナルビルに到着。タクシー料金が6,540円也。同じところに戻ってきたのにね。でも、飛行機に乗れるのなら安いもんです。
 受付カウンターでしばらく待たされて、搭乗手続きの完了です。到着便が遅れたこともあり、出発便も遅れるとのこと。予定よりも30分遅い14時25分がフライト時刻として案内されました。
 搭乗開始まで後数分あるので、その間にお土産を買いあさります。
 
 14時15分に搭乗が開始され、シートに並んで座ります。
 フライト時刻は14時25分と案内されていたんですが、滑走路の除雪作業が完了していないので、早くても離陸は15時過ぎになるとの案内がありました。いやはや、笑うしかないです。とはいえ、こちらは余裕の笑いですね。1時間遅れようが、2時間遅れようが、今日中には確実に東京に戻れるんですから。
 
 滑走路の除雪も順調に終わったのか、14時50分、案内よりも若干早く滑走路へと向かい始めました。
 滑走路先端で旋回し、いよいよ離陸です。
 
 5日間の北海道滞在がここで幕切れです。
 札幌・道東と平年よりも暖かかった中を移動し、万事平穏に終わるのかと思えば、今日の悪天候。バタバタしたものの、終わってみれば1時間の遅れとはいえ、こうして無事に飛行機に乗ってるんですから、問題なしですよね。
 暗い雪空の天候の中を離陸したA320型機は厚い雪雲の中を揺さぶられるように通過し、晴れ渡る雲の上で水平飛行に移りました。
 眼下には白い雪雲が一面に広がっています。
 この雲の下では、雪が舞っているんですよね。
 
 これほどの雪やブリザードの体験は、どう考えても大阪や東京、名古屋では出来ないんですから、ある意味貴重な経験だったんですよね。北海道の冬の優しさと厳しさを味わった5日間だったような気がします。
 
 冬の北海道。何度来ても、また訪れたくなる魅力。その魔力ともいえる魅力にひきつけられて、また訪れるんでしょうね。
 いつの日か、舞い戻ってきますよ。もちろん二人でね。


(2003年冬・北海道 終わり)

戻る