キャバリエ行動記録(2003年3月から4月まで)

4月25日(金) 走行距離 188.0km 総走行距離 64299.2km
 今日から旅行です。今年は一昨年の山陰、去年の瀬戸内と続いた中国地方とは反対側、中部地方へのドライブです。中部とは言っても広いですよね。今回の旅行は北陸の金沢から富山、岐阜県に入り飛騨地方へと旅をします。ゴールデンウィークの旅行は過去2回とも5月3日〜5日の連休をベースとしていたんですが、これはその翌日6日が休みだから、という前提のもとだったんです。ところが今年はホントの3連休。だったらGW前半でもいいんじゃないの? と4月26日から28日の3日間をと考えたんですね。でも予定を考えてる途中に欲が出て、翌29日の午前中に長野県の松本駅で八王子へと帰る彼女と別れる、という計画となりました。3泊4日ですから、結構な旅行です。
 行き先は違えども夜行バスで彼女がやってくる、というパターンは同じ。今晩、八王子駅を出る夜行バスに乗車し、明日の朝、金沢駅で合流する予定になっています。
 ですので、到着に合わせて僕も移動します。
 
 前回の行動記録でもお判りの通り、岐阜市内のsakiさんちの駐車場にキャバリエを停めさせてもらっていたんで、その引取りから今回の旅行はスタートします。名鉄の新名古屋駅を19時37分に発車する名鉄特急に乗り込み、20時02分に新岐阜駅に到着。そこで待ってくれていたsakiさんのフォレに乗せてもらって駐車場に移動します。
 キャバリエを前にちょっと立ち話をしていたんですが雨が降り出してきたこともあって、それを潮にsakiさんとはその場でお別れしました。
 さて、では僕も金沢へ向けて出発しましょうか。
 
 今日は岐阜市内から国道21号線を西へと走り、関ヶ原から名神へと入ろうかなぁ、なんて考えていたんですが、21号まではカーナビに頼りっきり。おかげで長良川の土手を走ることになったんですが、渋滞の抜け道でもあったんですかね、スムーズに岐阜市内を抜け出せました。
 大垣へ向けて穂積町を走行中、sakiさんから携帯に着信があったんです。
「リーダー、どの道を走られるんですか?」
「え? いま? 今は21号を関ヶ原に向かって走ってるとこ。そこから名神で米原、そこから北陸道」
「…高速使うんですか?」
「うん。大人だから(笑)」
 sakiさんは、岐阜で目的地を金沢にセットしたらカーナビは根尾村を通るルートを案内したんじゃないかと心配してくれていたんです。その電話のときは位置関係がピンと来なかったんですが、薄墨桜で有名な樽見から根尾村、福井に入って大野市へと続く道が狭くて走りにくい、ということらしいんですね。しかも雨の夜ですから…。
 でも、心配はご無用。今日は明日に備えて睡眠をとりたいですからね、途中の尼御前SAを目標に高速道を走るつもりです。
「では、お気をつけて」
 という言葉をもらって電話を切りました。下道派の僕が高速を使うのに違和感があったようですが、夜明け前後に金沢に着いてそこからドライブじゃ、さすがに体が持たないですからね。これもアリです。
 
 とはいうものの関ヶ原まで、あまりに順調に走ってきちゃったんでそのまま米原まで21号を走ることに。
 11時過ぎだったでしょうか。米原インターから北陸道に入り、一気に北へと駆け上がります。
 柳瀬トンネルで滋賀県から福井県へと入り、福井市内を通過して石川県へと入ってきました。夜の高速道ですからね、ひたすらに走るだけです。変わるものと言えば地名を表す道路標識くらいなもんですから。
 そうこうしているうちに予定通り、12時30分、尼御前サービスエリアに到着です。
 金沢まででは最後のサービスエリアですから、ここで今晩を過ごします。では、おやすみなさい。


4月26日() 走行距離 103.1km 総走行距離 64402.3km
 5時頃に目を覚まし、出発です。
 北陸道はここ尼御前からしばらく日本海に沿うように走ります。左手には大きな海が広がって見えます。ただ、あんまり天気が良くないんですね。時折小雨がぱらつくこともあり、日本海も冬のそれのようにややグレーっぽく見えます。もっとも、当初より今日は雨のち曇りで明日からの数日は晴天が続くという予報なので、それほど心配はしていなんですけどね。
 空港のある小松を通過し、根上町を通り過ぎます。ヤンキース松井選手の生まれた町としてすっかり有名になりましたよね。
 松任市に入れば、次はいよいよ金沢西インターです。
 
 インターを降りて金沢駅前に到着。6時少し前です。駐車場は拓けている東側とは反対側の西側に大きなのがいくつかあるので、そこの立体駐車場に。バスの到着にはまだ少し早いんですが、車を預けて駅へと向かいました。
 今朝の尼御前SAでも感じたんですが、寒いんですよね。曇り空ということもありますが、1日で一番冷え込む6時ですから、寒くても仕方がないんでしょうが、長袖のブラウスの上にもう1枚羽織って出発です。
 6時30分に到着する予定の高速バスは、意外にもほぼ定刻通りに駅前のバスターミナルに到着しました。高速を走る夜行バスは数十分程度の早着が多いんですが(それもあって早めに来ておいたんですが)、ともあれバスから降りて来た彼女と無事に合流です。
 八王子から金沢へのバスですから関越道・北陸道か関越・上信越・北陸道かな、なんて思ってたんですが、意外にも中央道・名神・北陸道と走り、石川県内で小松など、一般道を走りながら複数箇所に停まっていたそうなんです。小松には5時ごろということですから、僕がその後を追いかけて、北陸道で一気に抜き去ったということですね。というよりも尼御前ではニアミスだったような(笑)
 そんなルートが定時近くに到着した理由でもあったのかもしれませんね。
 
 寝起きの顔を洗いたいという彼女の思惑と、お腹が空いたという僕の思惑が一致して、朝ご飯を食べる店に入ろう、ということに。もっともこの時間ですから営業しているお店も少なく、バスが金沢到着前に彼女が見たというファミリーレストランへと行くことにしました。ファミレスならば駐車場もあるでしょうし、車で移動しましょう。というわけで、先ほど停めた立体駐車場へと戻りました。
 面白いのがこの駐車場、異様に駐車場離れした雰囲気なんですね。2階以上が自走式の立体駐車場で、こちらはごく普通なんですが、1階がホテルと見紛うほどの雰囲気を持ってるんです。エントランスにフロントがあり、ロビーがあり、インテリアに生花があり…。彼女曰くは「さすが加賀」と。おしゃれな駐車場のある、おしゃれな街です。
 駅前近くの「すかいらーく」に入り、モーニングと化粧タイムに。規模の大きな都市では24時間営業のレストランも多く、路頭に迷うことがなくていいですよね。パンケーキでの朝食をとった後、観光に出発です。
 
 まずは、金沢といえばここ、と言えるくらいに有名な兼六園に。近くにある駐車場に車を止めて歩きます。
 入ったのは上坂の入口で、ここのすぐ近くに有名な桜の木を見つけました。一つの房に300枚近い花びらを持つ桜で、ここ兼六園で発見されたことから名を「兼六園菊桜」といいます。ソメイヨシノ等よりも開花時期は遅く、ちょうど今ごろ、4月の下旬から5月の上旬が見頃という情報を仕入れていて、楽しみだったんです。開花の頃には既に葉が育っていて、緑の中に咲く淡い桃色の菊のような花は見ていても飽きませんね。園内には他にも八重桜や枝垂桜、シーズンをやや過ぎてしまったもののソメイヨシノなどもあり、4月〜5月の兼六園を華やかにしています。
 日本庭園の美というのは誰に教わるでもなく、自然と日本人の心の中に溶け込むのか、自然と散策する足もゆっくりとなり、風情を満喫できました。
 それにしても、兼六園内でも撮影スポットというのは観光客が絶えないですよね。二本足の灯籠、徽軫(ことじ)灯籠は撮影の順番待ちです。飛び石とはいえゴールデンウィーク。さすがです。
 灯籠から瓢(ひさご)池へ向かう途中に日本最古の噴水があります。江戸時代に造られたというのに3.5mもの高さの水を噴き上がらせる技術というかアイデアには感心させられます。ちなみに、この噴水の原動力は源流となる霞ヶ池(←灯籠のある池です)との高低差から生じる水圧です。さすがですよね。
 噴水から瓢池へ移動し、その池に泳ぐ鯉の、パクパクと開く口を眺めたり、その後ろに流れ落ちる滝を眺めたり。こころが落ち着きます。
 
 兼六園での散策を終え、次に向かったのが長町です。武家屋敷で有名なところです。
 真弓坂の出入り口を出て、まっすぐと西の方へ向かって歩くと、長町の案内板が見えてきました。直前の香林坊周辺の喧騒ぶりからするとさすがは…とは思うものの、僕がイメージしていた武家屋敷とは違うんですね。やや趣きのある家ではあるものの、歴史感はなく、新築ラッシュだったりします。あれれ?と思いながら歩みを進めるとありました。壁から塀から、まさに江戸の文化を伝えるような佇まいの家々が現れたんです。近代風にアレンジしてもいいエリアと、このように昔ながらの風情を残すエリアが分かれてたんですね。
 白壁の美しい通りには多くの観光客もいて、そぞろ歩くには楽しいんですが意外と距離は短いんですね。長町の集落は想像していたよりはコンパクトでした。でも、終端の川にかかる橋は欄干を架け替える工事が進んでいて、江戸の町並みに似合いそうなものとなっていました。街ぐるみで雰囲気を盛りたてているようです。
 引き返すにはまだ早いので、このあたりの散策を続けます。
 ここから北へ少し行ったところに旧高田家跡という施設があるんです。ここは、この地加賀藩を支える藩士の中の高田家の屋敷です。さして大きいとは言えない屋敷ですが、それでも当時の生活が垣間見えそうな御用人の部屋などもあり楽しめます。
 
 この旧高田家跡のすぐそばに足軽資料館があります。ここは元足軽である二軒の家がそのまま残っているもので、中を見せていただけるんです。玄関近くにある部屋ではお婆さんが番をしているんですが、なんだか資料館というよりは、人のお宅にお邪魔しているような雰囲気です。
 各部屋には判りやすい解説がイラスト入りで書かれていて、当時の生活を容易に思い浮かべさせられます。その中に、足軽そのものを解説したパネルがあったんですが、ここで意外な感じを覚えたんです。足軽は号令一つでわらわらと集まってくる下級兵士のようなイメージを持ってたんですね。でも、実際には定数が決められていて、なりたくてもなれなかったそうなんです。軍組織では最下級かも知れないですが、一般庶民からすれば憧れの的でもあったわけなんですね。そんな訳で、意外な感じを受けたんです。
 ちょっと本題からは逸れますが、大学時代によくやった「信長の野望」というパソコンゲームで、軍師や名だたる武将に大量の騎馬隊や足軽兵を抱えさせて隣国に攻め入ったことを思い出しました。足軽の招聘は、一般人を足軽にするんじゃなくて、足軽を兵士として戦に駆り出すことだったんですね。誤解してました。
 
 二軒目に入った家には、江戸間の小さめの半畳が1/4にカットされて敷かれているところがあったんです。あまりに妙だったんで家を出る間際まで気になり続けてたんですね。で、彼女に「聞いていい?」と断ってから、玄関横の門番のお爺さんに聞いてみたんです。
 そしたら、その部分を取り外して、コタツとして使っていたんだとか。「なるほどねぇ」と彼女とともに納得して出てきたものの、よくよく考えてみれば、1/8畳の掘り炬燵って狭すぎやしないかい? 謎を深めながら足軽資料館を後にしました。
 
 ここからは金沢城公園の中を通って兼六駐車場に戻ろう、ということで歩き始めたんですが、尾崎神社の脇からも丸の内からも、大手堀近くからも中に入れないんですね。…あれ? 入れないの? という感じなんですが、唯一入れそうだったところもイベントの準備が進んでいたようで、イベント関係者以外立入り禁止に。
 結局城内には入らず、城公園を時計回りに半周して兼六駐車場近くへと戻ってきました。その向かいにある観光物産館に入ります。
 ここは金沢の味と伝統工芸品が揃うお店になっているので金沢の銘菓探し。実はsakiさんから、金沢に行くなら柴舟小出の「栗法師」というお菓子を探してきて欲しい、と言われてたんです。でも今は、栗の季節とは正反対の春ですからね。やや諦めながらぶらぶらと店内を歩いているとありました。意外にも。で、そんなに美味しいならと、僕たち2人も食べてみたくて二箱買っちゃったんです。
 ところが…。ここで3,000円以上の買い物をすると停めている兼六駐車場の駐車料金が基本料金の1時間分がサービスになるというじゃないですか。あと1,000円です。彼女に「何か買わない?」と聞いた結果、かなり店内を物色した後にダルマの形をした根付を購入。「あ…、ごめんね」と言われた金額は850円。うーん、あと150円。無理して買うか駐車料金を払うか、悩ましい金額です。
 でもまぁ買っちゃうのが僕の悪いところか、「夜に食べよう」と、加賀銘菓「あんころ」を買っちゃいました。300円です。ですから、ただであんころを手にしたようなもんですね。基本料金は350円でしたから…。
 
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 さて、時刻はお昼時。ガイドブックで見つけた加登長総本店へと向かいました。近江町市場のすぐ近くにあるお店で、駐車場は店舗前のわずかなスペースだけです。お店の方に相談した結果、「真っ直ぐに停めてもらえますか?」と。道路から真っ直ぐに停めると歩道の半分くらい突き出るんですけど…。いいみたいです。では、店内へ。
 お店の中は昼時ということもあって程よく混み合ってます。2人とも注文したのは加賀の伝統料理「治部煮」を味わえる定食です。彼女が初め「治部煮を食べたい」と言い出したとき、治部煮を知らなかった僕の頭に浮んだのは「トトロ」や「ナウシカ」だったんですが(もちろん彼女からツッコんでもらいましたよ。「それはジ・ブ・リ」って)、初めて口にしてみると美味しかったですね。ごちそうさまでした。
 
 では、次なる目的地へと参りましょう。今日二つ目のポイントは「砺波平野のチューリップ」です。
 会社の人に「ゴールデンウィークはどこへ行くの?」と聞かれて「砺波のチューリップ…」って答えたら「え? 隣の中国!?」って単なる聞き間違いかボケか微妙なところだったんですが、SARSで危うい場所へは参りません(笑)
 それはともかく砺波平野はチューリップで有名ですが、この砺波は金沢から意外と近いんですよね。金沢東インターから北陸道に入り、わずか20分前後で富山県の砺波インターです。
 手元にあるガイドブックには「(となみチューリップフェア)期間中は大混雑するので、砺波ICを下りたら各所に出ている駐車場の案内看板に従おう」と書かれているんですが、インターを下りるとさっそく看板が見えてきました。おまけに各所に警備員が配置されています。
 指示通りに走れば、カーナビで目的地に設定した砺波チューリップ公園からどんどんと遠ざかっていきます。あれ?不思議…。と思いつつも看板の指示通りに走れば一面がカラフルな色で染まった畑が見えてきました。彼女も僕も口を揃えて「うぉーっ」と叫んだと思うんですが、叫びたくなるくらいに見事なチューリップ畑が広がってるんです。これぞ砺波のチューリップ畑です。
 チューリップフェアの会場に入る前から盛り上がってますが、他の観光客も道端に車を停めてチューリップ畑で写真を撮ったりしてるので僕たちも同じように停めてみました。
 
 目の前に、一面に広がるチューリップ畑に圧倒されつつも二人して写真に収めます。色も種類も豊富で、正直なところ「ここだけでも楽しめる、来た甲斐がある」と思いましたね。ローズピンクというのでしょうか、きれいなピンクや目にも鮮やかな黄色の花が絨毯のように広がっています。他にも外が白系、内側がピンクという、色が珍しいものや花びらの形が変わったものなどもあります。でも、もちろんこれらは観光客の観賞用ではなく、出荷用に栽培されているんですよね。ですから畑の中に入るのはルール違反なんですが、出来るだけ傍に寄って撮ってみたいと思うもの。多くの人がギリギリの線で楽しんでました。
 車からやや離れた場所にオレンジ色に見える畑があったんですが、そこは諦め、チューリップフェアの会場へと向かいます。
 
 看板と警備員によって誘導されてやって来たのは…。
 あれ?砺波チューリップ公園? どうやら、インターから公園までが数珠繋ぎになってしまうのを嫌って、砺波市内をぐるりと迂回させているようですね。インターから公園まではわずかに2kmほど。とはいえ、この区間が繋がるとなるとそれなりの台数でしょうから、ピーク時には市内が大混雑するというのも頷けます。
 メイン駐車場に車を停め、「2003 となみチューリップフェア」の会場へと入りました。ここでさっそくチューリップの歓迎を受けます。色とりどりのチューリップがあちらこちらに植えられているんです。
 それにしてもチューリップって、こんなにも多くの品種があったのかと唸らせるほど色んな種類のものを目にすることが出来ます。ここでは400品種、100万本のチューリップが見られるんだそうです。
 
 チューリップというと「赤・白・黄色」との歌詞が浮んできますが、白のチューリップって見ないんですよね。それよりも紫やオレンジといった馴染みの薄い色をよく目にしました。花の形状もさまざまで、見るからにチューリップ、っていうものから、「これもチューリップ?」というようなものまで。かろうじて「あぁ、葉がチューリップだ…」って感じですよね。僕も彼女も気に入ったのが「バレリーナ」と呼ばれる種類のもの。オレンジ色で、花びらの先がツンととがっていて、バレリーナとの名称も納得のスタイルです。
 大花壇から夢花壇と呼ばれるやや小振りの花壇の脇を通り、やってきたのが「チューリップ四季彩館」。ここはチューリップの博物館で、いろいろな催しをしていたんですが、その中で新品種が紹介されていました。「ありさ」と「ウェディングベール」です。ともに可愛らしい花なんですが(って、こんな言葉でくくっちゃうといかにも見る目がなさそうですが…)、それよりも、今もこうして新種が増えているというのがすごいですよね。現在、全世界で約2,000種のチューリップがあるんだそうで。そのうちの約1,000種を富山県内で栽培されているのでしたでしょうか。
 博物館ならではということで新しい知識を習得しました。…単に不勉強だったのかも知れませんが、チューリップの原産地ってトルコなんですね。てっきりオランダかと思ってました。ふーん、って感じです。
 チューリップグッズ販売コーナーも充実していて(博物館だけにミュージアムショップ、って言うんでしょうか)、チューリップを模ったインテリアも豊富です。
 チューリップフェアのマスコット、「チューリくん」と「リップちゃん」のぬいぐるみもあります。お気に入りのチューリップの飾り物を買い終わった彼女が、このマスコットを見て言い放った一言は…、
「チューリとリップ…って、『リ』がカブってるじゃない」
「あ…(そういうツッコミなの?(笑)」
 
 チューリップ品種見本花壇という珍しい品種のチューリップたちが集まる花壇を見つつ通り過ぎ、文化会館へとやってきました。ここではチューリップの咲き振りを競うコンテストの発表展示会があり、さすがに綺麗だなと思えるものには「特別賞」や「優秀賞」の札が揺れてました。「砺波市長賞」や「農林大臣賞」(でしたっけ?)もあり、受賞ラッシュです。
 いいモノを見せていただきました。
 
 チューリップを満喫したところで時刻は5時を過ぎ、チューリップ即売所や飲食関係の出店も閉店の時間となりました。これを機に会場を出ました。
 ここから砺波駅前に予約してある「APAホテル<砺波駅前>」へと向かうんですが、その途中、もう一度チューリップ畑に寄ってみました。オレンジ色のチューリップを間近で見てみたかったから、なんです。オレンジ色だからバレリーナ?なんて期待して向かったんですが、結果に2人して大笑い。オレンジだと思ったチューリップはなんと赤と黄色の2色が混じった花びらを持つチューリップだったんです。
「赤と黄色が混じればオレンジだよね…」
「確かにね…」
 というわけで、ホテルへと向かいます。
 
 JR城端(じょうはな)線砺波駅前にあるこのホテル、実は2度目なんです。4年前の99年の夏の旅行で訪れてるんですね。でも、同じところに泊まったのはこだわりではないです。ネットで予約できるビジネスホテルがここには少ないですから…(笑)
 チェックインを済ませて、部屋に入り一息入れよう、と思ってベッドに転がったのがマズかったですね。僕はSAでの仮眠しか取っておらず、彼女は寝にくい夜行バスだったこともあり、2人して熟睡。
 目覚めた時にはレストランも閉まってるような時間でした。
 
「どうする? (まだ開いてる)居酒屋でも行く?」
 と聞いてみたものの、とにかくまだまだ眠たくてまたまた夢の中へ。むにゃむにゃ、おやすみなさい。


4月27日() 走行距離 63.0km 総走行距離 64465.3km
 結局、晩ご飯抜きで寝ちゃったんで、お腹が空いてます。
 で、昨日兼六園で買った加賀銘菓あんころの包みを解いて口にしました。朝から餡子の甘さは強烈ですが、熱いお茶をすすりながら食べると、空腹感は癒されました。
 では、さっそくですが出発しましょう。
 
 今日は砺波から五箇山を通り、白川郷へと向かいます。
 まずは五箇山の相倉(あいのくら)にある合掌造り集落をカーナビの目的地にセットしました。ルートは砺波市から東砺波郡の福野町、井波町、井口村、城端町を通り、相倉のある平村へと向かうものです。庄川沿いに走るルートもあるんですが、山岳部を五箇山トンネルでショートカットする道を選びました。
 砺波市内で給油をしておきたかったんですが、カードを持っている出光がなかなか見つからずに何となく走り続けたんです。でも、どう考えても五箇山、白川郷を越えて高山までは持ちそうはないんで、早めに給油をしたいところです。山岳部に入れば単価が上がりそうですからね。
 
 砺波市内では見つけることが出来ず、井口村でようやく出光のスタンドを発見。「あっ、閉まってる…」。そういえば、今日は日曜日なんですね。時刻は9時を過ぎてますから、営業日であれば開いてるでしょうからね。
 城端町に入って再び発見。「あっ、ここも」。え? 今日はどこに行っても休みなの? という焦燥感が漂いつつあったんですが、まだまだ100km近くは走れるはずですから余裕です。
 城端町の郊外に出ると、とてもじゃないですがスタンドなどありそうな雰囲気にはなく、結局、そのまま平村へとつながる五箇山トンネルに突入したんです。ここを抜ければ相倉合掌造り集落もすぐ近くです。
 全長が4km近くあろうかという立派なトンネルはすぐ近くの高落場山を掘ったもので、そのすぐ後にこれまた1km近い梨谷トンネルが続きます。このトンネルを抜けて右に左にカーブすればすぐに相倉合掌造り集落へと向かう道路の分岐が現れます。
 
 駐車場には多くの観光客たちの車が所狭しと並んでいます。その空きスペースに誘導されてキャバリエから下車しました。
 目の前には大きな三角の屋根が特徴的な合掌造りの家々が並んでいます。兼六園で見た庭園にも心が落ち着かされるんですが、この合掌造りもゾクゾクするほど和の心をくすぐられますよね。ここ相倉の集落には20棟の合掌造りがあり、家々が重なる姿はいいものです。
 でも、妙な一団を見かけました。合掌造り集落には合掌造りの民宿もあるんですが、その一つの前に、ライダーの方々が集まってられたんです。彼女と「オフ会じゃないの?」とか言ってたんですが、まさにそんな感じです。
 いいですねぇ、こんなオフ。でも、バイクだから出来るんでしょうね。十数台のキャバリエでやってきても、たとえ宿泊は出来たとしても停める場所がないですからね。ちなみにバイクは合掌造りからせり出した軒下に並べられていました。
 リーダー格の一人がみんなの前で挨拶をしてたんですが、その言葉にハッとしました。
「えー、皆さん。家に帰り着くまでが…」
 期待通りの展開に一人で苦笑いをしてしまったんですが、定番過ぎるんですね。このネタ。
 
 集落内には高低があり、低くなった土地は畑となってました。地元のお爺さんたちが耕している部分もあるんですが、手がつけられていないところには雪の固まりが残ってるんです。大都市では雪を見なくなって久しいんですが、この山の中にはまだまだ残ってるんですね。畑の真ん中から出ているスプリンクラーからは水が吹き出していて、雪を融かしています。
 スプリンクラーといえば、集落内では「放水銃」と書かれた郵便ポスト大の箱をよく目にします。中の実物を目にする機会はほとんどないでしょうが、万一火災が発生した場合、各家々に大量の水を吹き付け、水のベールを作ることで類焼、延焼を防ぐんだそうです。ここ相倉での様子は知らないんですが、午後から行く白川郷では年に一度、放水銃の一斉点検が行われます。合掌造りの家を守るように水の壁が作られているそのシーンを収めた写真を、ご覧になられたことがある方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
 なぜ、そこまでして火災を警戒するのか。それはここ相倉と、少し西にある菅沼、それと白川郷の3つのエリアが世界遺産に登録された集落だからなんですね。現在相倉に残る合掌家屋は100〜200年を経たものがほとんどで、中には400年を越える年月を経たものもあるそうです。そうでなくても燃えやすい材質なわけですから、集落内は禁煙となっているなど、慎重です。
 
 建物から遠くに目をやれば、雪を冠した連峰がそびえているのが見えます。合掌造りの建物とのコントラストがまたいいですね。
 山々の写真を撮ってから集落内を散策します。
 この集落は世界遺産に登録されているとはいいながらも今なお普通の生活が営まれているので、合掌造りの前に普通に洗濯物が干されていたりします。この生活感がまた「作られたものではない」雰囲気を味わえる理由でもあるんでしょうね。鯉のぼりが高らかに泳ぐ風景もそれに拍車をかけています。
 つくしが元気に生えているのも自然な感じでいいですね。僕の母親が見れば目を輝かせそうですが、この集落内は植物の採取も厳禁ですからご注意を。
 
 集落内になぜか不思議なものがあります。「天狗のあしあと」です。
 伝承の話の詳細は忘れてしまいましたが、確かに岩に左足のような足跡が残ってます。何でも、向こうにある山をまたぐのに踏ん張った足跡のようなんですが、「足の長さの割には、足、小さいよね」っていうツッコミはなしです。
 
 集落内に民俗館があるんですが、そこに入る前に、お店からいい匂いを発していた「五平餅」を頂きます。五平餅は信州の特産かと思っていたんですが、五箇山名物とあります。なるほど、五箇山の平村なら五平餅ですね。適当ですが…。ともかく、空腹だったこともあり、香ばしく焦げた甘い味噌ダレが食欲をそそります。美味しかったです。
 
 相倉民俗館は合掌家屋の様子を詳しく知ることの出来る施設で、もちろん合掌造りです。1号館と2号館というように二つの建物からなっていて、まずは1号館へ。
 土間から上がり、オエと呼ばれる広間に入ります。ここには囲炉裏があり、家族が集まって団らんの場となっていたようです。周囲の壁には生活に使用されてた展示物が並べられています。日常生活で使用されていたものもあれば、祝い事などのハレの日に使用するものもあり、雪に鎖された山村の生活を偲ばせるのに十分です。
 その広間からは2階に上がることが出来ます。正式には2階ではなく、アマと呼ばれる空間で、屋根裏部屋というような感じでしょうか。ここには繭糸を生産するための蚕棚が並んでいます。
 それよりも、ここで注目すべきは荒縄とソネでしょうね。大きな屋根を支える丸太を、しっかりと結びつけるのが釘や鎹ではなく、荒縄やソネなんです。合掌造りを支える丸太、それを結ぶ荒縄。これらは黒い艶を出していますが、艶を作り出しているのが階下の囲炉裏から立ち上がる煙なんですね。生活をするための煙ですすけることによって、縄は堅くなり、また、防腐・防虫にもなっているんです。こんなことを得意げに彼女に説明したのは、単にここが2度目だから。前回は管理されているおばさんに、ここで色々な説明を聞いたものなんですが、今日は観光客以外どなたもいらっしゃらず、ちょっと残念です。
 
 1号館が生活を紹介しているのに対して、少し離れた2号館は五箇山の産業と伝統を紹介しています。
 その屋内に鳴り響く「こきりこ節」。僕はこの調べが好きです。素朴さというのか何というのか。歌声を邪魔しない程度の楽器の演奏に合わせた詠いがいいんです。沖縄の三線(さんしん)の弾き語りも好きですけどね。全然方角は違いますが…(笑)
 
 民俗館から出て、相倉合掌造り集落を後にします。
 今日は2時か3時頃に白川郷へ到着というスケジュールなんですが、時刻は間もなくお昼という頃。食事の時間を考えれば、途中の観光は1箇所程度でしょうか。で、白羽の矢が立ったのが「菅沼合掌造り集落」です。かなり必然的、ではありますけどね。なんたって、相倉・菅沼・白川郷の3エリアが世界文化遺産に登録されているんですから。
 
 相倉の集落から一般道に戻ってくると当たり前かのように極々普通の民家が姿を現します。一部のエリアだけが合掌造りを守り続けているって、考えてみれば不思議ですよね。他のエリアにも合掌スタイルはあったんでしょうけど、残ってないんですからね。
 そんなことを話していると右手に出光のスタンドが見えてきました。
「あった、あった」
 と何だか探していたものに巡り会えたかのように飛び込んでいったんですが、よく考えれば一番の山ん中で給油してるんですから、本来の理想とは正反対の結果になったわけで…。ちなみに「出光」は提携をしているだけで、経営はJA。「JAなんと」です。富山の南地区なんでしょうかね。ひらがなで書くと妙です。
 
 12時少し過ぎに菅沼合掌造り集落に到着。
 こちらは合掌造りの家屋が10棟とやや小振りですが、観光客は大勢います。桃の花が残っていたりと、まだまだ春を思わせる気候の中で雪の残る山を背景にして建つ合掌家屋は、やはりいい雰囲気を醸し出しています。
 相倉もそうなんですが、電信柱や電線が隠してあるため、昔ながらの雰囲気が残っているのもプラスになってるんでしょうね。
 ここでだったか、白川郷だったか、彼女が「テーマパークみたい…」と言ったんですが、なるほど、そうですね。集客のために作られたのではないですが、土産物屋あり宿泊施設あり、そして何よりも合掌造りを楽しみに来る観光客ありで、「合掌集落」というテーマパークですよね。これは。
 
 僕たち2人もそのテーマパークを楽しむ観光客であることは間違いがないんで、ゆっくりと集落を見て歩きます。
 こちらの集落にも「五箇山民俗館」という資料館があるんですが、こちらは素通りして駐車場に戻りました。駐車場脇の合掌家屋が食堂になってるんですが、そこに掲げられた岩魚の塩焼き等のメニューにつばを飲みながらキャバリエの元へと歩きます。それでは僕たちも昼ご飯を食べるとしましょう。
 お昼は食べる場所を決めてたんです。道の駅「上平ささら館」にある「岩魚寿し」という名前のイワナ料理専門のお店です。
 
 菅沼から走ること数分。道の駅の駐車場に車を停め、さっそくお店へ。ところが満員のため、店の前で待つことに。そこで、メニューを見ながらあれを食べたい、これを食べたい…と。
 ようやく案内された店内でもひとしきり考えて、頼んだオーダーは、僕が岩魚の塩焼きがメインの定食、彼女が山菜の蕎麦がメインの定食で、それに店名にもなっている代表料理、岩魚寿司を追加しました。
 
 …が。なかなか来ないんですね。隣のテーブルで食べ始めた人が食べ終わっても、なお来ないんです。その間、置いてあった富山県のタウン誌を拾い読みしたり、持って来たガイドブックを見たり。それでも来ないんで、「岩魚を釣りに行ってんじゃない?」とかベタなことを言い合ったり。
 
 ようやく運ばれてきた料理は、とても美味しそうに見えました。昨日の昼以来のまともな食事ですからね。実際、美味しかったですよ。岩魚の塩焼きは塩加減も上出来でから過ぎず、待ったもののその甲斐はありましたね。ちょっと待たされ過ぎかもしれませんが…。
 でもね、僕も彼女も定食を食べ終わっても、まだ岩魚寿司が来ないんですよ。
「忘れられてるんじゃない?」
「いや、釣りに行ってるんだよ」
 とか、訳のわからないことをいいつつも、さすがに「待ってても来ないだろう」と判断して店員に申し出れば、「すみません」と平謝りですぐに出てきました。はぁ、用意は出来てたんですね。
 でも怒りとはならなかったのは、やっぱり美味しかったからでしょうね。川魚の刺身なんて口にすることは少ないですが、サーモンピンクをしたネタはクセもなくとても食べやすく、美味しかったです。
  
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 ちなみに、隣のテーブルに座ったオバさん。僕たちが寿司を待っている頃に向かいに座るご主人に「遅いわねぇ」と声を投げかけてましたけど、そんなのは待ったうちに入らないですからね。もっと待ってください(笑)
 
 道の駅を出て156号線を南へと走ります。この区間は飛越峡合掌ラインとも呼ばれていて、相倉・菅沼の合掌造り集落がある越中五箇山と同じく合掌造り集落の飛騨白川郷を結んでいます。
 走り始めて間もなく、庄川を橋で渡り岐阜県に入りました。「あぁ、岐阜県に入ったね」と言ったのも束の間、次の橋で富山県に戻りました。「あれ、富山県に戻った?」と思えば次の小白川橋で再び岐阜県へ。でも、その次の成出橋でまたもや富山県入り。「むむむ」と思えば、次は飛越合掌大橋。これは斜張橋になるんですかね。そのロープを支える柱が合掌造りをイメージしたものなんだそうです。で、これで岐阜県に。やれやれと思えば次の橋で富山県に。次の橋はオチでしょうね。岐阜県入りです。ご丁寧に「富山・岐阜県境錯綜区間ここまで」との標識もありました。
 
 楽しませてもらったところで車は白川村に入っています。いくつかのトンネルを抜け、道の駅「白川郷」を過ぎて数分、荻町の交差点を直進しました。ここから白川郷の合掌造り集落です。
 荻町の集落をショートカットするバイパスがあるんですが、こちらは集落のど真ん中を貫く道路です。白川郷に用のない人はバイパスを通るわけですから、この道路は駐車場を探す車やら乗降りのために停まる車やらで大渋滞です。おまけに、車のスピードが遅いことも手伝って道路を横断する観光客が多いのも、それに拍車をかけてます。とはいえ、僕たちも駐車場を探すために徐行気味なんですね。
 集落内をしばらく走り、ようやく見つけました。民宿「一茶」の専用駐車場です。
 3時前ということもあり、1台目の駐車となりました。さっそく荷物を片手にキャバリエを降ります。
 
 さて、その民宿「一茶」。御多分にもれず合掌造りです。1ヶ月ほど前に予定が決まり、ガイドブックに載っている合掌家屋の民宿に直接電話をすれば、ことごとく予約が一杯との返事を頂いたんです。そりゃそうですよね。日曜日とはいえ、ゴールデンウィーク中ですから。で、白川郷の観光案内所に問い合わせをして、何とか一部屋確保して頂いたんです。その時応対してもらったのが若い女の子だったんですが、民宿の名を「いっちゃ」と言うんですよね。聞き間違いかと思ったんですが、何度か耳にしました。よほど教養がないのか、本当にそうなのか…。
 合掌家屋へと入る玄関の引戸を開けました。
「いらっしゃいませぇ」、との挨拶と共に現れたのがこの民宿の女将、というかおばさんです。名前を名乗って予約の確認を取ってもらいます。その間に周りを見まわすと、小さな飾り棚に名刺が置かれていました。この女将さんの名刺です。「合掌造りの里 ひだ白川郷 民宿一茶」とあり、その横には「いっちゃ」とのルビが…。あぁ、そうなのね。
 
 スリッパを2足並べてもらったんですが、並べつつも「履くほどでもないんですけどね」と。
 並べ終えて腰を伸ばして一歩。玄関のすぐ左にあるガラス戸を開けたんです。「こちらになります」。
 確かに。畳敷きですからね。スリッパを脱いで部屋へ。2人ともスリッパを履いていたのは一歩か二歩です(笑)。
 部屋の中では、夕食やお風呂の案内とともに、用意して頂いた散策マップで簡単に集落の案内をしてもらいました。夕食は6時からとのことですから、まだ3時間ほどあり、十分に楽しめそうですね。
 部屋には外から掛ける鍵がないんですが、それが民宿の良さなんでしょう。さっそく散策に出かけます。
 
 まず向かったのが、白川八幡神社。毎年10月に行われるどぶろく祭りの舞台となる神社のようです。
 旅の無事を祈ってから「どぶろく祭りの館」へ。ここでは地元で祭りの時にのみ作られるというどぶろくを授かることができる、と女将さんに聞いて来たんですが、「あぁ、入館料が要るのね」とパス。いや、ただで飲めると思ってたわけではないですよ。でも、入館料がいるんじゃねぇ…、とやや興ざめになった、ってことです。
 次に向かったのが和田家です。この集落内でも最大規模の合掌造りだそうで、国の重要文化財に指定されているんだそうです。
 そこに向かいながら思っていたんですが、白川郷荻町集落は数でこそ五箇山の2集落より合掌家屋が多いものの、合掌造りではない家屋も多いんですね。メイン通りには観光地らしく、お土産物屋さんもたくさんありますが、その多くは合掌ではないんですね。中には2階、3階相当部分に衛星放送用の白いパラボラアンテナが光っている合掌造りがあったりと、何となく五箇山より近代的なのかな?と思ってみたり。観光客の数も比べもにならないくらいに多いですしね。
 
 10分ほどぶらぶらと歩いて和田家に到着。
 単に建物を紹介しているだけでなく、資料館のようにもなっていて、昔から実際に使われてきたという漆塗りの器や生活用具なども展示されています。
 しかし、観光客の多いこと。上階へと上がる階段付近に降りる人、昇る人が群がってます。もちろん同時に昇り降りは不可能です。
「上り下りで分ければいいのに」と、とあるおじさんがブツブツ言ってましたが、もともと観光客が来ることなんて考えて設計などしてないんですから、それは無理です。
 
 1階に戻り、各部屋を見渡して和田家を出ました。
 「野外博物館合掌造り民家園」へと向かいます。
 白川村の西北部にあった加須良集落が集団離村により廃墟となり、その貴重な合掌家屋を保存するために移築したのを一般公開するようにした施設だそうです。
 庄川をであい橋という名の吊り橋で渡ればまもなくです。ここには乗用車はもちろん、大型バスが何台も停められる大きな駐車場があります。荻町集落の外れまで歩いてきたのかと思ってたんですが、逆ですね。こちらが観光客の玄関のようです。
 
 5時の閉園までは1時間ほどしかないので急ぎぎみに見てまわります。とはいえ、僕たち2人のことですから、必然的に歩みはゆっくりに。すばやく見て回る、というは2人とも苦手です。パンフレットには見学所要時間/約20〜30分とあるんですけどね。1時間はかかるでしょう。
 合掌家屋が点在している中に、水車小屋があったり、木曽馬が飼われていたり。それなりに楽しめます。
 でも、この合掌造り民家園は合掌家屋を移築したものだけに、何となく「作られた古さ」というのを感じてしまいます。今日見た民俗館や和田家のような本当の古さとはどことなく違うんですね。これこそ、本当に彼女の言うテーマパークです。
 
 合掌造りの原型とされる建物があります。これは合掌の茅葺き屋根部分だけが地上に置いてあるような形状で、ぱっと見は竪穴式住居を思い起こさせます。骨組みを組んで、それに屋根をかぶせる。キャンプで使うテントもそうですが、これが人間の住処の原点なんでしょうね。それが木造となり、鉄骨となり、いまや超高層マンションも珍しくなくなってます。人間とはすごいもんです。
 この進化を動物はどう見てるんでしょうね。小柄な木曽馬がこっちを見てます。写真を撮ろうと近づくと遠ざかり、離れると寄ってきます。なかなかいいショットが撮れないんですよね。ニンジンでも持ってくれば寄ってきてくれるのかもしれませんが…。
 
 園内を一回りし、一軒の合掌家屋の縁側に並んで腰掛けます。1時間なんてあっという間ですね。気がつけば閉園を知らせるアナウンスが鳴り響いてます。そろそろ出ましょうか。
 こちらは閉園とはいえ、6時まではまだ間があるので、集落内を散策します。
 
 先ほど、合掌以外の建物も多い、と書きましたが、場所によっては合掌家屋だけが数軒並んでいるように見える場所があったりと、合掌家屋の多さが物を言う面もあります。
 和田家近くで引き返し、今度はメイン道路を土産物屋をひかしながら歩きます。
 白川郷は飛騨にありながらも、世界遺産つながりで越中五箇山のお土産もたくさん並んでます。こきりこで使う楽器「ささら」にも興味を引かれたんですが、モノより食い気…か、どぶろく羊羹をお土産に買いました。
 
 民宿に戻り、夕食を頂きます。
 囲炉裏のある大広間には宿泊者数分の料理が膳で並べられています。既に食事を始められている熟年夫婦の隣に腰を下ろしました。
 ビールで乾杯してから食事を頂きます。民宿の料理は素朴なもの、との思いが強かったんですが、意外なまでに贅沢さを感じましたね。野のもの山のものが多いのは当然としても、川魚の塩焼きがあったり、飛騨牛の陶板焼きがあったりと、十分すぎるほどです。
 隣に座る奥さんのだったでしょうかね、
「どちらから?」
 との問いかけから始まり、かなり会話が弾みました。聞けば福井県の方で、定年を迎えたご主人と一緒に信州と飛騨を旅行されているのだとか。昨日は善光寺に参られて、今日こちらへ来られたとのこと。こちらも昨日からの行程を話したりしていると、ご主人が
「カーナビに東海北陸道が無くて驚かれたんじゃないですか?」
 と。確かにそうですね。今や砺波から白川郷まで高速でひとっ走りですから。五箇山から白川郷まで開通したのはつい最近のことです。
 でも、今日は五箇山から下道で来た、という話をしたんですが、逆に長野からなぜに東海北陸道?という疑問が起こったんです。なんとなく松本から高山経由の方が自然な感じがしたんですね。
「歳を取ると、楽をしたがるから…」
 と、長野からは上越市を経由して北陸道、東海北陸道と走ってきたんだそうです。
 
 話をするというのは気持ちを寛大にさせるんですかね。最後には「何かのご縁」とビールをご馳走になってました。楽しい時間をありがとうございました。
 
 部屋に戻ってから風呂に入り、今日の疲れを落とします。
 不思議な話というのか、自然な流れというのか、この民宿、外見は完全な合掌造りなんですが、トイレとバスルームはやたらと近代的なんです。トイレは人が入れば自動で照明が点きますし、もちろんシャワー付き。風呂も家族風呂サイズとはいえ、新築の家と見紛うほどに綺麗なもので追い炊き、温度調整なども簡単にできる操作パネル付きです。
 各部屋の雰囲気は歴史と落ち着きを感じさせるもので、衛生面は近代的。ミスマッチに思えるかもしれませんが、お風呂やお手洗いが古汚いよりは宿泊者思いといえるでしょうね。とはいえ、心のどこかで五右衛門風呂を期待していたというか、覚悟していたのも事実です(笑)


4月28日(月) 走行距離 85.3km 総走行距離 64550.6km
 民宿の朝は早いです。7時から朝食ということで6時20分に目を覚ましました。
 着替えと洗顔を済ませて朝食を取りに大広間へ入りました。
 座る場所は昨日と同じ。隣では昨日と同じく、ご夫婦が先にご飯を食べていらっしゃいました。
 さすがに朝から話し続けることもなかったんですが、今日はどこへ行くのだとかといった会話は交わしましたね。このふれあいが民宿の味わいなんでしょうね。
 食事の方は、これまた朝とはいえそれなりに豪華です。中でもひときわ目を引くのが卓上コンロにかけられた「朴葉みそ」でしょう。飛騨ですから…。彼女とは「さすがは飛騨だね」とか言ってたんですが、今晩はその飛騨の中心地・高山の旅館に泊まるので、夜の飛騨牛と朝の朴葉みそは必ず出ます。僕も彼女も土地のものを食べるのが大好きですから、いいんですけどね。美味しいですから。いや、この朴葉みそは美味しすぎます。思わず3杯目のご飯を食べそうになりましたから。でも、彼女の目を気にしてやめておきました。朝から食いすぎです…。
 
 部屋へと戻り、出発の準備をします。今日は白川郷から南へと下り、荘川桜を見た後、高山へと向かいます。ここを早めに出れば昼過ぎには高山へ着けるのではないかと踏んでるんですね。そうすれば半日は高山の観光に充てられます。
 というわけで出発です。女将さんを呼んで精算してもらいました。ゴールデンウィークにも関わらず、1泊2食付で税別7,700円。合掌造りで美味しい料理。これで格安。この雰囲気が嫌いでなければお勧めのお宿です。
 
 駐車場に行くとキャバリエの横に一台の車が停まってました。福井ナンバーのこの車、例の熟年夫婦のものです。ちょうど出発の準備か、ドアを開けて荷物の整理をされていたので、先に出発となりました。窓を開けて挨拶をしながら、ゆっくりと車を進めます。「お気を付けて」。
 旅行中の出会いって楽しいですよね。
 
 早くに出発した理由は高山での観光時間を増やしたいから、というのともう一つあって、荻町城跡に行きたかったからなんです。
 宿から歩いても20分ほどらしいんで、朝の散歩に…とも考えたんですが、往復することを考えれば、車で行ってそのまま荘川に向かった方が楽だなぁ…、と思い直しました。というわけで朝のドライブです。
 集落を抜け、カーナビの案内も途絶えるような妙な山道に入ってしまって不安にかられること数分。観光マップを信じて走らせると荻町城跡への案内板がありました。そこからも狭い道が続いたんですが、高台に登りついたところにありました。荻町城跡、いまでは展望台となっています。
 
 そこで目にした風景は、感嘆というよりも納得に近く、感情を高ぶらせるのではなく落ち着かせるものでした。数多くの合掌造りの家屋が寄り合って一面に広がって見えます。その遠景には雪の残る連峰があります。箱庭のような光景に思わず笑みがこぼれます。
 朝日を浴びる荻町の集落は、本当に箱庭のようですね。五箇山にはないアングルですから、写真を撮る手にも力が入ります。素晴らしい景色です。
 彼女もよく言ってたんですが、これに雪が降っていれば見た目には最高でしょうね。屋根に雪が残る合掌家屋。その切妻の屋根から生活の煙が立ち昇っていれば最高の絵になりそうです。
 でも、冷静になって言いました。
「その時は、キャバリエじゃなくてバスでね」
 って。
 
 荻町城跡の展望台を後にします。再び山道を戻り、荻町の交差点を過ぎ、今度は集落に入らずにバイパスを走ります。
 バイパスに入ってすぐ、左手に合掌造り民家園が見えました。なるほど、ここなら白川郷への玄関口というに相応しいですね。
 しばらく山の中を走り続けます。御母衣ダムが見えてきます。ということはここから御母衣湖ですね。ここから湖に沿っておよそ10kmで有名な荘川桜に到着です。
 
 有名…とはいえ、名前は聞いたことがあるものの、どういう謂れがあるのか、実は知らなかったんです。簡単に説明すると、ダムの建設により湖底に沈む運命にあった集落にある寺の境内で、花を咲かせ続けてきた桜の木を見放すのは忍びないと、湖を見下ろせる位置に移植したんだそうです。定着するかどうか不安があったものの、数年後からは以前と同じく見事な花を咲かせたというんですね。
 一目見てみようと寄り道を決めたんですが、近づいてみるとありました。荘川桜駐車場、とあります。でも…、なんだかがらんとしてますね、この駐車場。そんなに人気はないのかな?なんて話をしながら矢印に沿って歩くと、やや距離があるんです。どうやら第2駐車場に誘導されたようで、一番近い駐車場は結構な混雑ぶりでした。やっぱり人気スポットのようです。
 
 桜の木がぽつんと植わっているだけかと思っていたんですが、売店あり、郵便局の出張販売所ありとまるで観光地です。いや、観光地ですよね。
 さて、その肝心の桜の木ですが、想像以上に巨木でした。ただ、時期が外れているため、巨木の中に、ほんの僅か、数えるほどの花が咲いているだけでした。これが満開ならばさぞかし綺麗だろうと思います。過去の話とあいまって、美しさが感動を与えそうですね。
 桜の周辺は小さな公園のようになっていて、荘川桜にまつわる物語や記念碑などが設置されています。
 桜の花が咲いていない時は…、そうですね。横の湖をバックに写真を撮りましょう。目の前に広がる湖の風景もなかなかのものです。
 この底に沈んだ集落に思いを馳せながら、しばし湖を眺めていました。
 
 駐車場に戻り、高山を目指します。
 山間の道をしばらく走ると荘川に着きます。ここから清見までは東海北陸道と並行することになるんですが、一瞬の迷いの後、国道を選びました。ここから清見まではおよそ25km。途中に渋滞を起こしそうな要因も市街地もなさそうですから、高速道との差はよくても10分ほどしか開かないんじゃないかと思います。
 時折見える東海北陸道は渋滞も無く順調に流れているようですが、こちらも快適に流れています。
 結局清見までは20分ほどで走れましたから、インターチェンジでのアクセスを考えれば、高速を走ったとしても5分程度の短縮にしかならなかったんじゃないでしょうか。
 ここから高山までは約20km。およそ30分の道のりです。
 
 清見村からは渋滞なんて全くなかったんですが、高山市内に入って市街地に近づいた頃、いきなり渋滞に捕まりました。トラックや社用車が多いんですね。考えてみれば今日は平日です。今日が休みの観光客が渋滞に輪をかけてるのかもしれないですね。月曜日の午前中ですから。
 そうなんです。早め早めに行動した結果、11時過ぎに高山に到着したんです。これは嬉しいですね。今から十分に観光ができそうです。
 
 渋滞の激しい交差点を左折すると、そこからはスムーズに。高山駅の北側でJR高山線を越え、少しばかり走ったところに、本日のお宿「霧氷館」がありました。最近、旅行中の宿泊施設はネットで予約することが圧倒的に増えてるんですが、ここもその一つ。でも、珍しいことに予約した翌日、直接確認の電話がかかってきたんです。多くの施設はメールのやり取り程度で終えるもんなんですけどね。
 で、その確認の電話中に駐車場のことについて聞いてみたんです。チェックイン時間の前に車を停めさせてもらえないかと。結果は○。よっぽど親切なのか、よっぽど暇なのか、
「いつ来て頂いても結構ですよ。朝から停めて頂いても構いませんし。」
 と。11時とはいえ午前中。確認をしておいて良かったと思いながら、駐車場に車を停めました。
 
 バッグなどの荷物はとりあえず車の中に放置しておいて、身軽になって旅館の扉を開けました。さすがに11時過ぎというのは静まり返ってますよね。でも、フロントには男性がいらっしゃいました。声に聞き覚えがあったのは、予約確認の時に聞いたからなんでしょうね。
 車を預けておきたい旨を話すと、高山市内の観光マップを出してきて、ここから市内の中心までの裏道を説明して頂きました。中心部からやや外れたところにある旅館ですから、歩くと15分前後かかるとのこと。もちろんそれを承知の上で予約したんですが、夕方に電話をもらえれば高山駅まで迎えに行きます、との話を頂きました。列車で来た客を迎えに行くというのはよく聞く話ですが、ありがたいサービスですよね。
 
 では、出発しましょう。
 教えられた通りに道を曲がり、交差点を渡り、てくてく歩きます。
 坂道を登り、反対側へと下りかけた頃、市街が見えてきました。高山らしいか、と聞かれれば、「まだ判らない」と答えるしかないですが、栄鏡院というお寺から大通へと出れば、一気に「高山らしさ」が増してきたような感じがします。いや、何があるわけでもないんですけどね。高山別院のそばから土産物屋が並び、観光客の姿が急に増えた、ということです。
 それでも、安川の交差点を左に曲がれば、「これはもう高山でしょう」という風景が目に飛び込んできました。高山祭りで使われる屋台が置かれていたんです。高山祭りは年に2回あるんですが、春は2週間ほど前にあったばかり。その片付けの最中のようです。高山にはこのように、屋台を収納する倉庫が街のあちこちにあるんです。
 
 僕たちが目指しているのは「三町(さんまち)」。古い町並みが残るエリアで、高山でも筆頭の観光スポットです。
 それだけに、近付くにつれ、観光客の姿が増えてきます。
 
 まずは三町、としたものの、実はここ以外に行く予定はないんです。彼女の意向はこの三町で高山の雰囲気を楽しむというもので、郊外にある飛騨民俗村や飛騨高山祭りの森には行くつもりはないんですね。高山に1泊とはいえ、明日の午前中には出発する予定ですから、目的を絞った方が楽しめる、ということでしょう。
 このさんまち(漢字で書くよりも小京都らしい雰囲気と趣きがありますよね)は代々継がれてきた古い家屋で営業をする店が軒を連ねる一画で、それぞれのお店が楽しめます。
 まず訪れたのが「うさぎ舎」。うさぎをモチーフにしたした小物やアクセサリーが店内一杯に広がっています。決して飛騨地方に伝わる伝統工芸品だけというわけではないんですが、この日本人の心を擽る洗練さと可愛らしさが若い(…だけとは限りませんが)女性の心をつかんでるんでしょうね。店内は癒しを求める人々でごった返してました。僕もこういうグッズは好きなんですね。彼女とともに店内をゆっくりと見歩いてました。
 他にもいくつかのお店に入ったところで、時刻は12時30分近くになってました。そろそろ昼食にしましょうか。
 同じ食べるなら、高山らしいものを…、と考えたんですが、高山らしい食べ物といって真っ先に浮かぶのが「朴葉みそ」。これは既に食べましたし、明日の朝にも出るはずです。次に「飛騨牛」。これも同じですね。他に高山らしいものは…。
 とガイドブックを見て、彼女が面白そうな店を見つけたんです。「東風庵」という豆腐料理のお店です。陣屋とうふという高山の伝統製法で作られている豆腐らしいですし、おまけに小京都らしい「和」を感じます。
 で、行ってみたんですね。最初、気づかずに素通り。引き返してみて、やっと気がつきました。でも、普通の販売店なんです。とても料理屋には見えないんですね。まぁ、売ってるものが豆腐とか油揚げとかなんで、ここで間違いないんじゃない?とか言いつつ、どうしたものか迷ってたんです。というのも、その店舗にも人の姿すらなかったものですから…。奥へと続く口へ大きな声で呼びかけてみたところ、おばさんが出てこられたんですが、現在は販売だけで飲食の部は休止してるとのこと。決して古いガイドブックではなかなったんですが、残念です。
 
 仕方なく諦めて振り出しに戻ります。
 郷土料理のお店も候補にしたんですが、最終的に選んだのは高山ラーメンのお店。昼ご飯そのものは抑えておいて、買い食いしない?と彼女に提案してみたんです。何となくぶらぶら歩きながらいろんなものを食べたくなったんですね。話に乗っかった彼女とともに向かったのは「まさごそば」。高山では有名なラーメン屋です。
 筏橋から程近い場所にあるとは言うものの、通りからは外れてますから立地はそんなにいいとは言い難いんですね。それでも並んで待ってるお客さんがいるんですからたいしたものです。楽しみです。
 列に続いて順番待ち。それなりに待ってカウンターへと辿り着きました。
 メニューは中華そばのみ。バリエーションは並みか大盛りのみ。と、注文に時間のかかる僕たちでも悩む必要は全くなしです。
 数分して、水色と赤に塗り分けられた「いかにも」という中国の帽子をかぶった店主からラーメンを頂きます。醤油ベースなんですがコクがあって、美味しかったですよ。店主のおじさんは、一見ガンコおやじかと思ったんですが、お客さんにも愛想よく、なかなかユーモアのある話を展開してくれます。そういう意味では、大混雑するピーク時を外した方が面白いでしょうね。
 
 食後のデザートにも惹かれたんですが、まずは観光。高山陣屋を目指します。
 ここは元禄5年(1692年)に徳川幕府が飛騨を幕府直轄地として以来、行政・財務・警察などの政務を行っていたお役所です。
 陣屋の前は広場になっていて、ここが有名な朝市(陣屋前朝市)の場です。この朝市には明日の朝に来るつもりです(朝市なんですから朝に来るのは当たり前といえば当たり前なんですが…)。
 
 さて、この陣屋。玄関之間から始まり、大広間、御役所、御用場など時代を感じることしきり。町組頭詰所から用人部屋、御勝手、台所、土間と進めば当時の生活が頭の中に浮んできそうです。ここに数百年前、確実に生活があったわけですから。でも、すごいと思います。何がスゴいって、この、どう見ても時代劇のセットにしか見えない江戸時代からの建物で、僕が生まれるわずか数年前の昭和44年まで、飛騨県事務所として執務がなされていたというんですから。普通に県庁の出張所のような感覚で訪れて、普通なら応接室のソファーに案内されてコーヒーが出されるところを、茶の間に案内されてお茶の接待なんかを受けようもんなら、訪れた用件を忘れそうです。まぁ、そんなことは晩年にはなかったんでしょうけどね。
 建物内をぐるりと回り、最後にあったのが吟味所・白洲です。今で言う取調室ですね。自白させるために用いたという責台と抱石。まさに時代劇です。
 
 陣屋の建物を出た後も順路は続きます。巨大な御蔵の見学です。中はパネルやさまざまな資料を展示してあって、資料館のようですね。今はなき高山城を再現したスケールモデルなどもあり、飛騨地方の歴史などを学ぶ事ができます。
 余りの資料の膨大さに、後半はやや食傷気味になってきたんですが、こういう資料って研究家じゃないんですから、斜め読みで十分なんでしょうね。一般の旅行者にとっては…。どうも僕たち二人は吸収欲が強いようで…。
 
 陣屋から出ると、歴史の世界から現実に戻ります。とはいえ、目の前には人力車の兄さんたちが客引きをしてますし、ちょっと歩けばさんまちの古い町並みが広がってますから、陣屋で感じた時代とさほど変わらないようにも見えます。
 古い町並みを通り、宮川に沿って歩きます。ここは、陣屋前と並ぶ高山朝市のもう一つのエリアで、陣屋前朝市に対して宮川朝市と呼ばれています。もちろんここも今の時刻は、何もない通りです。
 にも関わらずここに来た理由は、「泉屋」というお店を訪れるため。ガイドブックで見つけた気になるお店です。
 でもその前に。もう一つ気になるお店があるんです。
 それが、ソフトクリーム屋さん。高山の地酒を使ったソフトクリームを食べさせてくれるそうなんです。これは要チェック、と思ったものの既に販売は終了。3時頃でおしまいのようです。
 あぁ、残念。と思いながら宮川沿いに歩いていくと、なんと楽しみにしていた「泉屋」も営業終了。どうやら、この宮川沿いのお店は、朝市の開かれる時間に合わせて営業しているようで、午後は早々に店仕舞いをするようなんですね。どうりでがらんとしているはずです。
 
 もう一度さんまちに戻ります。ぶらぶらといろいろな店をひやかしながら歩きます。彼女が、頼まれたからと、とある一軒の味噌屋に入ります。造り酒屋で地酒の試飲は経験がありますが、このお店は自家製のお味噌で作った味噌汁を小さな紙コップで試飲させてくれます。味に自信があるんでしょう。それも納得できるほど美味しかったですね。高山で味噌というと「朴葉みそ」しか頭に出てこなかったんですが、ここではいわゆる普通の赤・白・麹などを扱ってます。味噌が美味しいのは北アルプスの清流と関係があるんでしょうかね。
 
 ところで、高山のお土産で忘れてはならないのが「さるぼぼ」です。赤い布で作られた人形(…人じゃないんですね、名前の通り、猿です)で、目も口もない丸い頭が手足を広げた体に付いているだけのものなんですが、目がないのにかわいいんです。一般に、目は口ほどにものを言うと言われるくらいに、目が表情を決める重要なファクターとなるんですが、その目がないのにかわいらしく見えるのは一体、なんなんでしょうね。
 ちなみに、さるぼぼとは「さるの赤ちゃん」という意味があり、昔は安産・災難除けなどのお守りとして持たれていたんですが、今では完全にアクセサリー、マスコットの類となっています。大きさもいろいろと売られていて、携帯のストラップから置き物まで、いろいろです。
 大きなさるぼぼを店頭に飾るお土産物屋も多く、さるぼぼの形をした煎餅やクッキーなんかも売られています。高山のアイドルですね。
 
 染め物の店や、ろうそくの燭台を専門に扱う店など風変わりな店で楽しんでいると、時刻は5時に近くなっていました。そろそろ宿へと戻る時間です。
 駅まで行って迎えを待つのもいいんですが、駅は宿とは反対方向となり、今いる場所からは宿まで歩いても20分とかからないので歩きます。
 歩きながら明日の予定を話します。陣屋前と宮川の朝市、閉まってた泉屋、それに…「地酒ソフト」。これはやっぱり気になります(笑)。
 
 話しながら歩くと早いんですよね。旅館「霧氷館」に到着です。キャバリエから荷物を降ろしてフロントへと歩きます。ここで正式にチェックインです。
 和服姿の女中さんに案内されてやってきたのは3階にある和室。夕食の説明にお風呂の説明なんかが終わったところで、奥の窓へ行き、
「あちらに見えますのが北アルプスです。あぁ、でも今日はちょっと見えにくいですね。綺麗にご覧頂ける日もあるんですが…」
 と。ふむふむ、と聞いてはいたものの、なぜに? との疑問が。窓の外は郊外型の店舗なども見え、あまりいい点数を付けられないんですが、北アルプスが綺麗に眺望できればかなりプラス側に働くでしょうね。
 女中さんが去っていったところで思い出しました。予約する時の部屋の選択でのコメントが「北アルプス眺望/トイレ・洗面付…」だったんです。なるほど。そんなこと忘れてました…。
 
 夕食前に一風呂浴びようとお風呂場へ。こちらも天然温泉ではなく普通のお風呂だったんですが、今日一日歩き回った疲れが洗い流されましたね。サッパリです。
 館内放送で夕食の準備が出来た事を聞き、風呂から上がってきたばかりの浴衣姿に丹前を引っかけ、広間へと下りました。
 
 越丈ほどの衝立てでブースのように仕切られた大広間には、部屋ごとに人数分の膳が並んでいます。入口に名前入りの見取り図が用意されているので、それに従って座ります。
 今日の料理もなかなかですよ。
 陶板での飛騨牛の味噌焼きに、牛のたたきも見えます。バーベキュー風の串焼きも後で運ばれてくるそうですから、まさに飛騨牛尽くしです。予約の時の宣伝に偽りなし、というところですね。
 気分をよくして彼女とビールで乾杯です。
 牛だけでなく、野菜、山菜と飛騨地方の味がふんだんにあり、なぜか新鮮な刺身もあります。
 どれもが美味しく、何より、おかずがたくさんある時の、どれを食べようか迷う時の幸せ感、これは最高に贅沢です。
 
 ほどよくビールがまわってきた頃、旅館の女将さんが回ってきました。各膳ごとにご挨拶をされているようで、この心遣いにまた感銘です。簡単に料理の解説もして頂いたんですが、話の最後に、飛騨牛のたたきの横に盛られていたすり身が何者かを聞いてみたんです。
「こちらは、鮪の中落ちになります」
 と。…、マ、マグロ? もっとも、飛騨牛でこんな部位がないこと明白ではあるんですけどね。並んでたんで、何かな…と(笑)。
「高山は山の中ですけれど、富山からも近うございますので、新鮮な魚を取り寄せております」
 と。確かに山の幸の天ぷらの上には大きなエビもあります。輸送事情が発達した昨今、山の中の旅館では山のものしか出さない、という時代ではないということでしょうね。どこにいても美味しいものが食べられるというのは幸せなことです。
 
 別に頼んだ冷酒も効いたのか、いい気分です。
 飛騨の味を十分に満喫して、部屋へと戻りました。
 

4月29日() 走行距離 221.7km 総走行距離 64772.3km
 昨日と同じく6時20分頃に目覚めました。今日も朝食は7時から。場所は夕食と同じ大広間です。
 膳を彩る献立は、和風旅館の朝食そのものです。その中でも飛騨を感じるのは、やはり朴葉みそですね。葉の上で味噌がプツプツと泡立ち、そのたびに焼けた味噌のいい香りが広がります。
 いや、これは罪です。結局、あまりの美味しさにご飯を茶碗に3杯食べてました。朝食をしっかりと取るのは体にいいことですからね。取り過ぎは判りませんが…。
 彼女も普段の朝は小食らしいんですが、今日は多めに食べたとか。美味しいんですよね。
 
 飛騨地方で生産されているという缶ジュースを1本ずつ頂いて部屋に戻ります。
 出発出来る支度をしてフロントへと下りました。チェックアウトは10時までとまだ時間はあるんですが、ここで精算です。というのも車を預かっておいてもらおうと思ってるんですが、10時までに戻ってこれるかどうかは判らないため、どうしようかと相談したんですね。そしたら、先に精算をお願いします、と。「戻ってこられましたら、そのままご出発ください」と言って頂きましたので、気が楽ですよね。
 いろいろなところに気を配られていて、料理も美味しくて、シーズンを問わずに年中同額の税込み8,888円。いいお宿でした。
 
 歩くことおよそ15分。街の中心部に到着です。朝が早いにもかかわらず人手が多いのは朝市の影響でしょうね。
 まずは、陣屋前へと向かいます。
 陣屋へと続く赤い欄干の美しい中橋の上は多くの旅行客が行き交い、目の前に見える陣屋も活気にあふれてました。
 簡単にパイプを組んでシートを被せた「出店」がいくつも軒を並べています。自家製の野菜や漬物、民芸品工芸品。フルーツを切り売りするお店もあります。そのお店を切り盛りしているのは、ほとんどが年配のおばさん、もしくはお婆さんといった方です。
 でも、面白いのがその方々で、積極的に観光客に商売口調で語り掛けてこられる方もいれば、新聞や週刊誌を読みながら、声をかけられるのを待っている方もいます。どちらも、並んでいるものをゆっくりとは見にくい雰囲気なんですが(笑)、その中でも2、3、気になるお店を覗いてみました。民芸品を売るお店は、明らかに観光客向けの商売ですから、大概は優しく接してもらえるんじゃないでしょうか。今でこそ、大半が観光客向けの商品ですが、かつては地元の台所としてもにぎわっていたそうです。まさか、一見さんお断り、というお店はないでしょうが、新鮮野菜を前に並べて新聞を読むおばさんには声をかけがたい雰囲気はあります。
 
 くるりと一回りして、広場の隅にあるベンチに腰掛けました。
「なんだか、規模が小さいと思わない?」
 と。もともと陣屋前広場はそれほど大きくはないんですが、広場を所狭しと立ち並んでるのかと思ってたんです。彼女の感想も同じようなものでしたから、思い過ごしではなさそうです。
 高山朝市は2度目なんですが、前回訪れたのは遥か昔の小学6年生の時。その時の印象とダブらせているのかもしれません。大きかったのは宮川の方かな? と、宮川へと移動します。
 
 陣屋前が広場だったのに対して、こちらは川沿いに一列に並んでいます。結構な長さに連なっていますから、18年前の朝市の記憶はこちらだったのかもしれないですね。
 
 では、さっそく。
 朝市のストリートの入口近くにあるソフトクリーム屋さんに寄ります。「当店だけのオリジナルです」との触れ込みで呼び込みをしています。昨日から楽しみにしていたんですが、実際のところ、食べてみるとそれほど地酒の香りが強いわけではなく、食べ終わった後に、ほのかに口の中に香りが残るかな?という感じですね。知らずに食べたら、普通のソフトクリームと区別が付かないかもしれないです。
 ちなみに…。車に乗る前に食べてもいいの? というところですが「アルコール度数1%未満」との表記もあるものの、これだけ大量に空気を含んだクリームに混ざってるんですから、実際のアルコール量など推して知るべしでしょう。
 
 朝市のお店は、当然ながら陣屋前と同じようなものです。かつては宮川は市民の台所と言われていたらしいですが、今は同じですね。
 伝統にとらわれないさるぼぼを作って売るおばさんのお店がありました。スキーをするさるぼぼとか、温泉に入るさるぼぼとか。でも、大きいのと小さいのが4人ほどセットになっている商品のネーミングが「さるぼぼファミリー」となっていたのを見つけた時、僕も彼女もほぼ同じにツッコミましたね。
「さるぼぼファミリー…って」
「さるぼぼって、『さるの赤ちゃん』…だよね」
 でも、いいんです。かわいいですから。
 
  
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 川沿いの通りを先に進むと、「泉屋」さんがありました。開いてます。
 というわけで、中へ。
 ここはお土産物屋さんなんですが、扱っているさるぼぼの種類は高山で一番と言われていて、彼女はもちろん僕も気になるお店だったんです。入口側はお土産用のお菓子等が並んでいるんですが、お店の奥の1/3位がさるぼぼの赤一色なんです。この種類の多さはただものではないです。
 携帯のストラップから、抱きマクラかと思うほどの大きさの置き物まで、あらゆるものが揃ってます。
 さるぼぼは、赤い四角い布の隣り合う辺どうしを縫い合せて綿などをキツイ目に詰めたのを胴体とするのが基本なんですが、きちんと手足を作り、中にはお手玉のように張り詰めることなく詰め物をしたものがあります。机の上などに置けば体がクニャッと曲がるこのさるぼぼ、名前を「くたくたさるぼぼ」といい、かなりの人気のようです。
 
 とはいえ、独創性では朝市で並んでいる手作り品には敵いません。
 泉屋で長い時間かけて選んだ末に、彼女が二つ、僕が一つのさるぼぼを買った後、陣屋前朝市で見つけたオリジナルさるぼぼをもう一度見に行くことにしました。
 2人のさるぼぼがペアで並んで一つのフレームになった壁掛けで、2人の旅行の思い出にはベストですよね。
 
 僕は、その隣のお店に並べられていたタオル地のうさぎが妙に気になってたんです。
 あまりに可愛かったので買っちゃいました。でも、30過ぎの男が買ったのが不思議だったのか、そのお店のおばさん、
「これはね、タオルで作ってあるんだけど、切れ目を入れてないの。だから、リボンを解くとタオルとして使えるからね」
 …。そんなもったいない事はしません(笑)。
 
 その後も、もう一度さんまちをぶらぶらしたり、彼女が訪ねてみたかったという民芸品のお店を覗いてみたり。
 高山の街歩きを楽しみました。
 
 気づけば10時を遥かに過ぎてます。予定では朝の早い目に高山を出発して、長野県の松本に昼過ぎには到着するつもりだったんですが、さすがに無理ですね。引っ張り回した彼女は時間の超過に恐縮してましたが、僕は明日も休みなんで全然問題なしです。明日が出勤の彼女さえ許せばね。
 最後に商店街でお土産を調達し、旅館へと戻りました。
 11時過ぎ、旅館の駐車場から松本に向かって出発です。
 
 高山から松本へは安房峠を越えるのが一般的です。97年には難所だった安房峠をカットするトンネルも開通しましたし、通常はこのルートを走ります。でも…。
 面白い事に彼女が別ルートを走りたいと言ってきたんです。そのルートとは「野麦峠」を通る道です。
 
 一瞬、脳裏には「道、悪いんじゃない?」とかすめたんですが、彼女の提案に飛び付いたんですね。というのも野麦峠にある「お助け小屋」という休憩所で、物語を忍ばせる稗飯を食べられると言うんです。ちょうどお昼時に峠を通過しそうなタイミングですしね。それでは出発しましょう。
 市街地を抜け、美女高原へと向かいます。このあたりはカーナビの誘導通りです。
 ところが、塩屋町から山間に向かうかな、という所で、目の前に「車両通行止め」の標識が現れたんです。うわ、この区間が通行止めだと久々野を経由するルートしかなく、かなりの遠回りとなってしまいます。これはピンチですね。
 でも不思議な事に、その通行止めであるはずの区間から対向車が走ってくるんです。うーむ、通れるのかな?
 僕たちの前を走っていたセダンは、一瞬躊躇したように見えたものの、その通行止めの区間に入っていったんです。ならば、と僕たちも後に続きました。そのすぐ後に4トンほどのトラックとすれ違ったんで確信しましたね。大丈夫だろう、って。
 
 若干道幅の狭い区間もあったものの、これといった問題も無く(工事をしているでもなく事故現場があるでもなく)、通行止めとされていた区間を走りきりました。何だったんでしょうね。
 そこからは朝日村役場付近で平地に出たものの、そこを抜ければ延々と山道が続きます。見通しの悪いカーブの連続ですから、平均速度は30km/h前後というところでしょうか。道幅は狭いものの、すれ違う車の数も少ないのでそういう意味では走りやすいかも知れないです。
 それでも、たまに後ろから走ってくる元気な改造車に道を譲る事も何度かあったんですけどね。カーブの多い山道の運転は嫌いではないですが、かなり慎重です。
 
 高根村の高根第一ダムを過ぎたあたりで木曽福島方面との分岐があってからは、ほぼ一本道という感じです。山道の具合も幾分か険しさが増して来たような感じもします。かの野麦峠ですからね、平坦な道であるはずがないんです。
 高山を出発する時に予想していた到着時刻よりもかなり遅くなりそうですね。カーブの多さで、想像以上にスピードが伸びないのが原因でしょう。直線区間はそれなりに快適に走ってるんですが、カーブの前後でかなりの減速となりますからトータルでは遅いんです。
 そんな区間がどれくらい続いたでしょうね。延々と続いていた上り調子の道路が、部分的に平坦になったり下りになったり、峠に近づいて来た事を予感させます。ほどなく、お目当てのお助け茶屋が右手に見えて来ました。
 
 カーナビの示している標高は約1,660m。僕の記憶する限り、このキャバリエでは最高地点となるはずです。駐車場から建物に近づきました。
 入口近くにはお土産物が並んでいます。信州の名産品もあるんですが、圧倒的に飛騨のお土産の方が多いですね。岐阜・長野の県境とはいえ、岐阜の経済圏という事なんでしょうか。
 土産物コーナーの奥に、食堂がありました。
「あ…」
 彼女の声に遅れて僕の声が響きます。メニューのウィンドウには「準備中」のプラカードがぶら下がってました。
 時計を見れば13時20分。ちょうど昼食時なんで、何の準備中だか…。
「ひょっとして、1時まで?」とか「2時から営業?」とか言い合ってはみたものの釈然とせず、食堂の入口から厨房で働くおばさんに声をかけてみたんです。
「すみませーん。お昼の営業って、終わったんですかぁ?」
「あぁ、まだなんですよ」
「え? お昼の営業がまだなんですか?」
「いえ、まだ営業してないんですよ」
「…?」
「5月からの営業なんです」

「…。」
 今日は4月29日。二日早かったようです…。
 お助け小屋は僕たちを助けてはくれませんでした。彼女とともに肩を落としながら食堂を後にしました。この食堂以外にもいくつか店はあるんですが、いずれも冬期の休業中です。標高1,600mの山の上。まだまだ道端に雪の残るこの峠に、春が来るのはもう少し先のようです。
 
 やや諦めの境地の中、せっかくだから散策しようと展望台へと向かう遊歩道を歩き出せば、雪のために通行止め。結局、駐車場近辺をくるりと回っただけとなりました。でも、面白い発見があったんです。食堂を含めて岐阜県側は、「あゝ野麦峠」の悲哀を伝える物語や、それにまつわる話がパネルにされたり、碑になっていたりするんですが、長野県側には一切なかったんです。長野県教育委員会の設置した「野麦峠」の案内板にも地理的・歴史的な説明はあっても物語に関するコメントは一切なし。これは工女の生まれが岐阜の角川で、酷使されたのが長野の岡谷にある工場という感情的な問題なんでしょうか。このエリアでは微妙に岐阜VS長野の構図が垣間見られるような気がしました。
 
 食べるあてをなくして、車の中で加賀銘菓「栗法師」をつまみます。この甘味に幾分か空腹も収まり、松本に向けて出発します。それにしても美味しいお菓子です。お気に入り、というのも判りますね。
 
 走り出して程なく、左手に「手打ちそば」の幟が目に入って来ました。途中で何もなければ松本まで行って、そこでそばでも食べよう、なんて話をしてたところですから、さっそく寄り道。
 昼時を幾分か過ぎてますが、数組が食事中。美味しいからか、単に店がこのあたりに少ないからか気になるところですが、2人ともざるそばを注文。空腹だった事もプラスになったのは確かですが、それを差し引いても美味しかったと思います。さすがは信州ですよね。
 
 野麦峠からの道は、岐阜県側と比べて明らかに走りやすく感じます。道が広くなったのかカーブが少なくなったのか、起伏がおとなしくなったのか。もちろん、下りだから快適にスピードが出る、という単純な問題なのかもしれませんが…。
 快適に走らせていると、気づけばダムのある奈川渡です。ここから先の松本までは、一昨年の信州オフで通った道。秋と春との違いはあるものの、風景そのものには見覚えがあります。乗鞍や平湯温泉、安房峠の向こう高山からの車とも合流するため、一気に車の量が増えました。道は合流前よりも格段に走りやすくなってます。でも、車の量からスピードは伸びませんね。渋滞、とまでは行かないのが救いでしょうか。時刻は3時過ぎ。松本インターから東京方面へと帰る観光客のラッシュが始まった頃なんでしょうか。
 
 稲核ダムのそばを走り、新島々の駅前を通り松本を目指します。このあたりを走ると、1年半前の記憶がはっきりと頭の中に浮かんで来ます。あの時も松本からJRで帰る彼女を見送るために、この道を走ったんですよね。少し前とはいえ、懐かしい話です。
 松本の市街地に入り、車線数が増えます。駅前までは大きな渋滞も無く、ほぼ予想通りに到着しました。駅前の通り沿いにあるコイン駐車場に車を停め、駅まで歩きます。
 彼女も八王子までは指定席を買っているわけではなく(それゆえに当初の予定よりもずっと遅いんですが)、松本へ向かう途中も特急の発車時刻なんて気にしてなかったんです。駅の時刻表で見ると、次の特急は16時56分発の「スーパーあずさ12号」。発車まではまだ時間があります。安心して自動券売機で特急券を購入。僕は隣で入場券を買います。
 ところが、改札口の電光案内板で臨時の特急があることを知ったんです。出発は18分早い16時38分。明日が出勤なんで、少しでも早く帰宅できた方が楽ですからね。
 ゴールデンウィークとはいえ飛び石だった事もあってか、臨時の「あずさ190号」は自由席も余裕があります。その一つに荷物を置き、ホームで立ち話。数分後の16時38分、新宿に向けて発車しました。これも1年半前と同じ光景ですね。列車の最後尾がホームから離れるのを見送って松本駅を後にしました。
 
 
 さて、と。ここから、大阪への単身ドライブの始まりです。
 まずは、高山方面へと走ります。予定では高山の近くで夜を過ごし、明日の午前中に下呂のあたりで露天風呂に入り、午後に名古屋のマンションに寄って、夜に大阪へと帰るつもりです。
 奈川渡ダムまでは、ほんの少し前に走った道を引き返します。
 トンネル内の分岐を乗鞍の方へと走ります。さすがに今から野麦峠を走るつもりはありません。日が暮れると恐いですからね。安房峠の方へと向かいました。
 
 もう少しで安房トンネル、というところで、余計な事を考えてしまったんです。「高山には夜遅くに着けばいいんだし、急ぐわけでもないから、トンネルでショートカットせずに峠の旧道を走ってみようかな」と。
 トンネルの直前に峠へと向かう分岐があり、右折。曲がって早々に「大型車通行禁止」の文字がありました。ドキっとしたものの普通車ならOKじゃん、とそのまま直進したんです。それが間違いだったんですね。
 左へ右へとヘアピンカーブの連続で、山の斜面を行ったり来たりする事で見る見る標高が上がってきます。さぁ峠に近づいたかな? と思った頃、目に飛び込んで来たのは「車両通行止め」の看板と侵入を阻止するパイプの柵。
 なぜにこんなところで…。トンネル手前からここまでは、ここにある中の湯温泉旅館への便宜のために開放しているだけだったんです。つまりは行き止まりも同然。看板には「全面通行止 平成15年5月16日まで」とありました。
(僕はてっきり、トンネル開通後、冬期間の保守を省くために通行止めにしているのかと思っていたんですが、開通前から冬期通行止めの道路だったんですね。不勉強とは恐ろしいものです)
 引き返します…。
 
 トンネルは快適です。開通前に30分かかっていた区間が5分に短縮された、というのがよく分かります。トンネルを抜け、有料道路部分を走り終え、再び国道158号線に戻ります。
 空の色も夕暮れから夜へと移り変わります。高山市内に入ったのは7時過ぎだったでしょうか。
 コンビニで買い物をしたりした後、本日の仮眠場所に選んだ道の駅「モンデウス飛騨位山」に到着しました。ここは珍しくゲレンデに併設した道の駅なんです。ですから駐車台数も1,700台と、半端じゃなく多いんですが、さすがにオフシーズンは駐車場も大部分を閉鎖して、数十台分を開放しているだけでした。このシーズンでも全域開けていてくれれば、オフ会をするにも絶好の場所だと思ったんですけどね。だって、スキー場以外何もないところなんで、ガラガラのはずですから…。
 
 到着して数時間後。後部座席でウトウトしているところへ、激しい雨音が聞こえて来ました。外は豪雨です。かなり強い雨が降ってます。
 天気予報でも今晩から明日にかけては雨、とのことでしたから覚悟はしていたんですが、こんなに激しい雨になるとは思ってませんでした。でも、眠たさに負けて再び夢の中へ…。


4月30日(水) 走行距離 354.2km 総走行距離 65126.5km
 昨夜の激しい雨は、しとしとと降る雨に変わってます。朝の7時前、下呂に向かって出発です。
 国道41号線を南に向かって走ります。飛騨川に沿って走るあたりは眺めも良く、気持ちよく走ることが出来ます。晴れていれば、なおいいんでしょうがね。
 走らせることおよそ2時間弱。8時半過ぎに下呂の市街地に到着です。
 向かうは「クアガーデン露天風呂」。以前に一度だけ訪れたことのある日帰りの入浴施設です。何も雨の日に露天風呂に来ることはないでしょうけど「せっかく来たんですから入っとかなきゃ」という感じです。傘を差してフロントへと向かいました。
 
 こんな朝っぱらから、しかも雨の日に露天風呂に入る人なんていないかな、と思ってたんですが、意外といらっしゃいますね。
 場所によっては屋根もあるので雨はさほど気になりません。むしろ屋根のないところで腰まで浸かり、温泉で火照った上半身に雨を当てる気持ち良さを味わえたのは良かったです。晴れの日にはマネのできないことですからね。
 しばし温泉に体を沈め、至福のひとときを過ごしました。
 ちなみに昨日、彼女に温泉に行くことを報告したら、「ズルい」と拗ねられました。…雨は天罰でしょう。きっと。
 
 サッパリしたところで名古屋へと向かいます。sakiさんに、お土産を買ってきたことを知らせるメールを携帯から送ったんですが、その返信から、残念ながら時間が合わずに渡すことが出来ないということがわかりました。ナマモノですからね。賞味期限の切れたお土産を渡すのも憚られ、とりあえず大阪へ持って帰ることに。
 雨の国道41号線を岐阜方面へと走り、名古屋へと戻りました。
 
 中村区のマンションで荷物の整理などをした後、大阪へ向けて移動開始です。
 名四国道、1号線と最近の定番コースを走り、やはり定番の名阪国道を走ります。天理からもノーマルに、大和郡山市を通り抜け阪奈道路を走って夕方の6時前、大阪の自宅に到着です。
 
 ゆっくりと両親と話をするのも久しぶりなんで、夕食の席で旅行中の出来事なんかを話してたんですね。
 もともと両親は親戚と一緒に、僕らの旅行と同時期に能登半島を旅行する予定にしていたんですが事情で中止となってしまってたんです。実は兼六園菊桜の情報も、母親が自分の旅行のためにと新聞を切り抜いておいたものだっただけに、僕もその報告を兼ねて、
「見て来たよ、アレ」
 と。これで十分に通じると思ったんですけどね。返ってきた言葉は予想外でした…。
「え? 白装束?」
「…、何それ」
 
 この時期、岐阜県でホットな話題といえばこのネタだったんですね。僕も彼女も、旅行中はニュースを見ないですからその団体のことなど全く知らなかったんです。清見村に安房トンネル、そして白いキャバリエ。…無関係です(笑)
 
 3泊4日の旅行に前後1日ずつの計6日間。岐阜から金沢、砺波平野、合掌集落、高山、松本、名古屋、大阪と走り回りました。今年もなんだかんだと歴史に触れましたね。兼六園、武家屋敷、合掌造り集落に高山の三町、そして野麦峠。近世から現代にかけての生活、文化、思想、風俗に多少なりとも造詣を深められたと思います。
 やっぱり旅行はいいですね。
 次はどこに行きましょう。でも、その前に車検だな…。

※ゴールデンウィーク旅行記 (終わり)

4月12日() 走行距離 174.7km 総走行距離 63867.9km
 この週末は金曜日が大阪で出勤だったんで木曜日の夜に自宅へと帰ってきました。今回は通常の近鉄特急です。ノーマルですね。
 で、金曜の夜は3月末決算の打ち上げと称して、所属する部署での飲み会があったんですね。それで飲みすぎたのか、今日は昼過ぎまで夢の中。
 昼からは久しぶりに、ある目的をもって日本橋へと出向きました。キャバリエじゃなくて電車で行ったんで書く必要もない話なんですが、日本橋へと行った目的とは…。
 Windowsのゲームソフトを買ったんです。久しぶりですね、ゲームなんて買ったのは。ツール等のアプリケーションソフトは買うことがあっても、ここ数年、ゲームソフトなど買った記憶がないですから。パソコンはインターネットの端末と化していて、ゲームをしようなんていう気持ちも遠ざかっていた、というのが正直な気持ちです。
 だったら、なぜ? というところですが、先日「買わずにはいられない」ソフトが発売されたんです。その名は「大戦略パーフェクト 1.0」。高校の時に友人に勧められて買ったのがMSX版の「SUPER大戦略」。ウォーシミュレーションゲームです。以来、大戦略シリーズのファンとなったんですが、パソコンの高性能化と共にゲームも進化をしていったんです。で、そのターン式(将棋のように、自分の持ち駒を全て動かしてから相手に主導権を移す方式。対となるのは両軍ともに同時に動くリアルタイム式)の完成形とも言えそうなバージョンが今回のものなんですね。過去のシリーズの様々なルールを採用できるとあって、面白くないはずがないんです。
 でも、残念ながら喜んで買って帰ったものの、インストールが終わった時点で時間切れ。
 食事をして風呂に入れば、名古屋に向けて出発の時刻となっていました。
 
 9時30分頃に自宅を出発して、いつもの通りに阪奈道路、24号バイパスと走っておよそ1時間で天理インターへ。ここからもいつも通り。名阪国道を亀山に向かってひた走ります。途中、伊賀PAで睡魔に襲われて小休止を取ったんですが、運転席から離れて歩いたのが良かったのか眠気が消え、走行継続です。
 亀山からは1号バイパス、名四道路と走って名駅(←名古屋駅のことです。名古屋近辺では名古屋駅のことを「なごやえき」と発音するのは「よそ者」だと言い切れるくらいに「めいえき」と呼ばれてます)近くへと向かう環状線に入り、名駅の少し南側にあるマンションに到着したのが1時前でした。出発してから3時間強。下道だけですからまずまずの時間ですね。


4月13日() 走行距離 243.3km 総走行距離 64111.2km
 5時30分に時計のアラームで目を覚まし、6時前に出発です。
 広小路通りを東へと走り、東山公園を過ぎて名古屋インターから東名高速に入りました。さすがに高速道路は快適ですね。この時間ですから渋滞もなく、岡崎インターまであっという間でした(←飛ばしたわけではありません。誤解なきよう)。
 岡崎から幸田へは、さほど離れているわけでもないので7時くらいでしたかね、集合場所近くに到着したのは。でも、岡崎から集合場所までの間で洗車をしようと思っていたのに、開いてるスタンドが全く無かったんです。
 スタンドを探してウロウロしてたんですが、さすがに洗車のために遅刻をするのも恥ずかしいんで、諦めました。
 
 というわけで7時20分頃、集合場所に到着です。既に集まっておられた皆さんに挨拶をした後、ともさんから集合場所向かいのスタンドが24時間営業でいつでも洗車が出来ますよ、との情報を聞いたんですね。灯台下暗し、というのか情報収集不足というのか、早速集まりつつある皆さんに背くかのように一人、洗車に出かけました。
 さ、これできれいになった…、と思いたかったんですが。リアウイングの下、全くブラシが当たってなかったんでしょうね。汚れたままでした。ま、準備不足のバチが当たった、ってとこでしょうね。
 皆さんのいる集合場所へと戻り、全員が揃うのを待つとしましょうか。

(以降はオフ会レポートでお楽しみください)

 どこまでがオフ会なんでしょう…。
 とりあえずはJさん、LD-9さん、sakiさん、そしてオーナーのやすさんとともに豊橋までデロリアンを見に行って、満足げに帰るところから。
 大阪のお二人はそれぞれに帰られるということなんですが、僕は訳ありでsakiさんの本拠地、岐阜へと向かいます。
 sakiさんは豊橋近くで寄り道をしたいということでしたので、とりあえず集合を岐阜市内として、それぞれに向かいました。
 僕は23号を基本ラインとして、豊橋まで来た道を引き返すように走ります。でも、夕方ということもあってか、豊橋でも蒲郡でも結構な渋滞です。カーナビの渋滞情報を見れば1号線でも同じような状況なんで、名古屋方面へと向かう道はどこも混雑してるんでしょうね。
 バイパスは豊橋方面へ向かって工事中なんですが、乗れるのは相変わらずの西尾市から。でも、ここからは先ほどの渋滞とは打って変わってスムーズに流れてました。名古屋市内まで、途中何箇所かで高架のバイパスが地平に下りるんですが、そのあたりで若干渋滞っぽかったくらいで、意外にも順調でしたね。
 名古屋市内からは未明に走った環状線で名駅近くまで走り、一旦マンションに上着と荷物を置きに帰って(主目的はトイレだったりするんですが)22号を岐阜へと走らせます。
 一宮市を過ぎ、岐阜県に入って程なく岐南町に到着です。この近くのコンビニで待ち合わせをして合流しました。
 ここから長良川の近くにある駐車場へと向かいます。岐阜城が頭上に輝く公園のそばを通り、細い道を右に左にと折れて駐車場までやってきました。
 このスペースを2週間ばかり借りることにしたんです。当初、明日の14日は大阪で出勤予定だったんで自宅まで帰るつもりにしていたんですが朝から名古屋ですからね。sakiさんちにお世話になります。
 
 フォレに乗せてもらって岐阜駅まで送ってもらったんですが、その途中で遅い目の食事をしたこともあり、駅に到着したのが23時過ぎのこと。東海道線の、ましてや名鉄との競合区間の岐阜-名古屋間ですから、列車も多いのかと思っていたんですが、日曜日の夜ですからね。およそ20分後の22分発までないとのこと。20分発の快速「ムーンライトながら」東京行きなら名古屋へ少しは早く着くとはいえ全席座席指定ですから、さすがに遠慮しましたしね。
 待ち時間を利用して09分発の寝台特急「はやぶさ・さくら」熊本・長崎行きをホームまで見に行ったりするなど、相変わらず鉄道マニアぶりですが、最後の最後も鉄道ネタで締めくくります。
 20分より少し前、乗車する普通岡崎行きが到着したんです。岐阜で後から来る快速「ながら」を先行させるために待機するんですが、JR西日本管内で人身事故があった影響で、「ながら」が接続待ちのために遅れて出発したそうなんです。こちらは完全にそのあおりを受けての遅れとなりました。結局、僕が岐阜駅に到着してからおよそ30分後の23時31分、9分ほどの遅れで発車し、名古屋駅到着は0時直前となりました。駅構内を出る頃には日付が変わってましたね。
 
 ともあれ、無事にマンションへと到着。オフ会も無事に終了しました。
 遠く岡山や関東から来られた皆さん、ありがとうございました。関西の皆さんにとっても遠出でしたよね。おはみかオフの幹事として定着したJさん、それに「いいもの」を見せて頂いたやすさんはじめみなさん、ありがとうございました。
 次はGW明け、11日に和歌山の河原でお待ちしています (^_^;)
 

3月30日() 走行距離 28.3km 総走行距離 63693.2km
 久しぶりの日本橋訪問です。今回の目的は特になく(いや、今回「も」かも…)、ぶらぶらと恵美須町の電気街を散策しました。名古屋に半年近くいますが、大須にはあんまり縁がなく、やっぱり日本橋の方がなじみがあるためか、落ち着けます。数年前に大須でプリンタを買おうとして、「これ、いくらになります?」って聞いたら、店員に値札を指差されて「○○円ですが…」って当たり前のように言われたのがトラウマになってるんでしょうね。日本橋なら、この一言が駆け引きの始まり、開戦合図ですから、この返事がコケたらやる気も失せるというものです。
 そんなわけで、かつてほど値切りが出来なくなったといわれる日本橋ですが、僕はこの雰囲気はまだまだ好きです。
 
 と、そろそろ大阪に帰りたいなぁ、と思う今日この頃。この分じゃ、当初の予定の「長ければ」という条件の半年を超えそうですからね。
 いや、間違ってもらっては困るんですが、名古屋が嫌いじゃないんですよ。ここにはキャバリエを停めておく駐車場や常時接続のネット環境が無いですから…。出張、ということで我慢している部分もあるのは事実で、これが5年ほどの転勤、ということなら逆に思い切ったことも出来るわけですからね。駐車場を借りたり、ADSLを引いたり…。なんとなくもやもやとしたまま半年近くが過ぎてしまった、ということです。
 関西弁を聞く時間がめっきり減ってしまったんで(といっても名古屋弁に染まるということはないんですが)、2週間後のオフ会、楽しみです。
 関西勢の皆さんをはじめ、全国の皆さんにお会いできることを楽しみにしてます。


3月29日() 走行距離 55.7km 総走行距離 63664.9km
 今週は完全な私用で大阪へと帰ってきたんです。しかも、目的は「キャバリエに乗ること」です。やっぱり、最低でも2週間に一度は乗らないとダメなんだろうなぁ、って思い始めたのが、つい最近のこと。バッテリーがイかれる前に心がけが変わって良かったですね(笑)。
 でも、今日も鉄道ネタから。
 社用で帰る場合は近鉄特急で、と決まってるんでバリエーションは乗る車両を変えるぐらいしかないんですが(マニアックですね、これも。名阪間では先日乗ったアーバンライナーnextの他に、初代のアーバンライナー、伊勢志摩ライナーなんていうものにも乗れます)、今回はもっと思い切って、近鉄以外で帰ってみたんです。
 で、乗ったのがなんと、JRの名古屋から関西本線経由で奈良まで走る急行「かすが」です。そんな列車が走っていることすら知らない人が多そうですが、この列車はそれなりに歴史があり、関西本線の名古屋−奈良を走り通す唯一の優等列車です。でも、名古屋から大阪に行こうという人間が乗る列車ではないんでしょうね。おそらく、普通の考えの持ち主なら近鉄特急に乗ると思いますから。
 最近の急行列車の斜陽化の波を受けて、この急行「かすが」もたったの2両編成です。だから、自由席といえどもガラガラだと思ってたんですね。ところが意外や意外。出発30分前にはすでにホームに行列が出来てましたし、8時55分の発車時刻には車内には立つ人の姿もありました。指定席車も全席満席だとかで、大盛況です。もっとも、車掌さん曰く、「盆や正月以外で指定席が満席になるのは非常に珍しい」ことなんだそうです。今日はたまたま団体さんが乗っていらっしゃるそうで…。
 車内はさすがに古都奈良への直通列車ということもあってか、観光客の姿が多く見えます。中には西洋系の外人さんもいらっしゃいました。
 列車は電化されていない亀山−加茂を走ることもあり、ディーゼルカーです。
 名古屋を出ると桑名、四日市、亀山、柘植、伊賀上野と停車し、終点奈良には11時03分の到着です。
 でも、このルート、名阪間を行き来するドライバーにもよく知られた名前ばかりですよね。そうなんです。東名阪道から名阪国道に入るルートなんです。終点が奈良か天理かという違いはありますが、けっこう寄り添っていたりもするんですよ。実際、伊賀では名阪国道の伊賀ドライブインが見えましたから。
 そんなこんなでローカル急行の乗り心地に酔いながら2時間の列車の旅を楽しんできました。近鉄特急やそれ以上にかっ飛ばす新幹線もいいですが、こんなルートでの名阪間移動も楽しいですよ。
 
 と、鉄道ネタはそれくらいにしておいて、キャバリエネタに。
 今日はどこに走らせようかなぁ、と悩んで出てきた答えがなんと「仁徳天皇陵」です。言わずと知れた日本最大の古墳ですね。大阪の堺にあります。
 自宅近くの駐車場から中央環状線を南へと走り、八尾市、松原市と走り、美原町へと入ります。で、実は初めて知ったんですが、かつての美原ロータリーの場所って、すごく走りやすくなったんですね。堺方面への道路標識に従って走れば高架道路に入り、信号にぶつかることなくそのまま走り続けられるようになってたんです。感心している間に堺市に入り、仁徳天皇陵のすぐ近くにある大仙公園へ。そのそばに車を停め、公園内の散策をしてから日本最大の前方後円墳の入口に立ちました。
 この中はもちろん天皇のお墓ですから宮内庁の管轄下にあり立ち入ることは出来ないんですが、目の前に見える緑の敷地は、古墳というよりは小高い山、ですよね。やはり偉大です。
 昨年夏にはカンボジアでクメールの王の建立した寺院などを見てきましたが、この日本にある天皇の墓も、見た目にはシンプルすぎますが、かつての力を髣髴とさせるものをかもし出してくれます。
 実は、仁徳天皇陵を訪れたのは初めてだったんです。まぁ、何があるわけでもなく、特に「ぜひ行きたい」というものでもないために行かなかっただけなのかもしれませんが、古墳の周囲を40分以上かけてくるりと一周すると、やはり、「日本人なんだから日本の歴史をもっと知っておきたいなぁ」という気分になれます。歴史に触れる、って楽しいですよね。


3月15日() 走行距離 93.2km 総走行距離 63609.2km
 来週月曜日の午前中が大阪での勤務ということもあり、2週間ぶりに戻ってきました。
 時間的な問題から昨日のうちに帰ることが困難だったんで、本日の帰阪となりました。で、同じ帰るなら…、と近鉄特急で帰ってきたんです。え?今まで通り?ですよね。
 でも、今日は3月6日から運行を開始したばかりの名阪間の新型特急、「アーバンライナーnext」に乗ってきたんです。名古屋駅では、物珍しさも手伝ってかホームでは写真撮影をする鉄道マニアの少年たちの群れが。その中に混じってデジカメで写真を撮ったんですけどね。いい歳して(笑)。
 サイドのボディカラーは従来のアーバンライナーとさほど変わらないんですが、フェイスは一新しましたね。さすがは「ネクスト」、次世代型です。
 乗り心地も格段に向上してます。アーバンライナーが走り始めたのが1988年ということですから、その15年の間に技術革新したんでしょうね。僕も年齢がちょうど倍になってます。関係ないですけど。
 客室出入口の上部には大型のディスプレイが設置されていて、案内の合間に運転席から見た前方の風景が流れたりして楽しめます。
 そんなこんなで名古屋からの2時間はあっという間でした。

 って、鉄道マニアのページじゃないですから、キャバリエネタを。
 先週の週末に、大阪へ帰っていた父が少し運転していたようで、今日の始動は問題なく一発でかかりました。やっぱり、乗ってあげないとダメなんですね。ちょっと反省してます。
 今日は前回とはちょうど逆になるんですが、阪奈道路で奈良市内へ向かい、そこから24号線を南下して高田から165号を走って帰ってきました。
 あら、これで終わっちゃ鉄道ネタの方が多いですね。まぁ、僕らしくていいのかも。というわけで来週末は名古屋で過ごしますから、次はいつの更新になるでしょうか。そうそう、4月13日の三河でのオフにはキャバリエで参加する予定ですからね。みなさんとお会いできることを楽しみにしています(遠まわしに、1ヶ月間キャバリエに乗らないことを宣言してるようにも見えますが、それは気のせいです。多分…)。


3月 1日() 走行距離 68.5km 総走行距離 63516.0km
 明日の日曜日に前に勤めていた会社の同僚の結婚式があり、それに参列するので大阪に戻ってきました。
 午前中は名古屋のマンションで洗濯なんかをしてゆっくりとしていたので、結局のところ、名古屋駅を出発したのが15時の特急となりました。で、自宅に着いたのが5時30分。たまにはキャバリエにも乗ってあげなきゃ…、と思って駐車場に行ったんですね。
 そしたら、エンジンがかからないんです。ありゃ、アウトですか…。
 その時に思い出しましたね。ともさんやJさんに前のオフ会で助言されてた、「ソーラーパワー式のバッテリーチャージャー」を付けておいた方がいいんじゃないですか、ってことを。でも、実はですね、この時、2月末には大阪に帰ってくるつもりだったんです。後1ヶ月だし…、という思いもあって、何とかなるんじゃないかなぁ、と。
 でも、結果的にはこのありさま。Jさんにヘルプか…、と思ったんですが、何度かトライしてるとかかりました。あ、名古屋出張終了は、早くとも4月中ですね。まるうさんの読み通りです。(笑)
 
 ちょっと不安はあったものの、充電の意味を込めてオーディオやカーナビをOFFにしてに走り回ってみました。エンジンを切らなきゃ止まることもなかろうし、とひたすらドライブ。
 中央環状線を南下し、八尾市内から国道25号線を奈良方面へと走り、24号のバイパスを北へ。最後は阪奈道路で帰宅です。約3時間のドライブは、久々で楽しかったですよ。
 それなりの充電が出来たようで、帰宅後の再始動は一発でOKでした。でも出張完了の頃には一度、バッテリーの交換が必要になるかもしれませんね。


2003年2月まで