キャバリエ行動記録(2002年5月から6月まで)

6月30日() 走行距離 11.8km 総走行距離 61122.1km
 先週預けた靴を引き取りに…。って同じようなネタが続きますね。
 今日は、いつもいつも無償で修理をしてくれるので、少しだけ買い物をしました。数年ぶりにスニーカーを購入。雨でも滑らない靴を、と求めたんです。今履いてる靴は、ちょっとした水溜りでもあろうもんなら、ツルっと滑るんで怖かったんですね。で、夏の旅行用にと買ってみました。
 帰り道で「そうだ、図書館に寄ろう」と方向転換。ところが駐車場の門の前まで行って、閉まってるのに気がついたんです。
 そうです。月末だったんです。…って、これも以前に書いたような気がしますね。全然学習してないです (^_^;)
 帰ってからは、夏に向けて散髪へ。夏向きに、とはいっても、いつもの「伸びたら切る」のパターンの一環ですから、特にスタイルが変わったということではないんですが、耳元がスッキリして気持ちいいです。というわけで、今日はこんなところです。


6月23日() 走行距離 19.0km 総走行距離 61110.3km
 6月2日に預けておいた靴の修理が出来あがったとのことで、引き取りに。実は修理をお願いしていたのが2足あるんですが、2足とも預けちゃうと会社に履いて行くのがなくなるので1足だけ預けてあったんです。で、今日は出来あがったのを引き取るついでにもう1足を預けてきました。
 この靴屋のすぐ南側にホームセンターがあるんです。その名は「コメリ東大阪店」。つい先日まで「キッコリー東大阪店」だったんですが、キッコリーの株をコメリが100%買収したらしいです。ということでキッコリーの看板が下ろされ、新しいコメリの看板が上がってました。名を改めて開店したのが数日前のこととあって、特売品を求める客で周辺の道路が大渋滞でした。混雑してなければ入ろうかと思ったんですが、ほとぼりが冷めてからにしましょう。
 そのあと、同じく外環状線沿いにある紳士服のお店に寄って、本日のお買い物も終了です。


6月22日() 走行距離 150.6km 総走行距離 61091.3km
 午前中、ちょっとドライブに。
 帰ってからは大阪のミナミへ。夏の旅行の打ち合わせに、旅行会社へと行って来たんです。今年も変則的な(お盆を外した)夏期休暇を頂いて旅行をします。どこへ行くかは、レポートをお待ち下さい、というところでしょうか。
 旅行会社で担当者の方を待っている間に父から電話がかかってきました。お店を出てから、折り返しの電話をかけると、夕方から親戚の人と食事をするからおいで、とのこと。場所は京橋。時間は今から1時間後の5時30分。まっすぐ行くと時間を持て余し、かといって寄り道をするほどの時間でもないので、近鉄線で鶴橋駅まで行き、そこからJR大阪環状線沿いに歩いてみました。歩いた時間は40分ほどだったでしょうか。鶴橋から玉造、森ノ宮、大阪城公園、京橋と4駅、時刻表で確認すると3.5kmありました。結構速く歩いたようですね。
 歩いたおかげでちょうど良い時間に待ち合わせ場所へ到着。叔父さん叔母さんと、両親との5人で楽しい食事のひとときを過ごしました。


6月14日(金) 走行距離 145.1km 総走行距離 60458.7km
 W杯の決勝トーナメント進出をかけて予選リーグの日本−チュニジア戦が行なわれた今日、名古屋に向けて出発です。いや、W杯は何の関係もないです…。ただ、会社からの帰り、道頓堀上空辺りにやたらと報道のヘリコプターが多かったなぁ…と思っただけで。何でも900人以上が飛び込んだらしいですね。熱狂的というのか、ただの目立ちたがりというのか。というわけで、僕も目立ちたがり屋の祭典、おはみかに向けて出発です。
 仕事から帰ってきて、風呂に入って食事をしてそそくさと出発しよう、と思っていたのに気付けば10時前。家を出たのが9時40分頃だったでしょうか。オフに行くのにデジカメを忘れて取りに戻るというアクシデントがあって10時を過ぎてもまだ家の近くでした。10時ちょっと過ぎに彼女から電話。今からバスに乗ります、との連絡です。明日の6時過ぎに名古屋駅に到着するJRの夜行バスに乗るんで、7時に名古屋駅で待ち合わせの予定です。
 無理をすりゃ早朝出発でも行けるんでしょうが、なんとなくいつもの習慣、というのか途中仮眠の予定で前夜に出発です。阪奈道路を走り奈良市内まではいつものルートですね。でも、今日はちょっと趣向を変えてカーナビに従ってみました。奈良市内から三重県へはスピードの点から名阪国道を走るのが常套手段なんですが、カーナビは163号線も名阪国道も同じ「一般道」の扱いですから、距離の短い163号を指示してくるんです。奈良市内を少しだけ北へ行った京都府の木津町から木津川沿いに三重県の上野へと通ずる道です。笠置の河原へバーベキューをしに行く時に利用することはあるものの伊賀まで行く時は名阪国道を通ることの方が圧倒的に多く、久しぶりに走り通すことになります。
 1年程前の4月に前の会社の後輩たちと来た河原の近くを走り、そのまま走り続けます。いつしか京都府から三重県へと入り、名阪国道に合流して、程なく走ったところにある伊賀パーキングエリアで最初の休憩を取りました。
 今日の予定はどこか仮眠できる場所へ行って仮眠すること、なんですが、この辺りには道の駅もなく、東名阪道の御在所SAを目標に走ることとしました。
 ただ、亀山からそのまま東名阪道に入らないところが僕らしいところかなぁ、と思うのですが、例によって亀山からは1号線に入り、名古屋方面へと向かいます。途中の新栄町で左折し、巡見街道を走ります。去年4月に湯の山から亀山へと向かった逆コースですね。菰野を過ぎてからはカーナビの誘導のままに怪しげな細い道を走ったりしながら四日市インターに辿り着き、東名阪道へと入りました。
 少し走ると御在所SAです。車の少ないエリアにフロント部分から突っ込むように止め、シートを倒しました。


6月15日() 走行距離 138.2km 総走行距離 60596.9km
 早朝の5時過ぎに目が覚めました。携帯電話のアラームを5時30分にセットしておいたんですが、それよりも前に勝手に目が覚めてしまったんです。普段ならこんな時間に目が覚めるはずもないですから、さすがにシートを倒したセダンの車内は寝心地がよくないということでしょうか。
 外は完全に明るく、夏至が近いことを感じさせます。サービスエリア内を軽く散歩して熱いミルクティーを購入。6時以前ということもありやや肌寒さを感じました。とはいえ半袖で十分です。
 5時30分になり、セット解除を忘れていたアラームに驚きつつ出発です。
 早過ぎるかな?とは思うものの、給油をしたいということもあり、そのまま名古屋西まで東名阪道を走りました。四日市で乗って6時間近く後に名古屋西。でも、何の疑問も持たれなかったようです。先日、和歌山オフに参加してくれた洋一さんの話ではオフをするSAの前後1区間を一昼夜以上開いたタイムスタンプの通行券で出ようとしたらいろいろと尋ねられたという話を聞いてたんですが、さすがにそれと比較するとかわいいもんですね。もっとも僕自身も3年前、しまなみ海道で夜の9時過ぎに西瀬戸尾道インターを入り、翌朝の6時過ぎに生口島で降りる時に係員のおじさんに「寝てた?」と聞かれてるんで、チェックはされているようです。
 名古屋西からは名古屋高速の高架下をしばらく走り、黄金跨線橋北交差点を左折して名古屋駅方面へと向かいます。インターを降りてから出光のスタンドを探しながら走っているものの、早朝から開いている店が見つからないんです。そこでカーナビで周辺のスタンド情報を仕入れながら走ってみると3件目だったでしょうか、ようやく6時からオープンしている店を発見しました。
 レギュラー満タン、の後に明日のオフに備えて「洗車はいくらですか?」って聞いてみたんですが、「洗車は7時間からなんです」とのこと。時計を見ると6時30分。とりあえず洗車はパスです。
 名古屋駅近くに戻ります。

 駅近くで思いついた駐車場は2月に訪れた時に止めたコイン駐車場だったので、新幹線ホームに近い側の太閤口へと走らせました。幸いにも駐車場はガラガラで(ってこんな時間から満車のはずはないですよね)、さっそく中に入って駐車しました。
 7時に名古屋駅で…、という待ち合わせの約束はしていたものの、具体的に改札前、とかどこそこのオブジェの前、とかは決めてなかったんで、とりあえずコンコースを中へと歩きます。二人ともに名古屋駅には詳しいわけではなく、具体的に決めることが出来なかった、という方が正しいですね。で、唯一決めていたのが7時ごろに電話をくれる、ということ。
 6時45分頃に中央口の改札前に立ち、後15分ほどあるからどこで時間をつぶそうかなぁ、と思っている矢先に携帯が鳴ったんです。もちろん彼女から。なんでもバスが早く着いたんで、身支度が済んじゃったから早めに電話をくれたとのこと。僕も15分ほどの余裕を持って到着していたので助かりましたね。ちょうどに着く予定で行動していたら待たせるところでした。
 というわけで6時50分頃に無事合流。ホッと一息つける瞬間です。

 とりあえずは朝食を取ろうと喫茶店探し。前回来た時に新幹線の発車時間まで過ごした喫茶店を探します。コンコースの土産物売り場を出て右に歩いて階段を下りたはず…、と記憶を頼りに歩いていくとシャッターの下りた専門店街でした。どうも僕の記憶はアテにならないですね。まぁ、今に始まったことじゃないんですが…。
 ウロウロとして記憶と反対側に回ってみると、見覚えのある喫茶店に辿り着きました。さすがに言葉を失っちゃいましたが、そんなもんです。
 カフェテリア方式でオーダーしたメニューを自分でテーブルに運んで席につきます。二人ともモーニングセット。サンドイッチとスープにドリンクが付きます。
 サンドイッチをつまみながら今からの予定を相談。今回は予定らしい予定を何も考えてなかったんです。翌日にオフ会に参加するのはもちろんなんですが、それ以外の予定は事実上空白。今日の夜にJR安城駅前の宿に泊まることと、明日の夕方18時52分に豊橋駅を出るひかりを見送ることしか決まってなかったんですね。
 最終的にいくつかある候補から絞り込んだのが焼物の町である瀬戸か常滑。浜名湖でうなぎ、とか渥美半島でメロン狩り、とか食い気に走りそうになったんですが、距離と時間との制約で常滑に決定です。
 駐車場に戻りキャバリエを走らせました。

 名古屋市内を走ります。知多半島へは名古屋高速から有料道路へとつながってるんですが、さほど急ぐ必要もなく、のんびり一般道を走ります。ところが、意外にも途中から立派なバイパスになるんですね。おかげで常滑の文字が見えてきたのは、走り始めて1時間も経たない頃のことでした。
 走り続けていると右手に大きな工場が見えてきます。これがINAXの工場です。カーナビで見る限り、なんだか行けども行けどもINAXっぽいです。常滑は衛生陶器でも有名、とありますがこのことなんでしょうね。日本全国、どこに旅行してもTOTOかINAXしかお目にかかった記憶がないですから工場が巨大なのも判るような気がします。
 常滑市陶磁器会館という建物の脇に駐車場を見つけ、そこに駐車。単なるお役所ではなくて観光目的の建物なんで車を停めて観光してもいいんでしょうね。だって、散歩道のルートマップを置いてあるくらいですから。ここから歩いてください、ってことでしょう。
 建物前には大学生くらいの若者がたむろしてたんで会館のオープンを待ってるのかと思ったんですが、そうではなかったようです。僕たち二人は彼らの横を通り抜け、ドアを開けて中に入りました。
 中には常滑焼が所狭しと並んでいます。お土産としてのお手軽なものから、拝見するだけで十分ため息が出そうな朱泥の急須まで、いろいろあります。
 お土産探しは後にして、まずは焼物の町を探索です。
 ルートマップを片手に建物を出発。

 要所要所に道案内のプレートが立っているのでマップがなくても道に迷う心配はなさそうです。最初の角を曲がると、はや焼物の町の雰囲気が漂い始めてきました。使用されなくなった窯が朽ちた感じの建物が見えてきます。それでもレンガ造りの煙突は立派に残り、往年の働きぶりを感じさせます。
 軽自動車以外通行困難という建物前の道路はまさに生活道路で、窯のある工場も大量生産には似つかわしくない感じのものです。写真を何枚か撮り、先へ進みました。
 幾分か広い道路に出て、陶器工場の前を歩きます。表に出ている棚には出来上がった朱の土管や甕が並べられています。この朱色が常滑らしさを出してるんですよね。僕の頭の中には「常滑焼=朱泥の急須」というくらいに赤茶色の焼物が有名であると思っています。
 常滑焼の小さな器、ちょうど350mlのジュースの缶くらいの大きさのカップが木にくくり付けられてます。「だんごの串入れ」だとか。確かに何本もの串が入ってます。??と歩いていると坂の下に団子屋さんが見えてきました。醤油の焦げる芳ばしい香りが鼻を衝きます。常滑の町に着く前からすでにお腹がすいてたんですが、ぐっとこらえて素通り。店を通り過ぎた反対側の交差点にも串入れがあり、ちょうど同じくらいの数だけ串が入ってました。興味をひく面白い宣伝方法ですよね。
 寄り道をしながらやって来たのが土管坂。土管が埋め込まれています。…いや、これでは誤解されますね。土管って普通埋め込んで使うもんじゃん、って。見た目には尾道のタイル小路のように表面に土管の切り口が見えるようにデザインされて並べられているんです。もっとも、後で知った話ですが、土管のまま埋められているのではなく、薄くスライスしたものを使用してるんだそうです。
 日本の坂30選の一つに数えられている有名な坂だそうです。そんなに有名な坂だとは知りませんでした。
 両壁にも陶器が埋められています。見た目に丸い円錐形の突起で、その頂点には小さな口が付いています。口の付いた壺状の器です。
 カメラを構える彼女を、興味津々に眺めながら通り過ぎていった幼い女の子とそのお兄ちゃん。ランニングのシャツが似合いそうな、妙に古めかしさと懐かしさが漂う坂道です。

 しばらく歩いて登窯広場に到着。そこにある展示工房館がちょっとした資料館になっていたので情報収集。いろんなスタイルの常滑焼が展示してあり、勉強になります。
 ただ、中には観光客らしき人は誰もいないんですね。というか、ここは土産物店も兼ねているんですが、建物の前で掃除をしていたおじさんとおばさんが管理してるのか、誰もいませんでした。
 展示物の中に土管坂の両壁に埋められていたのと同じスタイルのものを発見。硫酸瓶、焼酎瓶とあります。いや、この二つは同じじゃないんですが、円筒形の上部が円錐になっていて、小さな口が付いているという点では共通です。ここに来る途中で同じような瓶をたくさん見ていて、瓶の口の横に取っ手が付いてるのもあったんです。焼酎瓶にも取っ手が見えます。ここを持って(傾けて)注いだんじゃない?なんて言ってたんですが意外にも間違い。焼酎瓶には底付近の側面に穴が開いていて、そこに栓をして注ぎ口として使っていたようです。
 窯の中の様子を見せてくれる展示もあって、結構楽しめました。
 ここのすぐそばに、実際に使用されていた登窯があります。丘の傾斜を利用した窯なんですが、昭和40年代だったでしょうか、そのころに利用したのを最後に、現在は使われていないそうです。何日間も火を絶やさない為に薪をくべ続けていた当時の情景が目に浮かんできそうです。
 マップを見てちょっと気になる文字を見つけてバック。資料館横の公園に水琴窟があるそうなんです。そこのベンチで休んでいたのにまったく気付かなかったんです。で、引き返してみれば、公園のベンチのすぐ脇に、木で囲まれるように在りました。ごつごつしたこぶし大の石が重ねてあり、そこに水をかけると音が聞こえてくるんだそう。水は隣に置かれている石の臼に流れていて、そこにある柄杓で一すくいの水をかけてみました。
 カーン、というか、ボーン、というか、キーン、というか…(って、どんな音やねん)。
 二人でジョロジョロと水をかけながら、首をかしげてました。
 気を取り直して歩いていくと、妙な大学生っぽい集団に遭遇。常滑の町を撮りまくる、ってくらいにいろんなアングルで写真を撮ってました。全然焼物とは関係なさそうなところまで…。この新鮮さがいいんでしょうね。
 さらに歩いていると、常滑焼を販売する店が増えてきているのに気付きます。彼女曰く、「『見るだけ見たら、買ってって』って感じじゃない?」と。なるほど、よく出来た散歩道ですね。ふとUSJでアトラクションの出口近くに関連グッズのショップが併設されているのを思い出しました。同じことですね。

 その時、後ろから声が。
「寄ってってよ」
「?」
「中に入って、見てってよ」
 あぁ、お店の勧誘かぁ。って思いながら、無視するかのように歩き出すと、その声の主であるおじいさんがいきなり、
「ここには440本の煙突がある…」
 って。ちょっと呆気に取られて次の発言を待ってると、あまりにもこちらの反応がなかったからか
「何時かね?」と。聞き取りにくかったので
「え?」と聞き返すと
「ホワッタイム。」
 思わず、あぁ返事をしなかったから日本語が通じないのかと思われてたのかなぁ、と、
「11時○○分です」って答えたら
「なにィ?」
 と。大きな声で繰り返すも通じず。よっぽど耳が遠かったようですね。
 仕方なく腕をひねるようにして腕時計を見せると、「もう昼か」とか何とか言ったようですが、その後もゆっくり観光していけ、というようなことを繰り返すばかり。この場を離れるのもどうかと思い考えあぐねていたら、たまたまご近所のおばさんが通りかかり、おじいさんに声をかけたんです。その隙を突いて「どうもぉ〜」と会釈しながら二人の横を通り過ぎて一件落着。
 かと思いきや、街をぶらぶらしている間に先を越されていたようで、前で別の観光客を相手に何かを喋ってます。
「どうする?」「行く?」と彼女に問いかけながら「行っちゃおう」と横を通りかかった瞬間、声が…。
 なんか夢中で逃れるように歩いてると「おい、おぉい、うぉ〜い」との声が背後から襲ってくるんですね。
 気付けば大きな通りに出てました。どうやら、散歩道から外れてるよ、ってことを言いたかったようで…。

 小さな商店の脇にあるベンチに座ってジュースを飲みながら、そろそろお昼ご飯を食べたいねぇ、なんて喋ってると坂の下から、ドロドロドロとゆっくりとバイクが近づいてきたんです。なにやら呟きながら…。
 常滑の街には面白いおじいさんが多いようです。
 会館に戻り、お土産物を探すべくセラモールへ。車でほんの10分前後走らせたところにあるセラモールは、焼物を販売する店が20店近く集まった「とこなめ焼卸団地」で、ブラブラと物色しながら歩くだけでも楽しめます。
 彼女のお目当ては常滑焼の朱泥のコーヒーカップ。洋食器系は探せばあるんですが、なかなか朱泥はないもんですね。
 僕はそれを探しつつも、いろんな物を見て楽しんでました。大小の植木鉢を重ねて人形のように組み合わせたものや、茶葉を目の細かな網に載せ、下から蝋燭で燻して香りを楽しむための台なんかもありました。常滑に限らず、全国の陶器を扱っている店もあったりして面白かったですね。時間が許せばいくらでも楽しめそうです。
 結局彼女はお気に入りが見つからずに見るだけにとどまりました。僕も見るだけです。で、キャバリエに乗り込み昼食場所へ。
 
 常滑の中心部より南へ約10km。ここに「盛田・味の館」という店があるというのでやってきました。ほんの少し海岸線を走り、目指す場所近くへ…。でも、無いんです。行きすぎたかな?と引き返してみるも見当たらず。持ってきたガイドブックが96年版ということもあり、諦めて武豊町方面へと走らせました。当然、空腹感は募ります。
 武豊騎手が有名になった時にJR武豊駅の入場券が飛ぶように売れた、という話を聞いたことがありますが、武豊(たけゆたか)騎手は京都の生まれなんですよね。で、ここ武豊(たけとよ)町とは直接の関係がないはずなんですが、話題に乗っかっちゃった、ってとこでしょうね。
 武豊町を通過して半田市へ。このあたりなら美味しいご飯を食べさせてくれるところがあるだろう、ってことでやってきたんですが、何分情報が無いんでとりあえず本屋へ。情報誌をパラパラとめくって見つけたのが、武豊町にある「ひらめ亭」という料理屋です。(ちなみに、先ほど探していた盛田・味の館もこの情報誌に載ってました。でも、探していた道とは違う通りだったようです)
 
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  半田市に入ってしまったので若干行きすぎになるんですが、地図で見る限りはそう遠くもなさそう…、というか、この書店に来る途中に見てました。北に向かって左手にひらめ亭という看板があったはずです。
 お昼の営業時間が2時30分までとあったので急いで引き返しました。
 バックすること数分、駐車場の大きな「ひらめ亭」に到着です。土曜日のお昼ということもあってかそこそこの台数の車が停まってます。
 2時になろうかという時間でもあり、多くの人が食べ終わるタイミングだったのか待つことも無くテーブルに案内されました。さっそくオーダーです。ひらめ亭という名が示す通り、海鮮が豊富なお店で、活きの良い海鮮料理が味わえそうです。一品料理から豪華なコースメニューまで揃ってるんですが、何にしようかと迷った末に選んだのが、1,500円のおまかせコース。おまかせは金額に応じて作っていただけるそうで、どんなものを食べさせてくれるのか、楽しみです。
 やって来たのは魚介類をふんだんに使った籠盛り。海老の煮付けや小さな鰈の唐揚げ、殻付きの貝など盛り沢山です。次に、活きの良さそうなお刺身。氷を張った器に網を載せて清涼感万点ですね。焼魚の秋刀魚は半身ですが立派な大きさで、大根おろし以外に数種の薬味を合わせて頂きます。普段食べない味に感動です。
 でも、ここで箸が止まりました。…これ、ホントに1,500円?
 おまかせコースだけに金額を間違えてるんじゃないの?と思い始めたんです。そんなことを喋っている時にやってきたのが目を疑うほど大きなエビフライ。デカい…。海老天そばの衣ばっかりの海老とかは有名な話ですが、これはプリプリの海老がドンと丸ごとです。箸で摘み上げると重量感がありますからね。
 最後に来たのがデザートと勘定書。ウェイターが帰るや勘定書を表に向けました。1,500×2とあります。うーん、安い。
 デザートはフローズンストロベリーでコンデンスミルクをかけてあります。カチカチに凍ったイチゴを口に運びながら、美味しい料理を食べられる幸せに浸ってました。
 
 食後は半田市内を北上し、新美南吉記念館へとやって来ました。新美南吉といえば『ごんぎつね』で有名な童話作家。ここ半田市(当時の知多郡半田町)の生まれなんだそうです。この記念館では新美南吉の生涯と多くの作品が解説されていて、かなり詳しくなれます。
 「ごんぎつね」だけを上演するシアターがあったり、自筆の原稿や、たくさんある代表作品の場面場面を現したジオラマなどが所狭しと並んでます。これだけ見てるとにわかファンになれますよ。もっとも、これほどまでに名声を残した新美南吉も没したのはまだ29歳と7ヶ月の時。…今の僕よりも若かったんですよね。ちょっとしんみりとするところでもあります。
 実は、僕は勘違いしてたんです。『手袋を買いに』のタイトルを『ごんぎつね』だと思ってたんですね。で、「ごんぎつね」のストーリーを見て、あれ?こんな話だっけ?と思いつつも口に出せず、「手袋を買いに」のジオラマを見たときに「あぁ、これこれ」と叫びました。僕の時代の国語の教科書には「ごんぎつね」ではなく「手袋を買いに」が載っていたはずです。可愛らしくて好きな話です(…なら、名前くらい覚えておけよ、ってとこでしょうけどね (^_^;)
 車を走らせること数分、名鉄線に突き当たる直前の岩滑中町交差点のすぐそばに新見南吉の生家があります。残念ながら中を見学できる時間は午後4時までということで、午後5時になろうかとしている今では入れないようです。と、古びた家の引き戸に手をかけるとガラガラと、横に滑り出しました。やや、無用心な…^_^; でも、さすがに入るのはやめておきました。
 せっかく来たんだから、と畳屋である生家の軒下にある縁台に座り、写真を撮ったりしながらしばらくの時間を過ごしました。
 
 半田からは衣浦大橋を渡って高浜市に入り、安城市へと走りました。宿に入る前に、明日に備えて洗車です。
 JR安城駅の駅前にあるホテルに落ち着き、駅前のローソンへ明日のパンを買出しに。とりあえず、明日の朝食用のパンと昼食用のパンを調達しました。昼以降の予定がどうなるのか判らなかったんですが、お昼過ぎまでパーキングにいるなら昼食も必要でしょうからね。というわけでパンでパンパンに膨らんだビニール袋を手に戻ってきました。
 そのままホテルの1階にあるレストランで夕食。レストランで夕食、っていうと豪華なイメージがあるでしょうが、ここのレストランは1,000円未満の定食が中心のお気軽レストランです。それでも、テーブルに着くや「食前酒です」と、小さ目のグラスに入った梅酒を出していただいたのには「ホテル内レストラン」の意地を感じましたね。
 この1杯と別に注文した瓶ビールとでほろ酔い気分になりながら、エレベータに乗りこみました。


6月16日() 走行距離 343.8km 総走行距離 60940.7km
 二人して朝に弱いはずなんですが…。
 6時30分には駐車場からキャバリエに乗り込んでました。眠たいです。
 ここから集合場所のハッピネスヒル幸田まではおよそ10km。多分7時までには着くでしょう。
 途中でパンをかじりながらの運転です。バッグに入ったままの携帯が鳴ったんですが、運転中だったんでそのまま走っちゃいました。Jさん、ごめんなさい(そう言えば、現場で会ってからも電話の件は謝ってなかったですね、すみません)。
 時間配分はまずまずで、大草の交差点から248号線に入ったのは6時55分前後。あと、数百メートルです。…でも、通りすぎちゃいました。ナビはあったんですけどね (^_^;)
 途中でターンをして駐車場に到着。時刻はちょうど7時頃だったでしょうか。
 ずらりと並んだキャバリエの前に何人もの人がたむろしてました。見なれた顔あり、初めて見る顔あり。あっと驚く懐かしい顔もありました。
 
(続きは、オフ会レポートでお楽しみください)
 
【レポートにない裏話を…】
 集合場所からオフ会会場へ向かう途中、248号線の荻交差点から板野峠に向かい、三河湾スカイラインに入るための柏原ICへの分岐点を通り過ぎてしまったんですね。それで、引き返そうと狭い道路上でターンをしてると前方左側から「ゴリッ」という音が…。古びたガードレールの名残のようなバーが引っ付いてました。でも、不思議と4月の末にドアを擦った時とは気分が全然違いますね。バンパーを譲ってもらった時から傷がついてたから…でしょうかね。気にしない、気にしない、と思ってたら会場に着くなりLD-9さんから突っ込まれました。やっぱり目立ちますね(笑)
 
 現場で解散をした後、ガストで食事をする面々とで集合場所に戻ってきたところで、僕たち二人は皆さんとお別れです。
 
 248号線を南へと走り、そのまま23号線に合流。蒲郡市内を突っ切り三河湾沿いに東へと走ります。新しいショッピングモールがあったり、しばらく来ないうちに変わったなぁと思いながら、もうすぐ海が見えることを教えてあげようと助手席を見るとすやすやと眠ってました。朝が早かったですからね。
 豊橋市内に入り、市内を走り抜けてそのまま豊川市内へと入ってきました。せっかくこのあたりまで来たんだから豊橋・豊川地区で観光をしよう、と思って真っ先に思いついたのが豊川稲荷です。有名過ぎますね。
 ところが駐車場が見つからなかったんです(後で、すぐ近くに駐車場があることがわかりました)。どうしようかと、豊川稲荷の境内をくるりと一周したところでガストを見つけたんです。とりあえず、そこに駐車。ガストでの昼食を断って、豊川のガストに入った、って言ったらまた突っ込まれるんだろうなぁ、と思いながら…(^_^)
 10分ほど歩いて豊川稲荷に到着です。
 豊川稲荷は正式には妙厳寺と言い、曹洞宗のお寺なんですね。
 稲荷って言うくらいだから神社のはず…、と思ってたんですが、ここに奉られているのは「豊川吁尼真天(とよかわだきにしんてん)」という商売繁盛、家内安全、福徳開運の神様なんですね。でも、妙厳寺の法堂に安置されている本尊は「千手観世音菩薩」で、立派なお寺です。
 法堂に手を合わせたんですが、中は暗く、千手観世音菩薩を直接拝むことはできませんでした。その後、すぐ横の本殿に拍手を打ちます。どうも妙な感じですが、そもそも僕も彼女も、神道でも曹洞宗でもないわけですからどうでもいい心配かもしれないですね。

 豊川稲荷を後に、ガストへと戻ります。その途中、意外なものを発見しました。最初、三河地方独特の風習、風物を探そう、と通りを見回しながら歩いてたんです。そしたら、ある家の軒下にしめ縄が飾られていたんです。この6月に。
 季節外れのしめ縄…。そこで頭に巡ってきたのが伊勢で見た光景です。橙を中心に据えた、正月によく目にするタイプではなく、横長というのでしょうか、独特のスタイルですね。見た目に伊勢のと同じように見えます。これが、このお宅だけでなく、2軒に1軒くらいの割で飾られてました。伊勢湾を挟んで同じような風習が続いているというのは面白いですよね。名古屋あたりはどうなんでしょうか。渥美半島の先端に行くに従って年中付ける家の割合が増えていく、となればさらに面白いと思うのですが…。どうなんでしょうね。
 ガストに入り、ドリンクバーでアイスコーヒーを飲みます。夏に予定をしている旅行の話なんかをしながらしばらく涼んだ後、豊橋へと向かいました。

 この旅行、最後のお目当ては豊橋駅の近くにある「きく宗」さんの「菜めし田楽」です。CLUB CAVALIERマニアの方はご存知かもしれませんが、第1回目のオフ会で二日目の昼を食べに来たお店です。美味しかったんで、豊橋から東京へ帰る彼女にも食べてもらいたかったんです。
 新幹線の発車時刻は18時52分なんですが、豊川から豊橋への渋滞が怖かったこともあり早めに豊川を出たら5時前に着いちゃいました。夕食にはちょっと早いかな?という時刻ですが、店内でゆっくりさせてもらおうと駐車場に滑り込ませます。さすがに見覚えのある雰囲気です。でも、もう2年以上前なんですね。2年前の3月に第1回目のオフ会があったわけですが、その27ヶ月後の今日、20回目のオフの日にこうして戻ってくるのは感慨深いものがあります。
 IKOさんや赤い1番さん、今日、久々にお会いしたノブ太さんとはこの時からのお付き合いとなりますが、今回幹事をしていただいたJさんをはじめとして多くの方々とはまだ面識がなかったわけです。不思議な縁といいますか、人との出会いとは面白いものですよね。と、昔話はこれくらいにして先に進みましょう。
 駐車場を管理しているおじさんに、「すぐ食べられるんですか?」と、ちょっと早く着きすぎたんで、待たせてもらえると嬉しいなぁ、という含みを持たせて聞いてみたんですが、「えぇ、もう。お昼の時間から休まず営業させて頂いてますから」と、逆にすぐに食べられることを強調されました。この時間帯ですから、待っている人もなさそうですし、ホントにすぐに食べられそうです。
 古めかしい引き戸を開けて店内に入ると、これまた懐かしい女将さんがいらっしゃいました。もちろん、僕のことを覚えてくれているはずはないですが、手際の良さは当時から変わらぬままで、妙な嬉しさを感じました。
 2年前は2階の座敷で頂いたんですが、今日は小さな部屋を用意して頂きました。落ち着ける雰囲気です。
 時間が早いんでゆっくり作ってくださいね、という一言が利いたのか、それとも忙しくなってきたのか、注文してから20分ほどして田楽が到着しました。この待っている時間がより美味しくさせているのかもしれませんが、味噌の香りがなんとも言えませんね。
 大き目の器に入った菜飯とともに頂きます。二股に分かれた串に刺した堅めの豆腐に八丁味噌のたれを付けて焼いた田楽は、「あぁ、豆腐と味噌のある日本に生まれて良かったなぁ」と思わせる味です。竹串は何度も何度も繰り返して使われていて、それぞれの串はもちろんのこと、二股の右と左とでも長さが違うんです。先端は焼け焦げてますから、このあたりにも時代を感じます。96年発行のガイドブックに創業150年余、とありますから立派なものです。
 鼻にツンと来る辛子にも日本の食の慶びを感じながら綺麗に頂きました。彼女にも十分堪能してもらったようです。
 
 程よい時間までゆっくりと過ごし、駅前の地下駐車場に入りました。
 豊橋駅の新幹線ホームに立ち、18時52分に出る「ひかり168号」を見送りました。豊橋駅に停車する数少ない「ひかり」ですので、東京駅には20時33分に到着するそうです。
 さて、それでは僕も帰るとしましょうか。でも、8時30分にはまだ愛知県内でしょうかね…(笑)
 
 ゆっくりとホームを去り、駅前地下駐車場へ。…が、車がないんです。というか、駐車場の形が違うんです。それって、別の駐車場じゃないの?というのに気付くのにしばらくかかったのはなぜなんでしょうね。地下でつながってるのかと思ったら、一旦地上へ出ないとダメみたいです。駅前の地下駐車場に第一と第二があるということに気付きませんでした。これだから方向音痴が治らないんでしょうね、きっと。
 豊橋駅前からカーナビの到着地を自宅にセットしてスタートです。豊川から東名に乗るのかと思えば案内している場所は音羽蒲郡インターです。でも、1号線の流れがあまりにも快調だったんで、思わず岡崎まで走ってました。
 明日は仕事ですし、さすがに下道で帰る体力も勇気もなかったんで岡崎から東名道に入ります。いろいろと考えたんですがそのままストレートに名神に入り、吹田まで走ることにしました。途中、養老サービスエリアで一旦休憩を取ったものの、後はノンストップです。京都付近での渋滞もほとんどなく、若干スピードが落ちたかな?という程度で吹田まで走ることができました。吹田からは近畿道に入り東大阪北インターで降りれば自宅はすぐそこです。
 
 オフ会に参加して頂いた皆さん、お疲れ様でした。また、お会いしましょう。それでは、また次のオフ会にて…。


6月 2日() 走行距離 86.9km 総走行距離 60313.6km
 リコールの件は先々週の22日に車を預け、車を使わない週末に作業を行なってもらいました。
 「リコールは問題なく処理したんですが…」と言葉を濁したJさんが口にした言葉は、「エアコンもおかしいですよ…」。はぁ、最近いろんなところから問題が発生してます。もっとも、僕は極限にならないとヒーターもクーラーも使わないんで、クーラーがおかしい事には気がつかなかったんですね。症状は異音がするとのこと。結局、週末にお預けしている間に処置を施してもらいました。とはいえ、それよりも嬉しい改修点があったんですけどね。というのも、去年の夏くらいから、カーナビが不意にリセットされるという症状に見まわれていたんです。その原因を突き止めて欲しいとお願いしていたんです。その結果、電源に問題があったとのことです。アース側も電源供給側(プラス側)も接触不良で、本来12V(ボルト)が供給されるべき端子に、常時8V程度の電圧しかかかっていなかったんだそうです。おまけに振動で変動するとか…。そういえば、段差を越えた際にリセットがかかったこともあるんで、それが理由だったんですね。それも直して頂いたとのことでありがたい限りです。
 で、今日は雑用を少々。
 まずは靴屋さん。通勤に履いている革靴の底板が外れかけなんで、修理をしてもらおうと持ってきました。実は、2回目なんですね。去年の末にもお願いしてるんです。どうやら革とゴムの相性が悪いんでしょうね。とりあえずは、お預けして撤退しました。
 次に行ったのが郵便局。東大阪市の西部にある布施郵便局です。日曜日といえども、郵便物を受け付ける窓口が開いているので助かります。
 日曜日はすいているんだろうなぁ、と思いながら建物のドアを開けて中に入ると、思わず「出直してきます」と言っちゃいそうな雰囲気が漂ってたんです。先客が1人窓口に向かっていたんですが、その窓口には局員が3名、張り付いてたんです。1人の客に3人が対応? そうなんです。このひと、「Super Exciting Lady」だったんです。直訳すると「超興奮お姉さん」ですかね。
 いきなり、「パスポートとか免許証とか健康保険証とか、持ってない人はどうしろっていうんですか!」
 という怒号が聞こえてきたんですね。近付きがたい雰囲気だったんで、隅っこでリュックの中から封筒を取り出しつつ話を聞いてたんですが、どうやら銀行のキャッシュカードを本人確認に使えないことにご立腹されている様子。
 「ここに書いてあるじゃないですか、…(省略)…って。本人と確認されているのになぜ渡してもらえないんですか!」
 「…(聞こえなかったんですけど、多分、カードは身元確認に使えないってことをおっしゃったんでしょうね)」
 「身元を確認するのに運転免許証、…等、って、この『等』って何なんですか、こんなあいまいな書き方じゃ、判らないじゃないですか!」
 「…(局員さん、刺激した?)」
 「アメリカじゃ、カードで確認できるでしょ!このカードが信用できないんですか! そこのUFJの私の口座ですよ!」
 「…(局員さん、お疲れ様です)」
 「早く出してくださいよ、私のものでしょ! なぜ私のものなのに渡してもらえないんですか!」
 「いや、だから、郵送します(初めて声が聞こえました)」
 「いーまーせ〜〜ん。平日はいないから、こうやって来てるんじゃないですか!」
 完全に暴走してます。見た感じ、4年制大学の法学部3回生、趣味はディベート、彼氏なし、って感じの女の子です(いや、推測ね)。
 久々に人前でキレてる人を見ましたね。先日、帰宅途中の電車の中で喧嘩が始まり、停車した駅のホームに胸座を捕まれて引きずり出され、ホームの上で取っ組み合いになっていたサラリーマン二人を、二人が降りていった終電車から眺めていたんですが、どうなっちゃったんでしょうね、大阪…。
 長居陸上競技場周辺で発火しないことを祈ります…。


5月19日() 走行距離 28.0km 総走行距離 60226.7km
 夕方から久々に日本橋へ行ってきました。…あれ?ホントに久しぶり。行動記録を読み返してみても日本橋の記述が出てくるのは2月17日以来です。その前が1月26日で、その前となると2001年ですね。3月上旬で9回目、とかいう年もあったんですが…。
 もちろん、全く行ってないのか、というとそうではないんです。根は日本橋マニアですから。最近は電車で行く機会が増えた、ということですね。とはいえ、行く回数は確実に減ってます。Pentiumが3から4になってクロック数の単位がMHzからGHzになって、ついていくのに諦めた、ってところでしょうか。最近はパソコン周りでグレードアップしたいなぁ、と思うところが少ないですね。OSは依然としてWindows98ですし、CPUはceleronの800MHz、メモリが128MBでHDDがあわせて57GBで…(って、あんまり悪くないような気もしてきました)。
 とりあえず今は物欲に関しては小康状態です。
 で、今日は自宅で使用しているコードレス電話機のニッカド充電池が弱くなってきたんで換えようというわけで日本橋詣でです。それと、親からの頼まれもののプリンタのインクを購入。僕自身は前述の通りで、これといって何もナシですね。可能性があるといえば(というか、ちょっと気になる存在なのは)デジカメくらいでしょうか。なんせ、今使ってるのが、もはや玩具の部類に入りそうな35万画素ですからね。
 日本橋の話題はそれくらいにして、今日の不思議な体験の話を。たった28kmを走る間に「180SX」を5台も見たんです。いや、不思議な話ではなく、意識次第という心理的な問題なんでしょうけどね。希少車でもないですし。だから、無意識にすれ違うのが普通だと思うんですが、なぜか目に止まってしまったんです。5台も。…それだけです。


5月18日() 走行距離 6.9km 総走行距離 60198.7km
 午前中は電車でミナミへ行き、昼からは東大阪市内を少しウロウロ。つまらないほど単純な用事です。郵便局と図書館のみ。
 図書館は週明けの20日より2週間の蔵書整理期間に入ってしまうため、今日借りるといつもの倍の4週間借りられるんです。だから、ってこともないんですが何冊か借りてきました。返却期限は6月15日。…あっ、おはみかオフの前日ですね。というより、もう一ヶ月を切ってるんですね。6月16日が楽しみです。
 でも、その前に。リコールの件がありますね。Jさんから電話があり、来週末に作業をしていただくことに決めました。みなさんもどうぞお早めに…。万全な状態でお会いしましょう。


5月12日) 走行距離 191.3km 総走行距離60191.8km
 オフです。バーベキューです。
 幹事のひとちさんが集合時刻には遅れないように、と念を押してたんで7時に起床。
 出発時間はさておいて、やっぱりオフ会に行くのに車が汚いのはいただけないなぁ、とスタンドに寄って洗車。これが失敗だった、とも思うんですが、まぁいいでしょう。
 予定通りに東大阪市内のスタンドを出発して中央環状線を南下。美原から富田林を通り外環状線を熊取方向へ。が、さすがに集合場所まで一般道を走ってるとちょっと遅刻しちゃうかな?という微妙な時間になってきたんで貝塚インターから阪和道に入りました。ここで一気に一般道での借りを返して泉南インターから金熊寺川沿いに63号を走りました。手元の時計で9時59分。とても自慢できた時間じゃないですが、なんとか遅刻はせずに集合場所の駐車場に到着です。ここには見なれた顔、初めてお目にかかる顔、そしてたくさんのキャバリエの姿がありました。

(以下、オフ会レポートでお楽しみください)

 大阪組のメンバーが連なってJR阪和線、阪和道沿いの一般道を走ります。峠を越える道なんで幅は狭く、一人では心細くなりそうな道ですが4台集まれば怖いものナシですね。
 和泉鳥取で前を走るLD-9さん、Jさんが左折、赤い尻尾さんが右折。僕は信号待ち。結局、青になってから右折しました。カーナビの指示通りです。岡中西交差点を左折し、26号線を横切って海岸近くをりんくうタウンに向かって走ろうと幡代北で信号待ちをしていると26号線を左からJさんが走ってきました。で、僕が今走ってきた道へ向かって右折。あれ?と思ったものの、僕が阪神高速湾岸線を目指して走っているのに対してJさんは阪和道の泉南インターに向かっていたようですね。でも、すれ違うってのはおかしな感じですが…。
 マーブルビーチからは対岸に煌煌と輝く関西国際空港が見え、湾岸線泉佐野南ランプもすぐそこです。
 湾岸線をひたすら北上し、天保山から大阪港線、東大阪線と走って帰宅しました。和泉鳥取で別れたのが9時を過ぎてましたから、帰宅したのが10時少し前というのは、意外と早く感じましたね。
 
 当初雨が予想されていたにもかかわらず、気持ちよく晴れ、すがすがしい気分でバーベキューオフを終えることが出来ました。遠方からお越しいただいた洋一さん、KAZUさんファミリーをはじめ、皆さんありがとうございました。
 また、お会いしましょう。


5月 6日() 走行距離 7.3km 総走行距離 60000.5km
 深夜2時30分過ぎの到着ということもあって、起床は遅かった…ってんじゃないんですね。ちょっと午前中に出かける用事があって無理やり8時過ぎに起床。
 で、そのツケか昼寝をする羽目に。
 結局夕方近くに借りていたビデオを返しに出かけただけです。でも、ついに60000km突破ですね。1年1万kmペースなんで健全でしょう。
 とはいえ、GWの10日間で2100kmはちょっと無理をしちゃいましたかね… (^_^;)


5月 2日(木) 走行距離 276.8km 総走行距離 59444.8km
 今日から旅行です。昨年と同じく中国地方なんですが、昨年の山陰に対して今年は山陽、瀬戸内側です。彼女が今晩に新宿を出る『エトワールセト号(小田急バス・中国バス:新宿⇔福山・尾道・三原)』に乗車し、明日の朝、尾道駅前で落ち合う予定になってます。
 なので、旅行は明日から2泊3日で今日はアプローチの日、という言い方も出来そうですが、まぁ、キャバリエの行動記録という名目からすれば実際に大阪を出てるのが今日なのですから、今日から3泊4日(恐らく到着は5日目の深夜となるでしょうが)と言えるでしょうね。
 
 夕方4時過ぎに自宅を出発です。
 中央大通を西へと進み、弁天町から43号に入ります。このあたりは神戸方面への定石。ただ、普段は日曜日の朝だったり夜遅くだったりと、流れがスムーズであることが多いのですが、今日は世間では平日で、しかも夕方ということもあってか神戸市内に入ってからの流れが急激に悪くなったような感じがしました。もっともこの流れの悪さは平日の夕方であるということだけではなく、別の理由も重なっていたようです。それが神戸ウイングスタジアムで開催されたサッカーのキリンカップ、日本対ホンジュラス戦じゃなかったのかと思っています。兵庫区の和田岬にあるウイングスタジアムに近付く道路には要所要所に警官、警備員が待機していて検問を行なっていたようですからね。兵庫県警は数千人を動員したらしいですし、本番への予行演習を兼ねていたんでしょう。
 兵庫区内のスタンドで給油し、先を急ぎます。入ったガソリンは52.9リットル。前に給油をしたのが東京都内なんでその間の走行距離は637.2km。リッターあたり12.05kmですね。今年度の最高記録です。
 長田からJR線の北を走り、第二神明道路の須磨インターへと向かいます。その途中で見慣れないスカイラインを見ました。GT-Rなんですがリアスポイラーが無いんですね。きちんとリベットで埋めてあったのですがドライバーは初老の紳士でした。さすがにウイング付きには抵抗のあるお年頃なのでしょうか。最近、僕の父も一人でキャバリエを運転するのが気恥ずかしいとか言ってました… (^_^;)
 第二神明道路に入ると流れはスムーズです。とはいえ明石西を通過したのは出発から3時間近くが経過した7時前。ちょいと気が滅入る所要時間です。
 加古川バイパス、姫路バイパス、太子竜野バイパスと一気に走りすぎます。2号線との合流地点で渋滞があったものの大した事もなく順調に相生市内へと入りました。
 赤穂市、上郡市と来て、岡山県備前市。山陽新幹線の高架橋が水面に連なる大ヶ池のそばを走り抜けたのが8時30分頃でしたね。
 備前大橋を渡り岡山市内に入ってからも流れは順調で、難なくバイパスで流れに乗ります。
 昨年のしまなみオフ前夜祭の集合場所となった食堂を横目に見ながら倉敷市内へと入りました。時刻はすでに9時を回ってるんですが、そう言えば夕食はまだなんです。結局何となく走り続けてしまい、遅くまで開いている店が少ないエリアだったということもあって夕食にありつけたのは広島県に入った最初の都市である福山市で、24時間営業の吉野家でした。夜10時過ぎに食べる大盛りつゆだくも美味しかったですよ (^_^)
 福山からはあと一息で尾道です。今日は昨年のオフの時に仮眠場所として考えていた道の駅「アリストぬまくま」へ行こうと思ってるんですが、その前に気になっていることを調べに尾道へとやってきたんです。というのが、明日は尾道市内の千光寺公園かおり橋駐車場に半日ほど停めようかと思ってるんですが日曜祝祭日は非常に混むんだそうです。朝早くから満車になることもあるみたいですね。で、何時からオープンするのかを確かよう、というわけなんです。彼女を乗せたバスが到着するのが8時5分。それより早ければ先に駐車してから駅へ迎えに行こうかと考えたんです。その方が心理的に落ち着けますからね。市内にたくさん駐車場があるものの、なぜここにこだわるのかというと、唯一時間制ではないからなんです(1回500円)。他の駐車場の多くが30分100円ですから、長時間駐車するには魅力の駐車場です。
 福山市内からバイパスに入り、向峠ガードで降ります。2号線に向かって走る途中で千光寺公園へと向かう道が分かれ、駐車場にたどり着いたのはちょうど11時でした。
 幸いなのかあいにくなのか駐車場の入口ゲートが開いてるんです。もちろん管理人の建物は閉ざしたまま。どうしようかと迷ったものの道の駅まで往復するのもどうかと思い、文句を言われたら言われた時のこと、と割り切って明日の朝まで駐車場に停める事にしました。縦に長い駐車場の奥へと進み入り奥深いところに停車してエンジンを切りました。もちろん、その中で仮眠です。
 シートを倒すや眠りにつきました。おやすみなさい。


5月 3日() 走行距離 41.7km 総走行距離 59486.5km
 目が覚めれば6時30分を回った頃でした。外は完全に明るく爽やかな朝です。
 …が、ボンネットが妙に汚れてます。黒い粒々に覆われてるんです。フロントガラスも油っぽく滲んでます。あれ?と思って見上げてみると、なんと言う間の悪さでしょうかね、張り出した松の枝の下に停めてました。昨日は暗くて何も見えなかったのに…。
 まぁ、洗車をして来たわけでもないので良かったといえば良かったんですが、ちょっと見苦しいですね。とはいえ早朝から洗車場を探すゆとりも無くこのままの姿で彼女を迎えることになりそうです。
 駐車場の入口近くに車を移動させ、リュックを片手に出発です。駐車料金を払っていないのが気がかりですが、昨年の鳥取砂丘でもそうであったように営業開始時点で停まっている車に対しては後払いで請求されるんでしょう。
 というわけで尾道駅へと向かって歩き出しました。
 駐車場から駅までは下り坂が続きます。途中に改装中の美術館や開館前らしい尾道城がありましたね。JR山陽本線を越えれば商店街があるんですが、そのすぐ先はもう海です。7時過ぎという時間でもあり開店前の商店の前を歩くとすぐに尾道駅へと到着です。
 しまなみ海道が開通してからすっかり容貌が変わったらしいんですが、僕は開通してからしか来た事がないので尾道駅前の印象というとこの近代的なビルが立ち並ぶ風景なんですね。以前がどんなものであったのかは知らないのですが今は都会的です。
 駅前のロータリーにはいくつものバスのりばがあり、その中に高速バスの文字を見つけました。各地からやってくる高速バスの乗り場です。その中にはもちろん東京の名前も含まれていました。が、到着予定は8時5分。まだ1時間ほどあります。
 とはいっても何もすることは無く、海に向かうベンチに腰をかけて時が過ぎるのを待ってました。海のすぐ向こうには向島があり、造船所らしき施設が並んでいるのが見えます。この島は古くから尾道と橋で結ばれていて往来も盛んのようですね。尾道と向島を結ぶ渡船も各地から頻発してます。
 しばらく海を眺めていて、ふとロータリーに目をやると大型バスが2台連なってやってきました。時刻はまだ7時30分過ぎ。予定時刻には早いもののバスの側面に大きな字で「ODAKYU BUS」と書かれてるんで新宿からの便に間違いなしです。立ち上がって停留所へと急ぎました。
 が、到着した2台から降りてきたのはおじさんやおばさんと若いお兄さんのみ。あれ?と首をかしげてちょっと不安になった頃に3台目が到着しました。1台だけ遅れていたようですね。リュックを担いで降りてきた彼女と無事に合流です。
 とりあえず朝食を取りたかったんですが喫茶店すら開いておらず、8時オープンのミスタードーナツの開店を待って店内へ。
 朝からフランクロールとかハムタマゴとかの朝食メニューと一緒に甘いドーナツを食べ、コーヒーを飲み干しました。さて、いよいよ尾道観光の開始です。
 彼女も身軽になりたいからとまずは駐車場へ。重たいリュックを担いで歩くよりも置いた方が楽ですからね。
 駅前からは線路を越して高台の上に城郭が見えます。これが尾道城なんですが、今から向かうと考えるとぞっとしそうな険しさですね。坂道を歩き出すと、とたんに汗がにじみ出てきました。5月とはいえ暑いんです。僕は既にシャツの袖を巻くって半袖にしてますし、彼女は長袖を半袖に着替えたいと言ってますからね。
 街中の至る所に坂と階段があるのは尾道らしさではあるもののかなりハードです。
 お城は現在、観光客には開放していないのか9時を回った今も扉を閉ざしたままです。というよりも案内の看板が倒れているので廃墟という感じすらします。
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 千光寺公園は小さな小さな遊園地というもので、わずかばかりのゴンドラをぶら下げた観覧車やアップダウンの無いコースターらしきものも見えます。その脇に駐車場があります。駐車場を管理するおじさんたちも仕事を始めており、キャバリエのフロントガラスには駐車料金を請求する紙が置かれていました。もっともこの紙をクシャクシャと丸めてしまえば料金を前払いした車と区別はつかないんでしょうがきっちりと支払いましたよ(って、当然ですよね…)。
 暑さに耐え兼ねて半袖に着替えた彼女とともに観光へ出発です。
 まずはすぐそばの千光寺へ。境内に入った時からカチカチと何かがぶつかるような音が時折聞こえてきていたんですが、その音源が念珠でした。滑車にかけられた大きな数珠みたいなもので、珠は一つ数センチはあろうかというサイズなのですが、数珠と違って珠と珠の間に隙間があるんですね。そのため、手前側を引き下げると奥側の珠が上がって滑車を乗り越え手前側に落ちるんです。その時の音がカチカチの正体なんです。珠は煩悩の数の108個あり、幸せを念じながら1回転させるそうです。
 本堂の脇ではお守りを勧めるおばさんの声が響いてました。僕たち二人に向かって、
「学生さんには学業の…」
「はぁ…」
 若く見られるにも程がありそうですが、昨夏の北海道でも学生さんに間違えられたんでよっぽど貫禄が無いってことでしょう(笑)
 その側にマニ車があったので思わず回していました。一昨日に見たばかりの映画『リトル・ブッダ』にも登場するモノで、円筒形の周りに経文が書かれていて、くるりと1回転させる事でお経を唱えたのと同じ効果があるんだそうです。
 次に奇岩の三段岩を見た後、展望台へと歩きます。
 ずんずんと登って行く途中で展望台が駐車場に近いことに気づき、最後に立ち寄っても良かったんじゃない?と思ったんですが高いところ好きの二人ですからね、何はともあれ展望台です。
 螺旋階段で売店の上にある展望台に上ると尾道の市街地が一望できます。正面に瀬戸内海を挟んで向島、右手には尾道駅周辺が良く見えます。しかしこうして見ると尾道というのは階段が多くてもしかたがない、というかよくもこんなに平地の少ないところに街を作ったよなぁ、って感じます。狭いといわれる神戸市なんかよりもよっぽど狭いですからね。
 展望台から再び千光寺へ。眺めのいい休憩所で「ひやしあめ」を飲みながら足を休めます。
 目の前を通るロープウェイを眺めながらしばしの休息を取り、映画で話題になった場所を2ヶ所訪れます。まずは『時をかける少女』のタイル小路。千光寺と山麓を結ぶロープウェイの山麓駅から程近い場所にあります。案内がなければ立ち入らないような場所ですね。一面に敷き詰められたタイルには思い思いにコメントが書き綴られていて、尾道への痕跡を残す格好の舞台となっています。それにしても、数日前の日付が書かれたタイルが路面にセメントで固められているのには驚きました。定期的に張替えてるんでしょうか? 彼女曰くは「固めてある(無地の)タイルに書き込んだんじゃないの?」と。まぁ、そんなところかも知れないですね。
 次に向かったのは御袖(みそで)天満宮。『転校生』で舞台となったところです。いや、実は僕も彼女も映画は見てないんです。意外にも大林監督の作品って見てなかったりします。見ていれば尾道はさらに面白いんでしょうけどね。
 継ぎ目のない一本の石を並べて作られた石段は見栄えもよく、その上から眺める景色はバックの尾道の街並みと調和してなかなかの味を出していました。
 ここは菅原道真に所縁のある神社で学問の神様としても有名です。境内には沢山の絵馬がぶら下げられています。「○○大学に合格できますように」とか「○○高校に入れますように」等のシンプルなものから「息子が東京大学に無事合格できますように」といった親バカさんのものや「○○君と結婚できますように」という方向違いのものも。「合格」の漢字を間違えて書き直していた女の子が希望通りの高校に入学できたかどうかは気になるところです。
 時刻は昼を過ぎ、お腹もすいてきたところで昼食を取るべく階段を下りました。向かうは尾道ラーメンで有名な「朱華園」。有名過ぎるこのお店、店の前はもちろんのこと次の辻を入ったところにまで行列が延びてました。「どうする?」と聞いてはみたものの僕も彼女も待つ気です。僕は元から昼はここで食べる気でしたし、彼女も広島出身の上司から尾道に行くならこのお店、と吹き込まれていたようですから。
 美味しいものを食べるのに多少待たされるのも仕方のないことでしょう。まぁ、限度はあるでしょうけどね。1時間というのが限度かどうか、並び始めておよそ1時間後にようやく店内に入ることが出来ました。
 待たせるのは罪ですね。中華そばだけのつもりがついつい焼餃子まで注文してました。とにかくお腹がすいてます。
 運ばれてきた中華そばは見た目に濃そうな醤油ベースですが見た目ほどに濃すぎる事もなくとても食べやすいものです。幅広の自家製麺もコシがあって美味しいんです。
 あまりの美味しさにスープを飲み干してしまいましたね。ごちそうさまでした。僕も彼女も大満足です。
 待ったおかげで時刻も2時を過ぎ、尾道観光を終える時間となってしまいました。今日は向島、因島とまわって国民宿舎「いんのしまロッジ」に泊まる予定です。というわけで駐車場へ。
 山麓駅から千光寺まではロープウェイに乗りました。朝に歩いて登ってるんで趣向を変えて、ということですね。閑散期は15分おきの運行らしいですが、多客期は定員の31名を超えた時点で随時運行のようです。それでも一便見送ったんですからさすがはゴールデンウィークですね。数分の空中散歩を楽しんで展望台近くの駅に到着しました。
 キャバリエに乗り込み、2号線のバイパスを走って西瀬戸尾道インターから西瀬戸自動車道、通称しまなみ海道へと入ります。3年前は開通の騒ぎで混雑してたんでしょうが、今日はほんとスムーズです。ちょっとくらい渋滞気味の方がゆっくりと景色を楽しみながら走れるのに、というのは贅沢でしょうか。快適に尾道水道を越え向島へと上陸しました。僕自身しまなみ海道を今治方面へ向けて走るのは3度目となるんですが、向島で下車するのは初めてのことです。向島インターまでは300円。旧の尾道大橋との兼ね合いなんでしょうが、これは安く感じます。
 向島に上陸して向かった先が高見山。向島一の眺望を誇る展望台です。もっとも島内には高い山があるわけではなく高見山も標高はわずかに283mです。高見山の山頂付近にカーナビの目標をセットして出発です。が、しばらく走って一旦停車。カーナビのディスクは新しいものの直進するように指示のあった交差点が右左折しか出来ないんです。若干迷った末に向島洋らんセンターのある左側へ。でも、これは間違いでした。結局海岸沿いにくるりと島を半周ほど走ることになったんです。怪我の功名というのか間違ったおかげで鄙びた漁村風景の中を走ることが出来て楽しくもありました。しかし、この辺りまで来ると本州からの観光客も少なくなり静かなもんですね。連休中とは思えないくらいです。
 海岸線を離れ山道に分け入ると高見山への駐車場があります。で、当然のように入ると数台の車が停まってました。…が、若い兄ちゃんたちがラジコンカーを持ち寄って広い駐車場で走らせてるだけなんですね。はて?展望台とはそんなに人気のないスポットなのか?と思っているところへハイヤーが着き、次いで2台の車がやってきました。僕たちが車の外に出て歩きかけたちょうどその時、「もう少し上に別の駐車場がある」という声が聞こえてきたんです。ハイヤーの運転手の情報だったでしょうかね。戻って車で行こうかとも思ったんですが、結局ハイキング気分で歩くことに。途中でその2台に追い抜かれたものの、上方の駐車場で停まって降りる支度をしている横を抜き返し展望台へは先に到着です。とまぁそれくらい近かったというわけです。
 登ってきた展望台からは今から行く因島や、そことを結ぶ因島大橋がハッキリと見え、他にも大小の島々が綺麗に見えました。島の多さは瀬戸内ならではでしょうか。青い海に緑の島が映えます。
 しばらく海と島を眺めてから因島へ向けて移動です。
 展望台へ来る途中に道を間違えたのがハッキリと判るくらいに向島インターへはあっという間に到着です。今となっては標識があったのかどうか定かじゃありませんが、展望台への判りやすい看板があっても良かったんじゃないかな、とは思います。
 橋を渡れば因島です。因島には橋の出来た経緯からか南北に二つのインターがあり、北側が尾道方向への出入口、南側が今治方向への出入口となっています。幸いにも今から向かう金蓮寺(こんれんじ)は北インターの近くにあり、島内に降りてほんの少し走ると案内が見えてきました。因島水軍城の向かいにあり、駐車場は共同のようです。というかお城の駐車場に停めてしまっただけなのかも知れませんが…。
 そのお城は中の見学が午後5時までなんですが、現在既に4時50分。諦めてはいたものの近くまで行ってみようと天守閣を目指します。登城する入口にはご自由にお使いくださいと竹の杖が用意されているので、前を歩く若い女性二人連れとともに竹杖を片手に歩き出しました。しかし、杖って案外と楽なんですね。僕は松葉杖すらお世話になったことがないんで、山道の階段を登るのに杖を使うのが楽だとは気づきませんでした。
 登りきったところにある二の丸は早々と閉館の準備をしていてとても入れそうにはなかったのでそのまま寺へと向かいます。寺の目的は因島村上家の墓です。南北朝から戦国時代にかけて瀬戸内の海域を支配していた村上水軍の一族が因島水軍城の袂で眠っているんです。大小さまざまな墓石が並んでいるので位で分けているのではないかと思うのですが、今となっては誰がどこに眠っているのかははっきりとしないそうです。
 墓石の前に立ち、静かに時の流れを感じていました。
 山の傾斜に並ぶ墓を後にし、駐車場に戻ります。時刻も宿に入るのに程よい頃になってますからね。
 島を横断するように海岸近くまで走り、因島市の中心部に出ました。車の往来も盛んです。
 街を少しばかり外れたところから山道に入り、行き着いた先が因島公園。その横に国民宿舎「いんのしまロッジ」が建ってます。建物手前の駐車場に停めて車を降りました。エントランスに向かって歩いている途中で目敏い彼女が「あっ」と。玄関の脇に掲げられたプレートの中に「辻村様」の文字が…。細やかな心遣いって嬉しいですよね。
 フロントで受付を済ませて3階の部屋に入ると目の前に海が広がって見えました。高台の上にあるだけに眺めはかなりいいです。和室の奥に張出した部分にはソファが二つテーブルを挟んで向き合って置かれていて、部屋も広く見えます。
 座布団に座ってお茶を頂きながら少しゆっくりしたところで風呂へと行きました。夕食が6時から8時までと、すでに夕食時間帯にかかっているのでやや急ぎ気味です。食事はゆっくりととりたいですからね。
 2階にある大浴場は浴槽も広く、湯気で曇った窓ガラスの向うには瀬戸内の海と島が眺められます。
 長袖の袖を巻くって一日を過ごしたため、腕は軽く日焼けをしていてお湯にしみます。心地よい刺激ですね。
 夕食時間ということもあって他のお客さんも少なく、ゆったりと汗を流すことが出来ました。彼女の話では女風呂は最初こそ三人だったものの後は一人占めだったとか。二人ともそれぞれにリラックス出来たようです。
 浴衣の上から丹前を羽織って食堂へ。広い食堂には全室数分ではないかと思われるテーブルが並べられていてその中に僕の名前が書かれたものがありました。テーブルに着くや給仕係の女性が来たのでビールをオーダー。やっぱり風呂上りはこれでないとね。
 グラスに注いで乾杯。今回の旅と丸一年をお祝いして…。
 料理の方はもちろん和食ベースで、瀬戸内で獲れた魚介類がふんだんに使われてます。刺身に煮物、焼物、茶碗蒸し等々、どれをとっても美味しかったですよ。ホントのところは料理に関してあんまり期待をしてなかったんです。というのは値段の安い国民宿舎ですからね。金額的には伊勢で泊まった旅館と大差はないんですが、連休とはいえ2月の寒い中と行楽シーズンのゴールデンウィークとでは同じ秤で計るのには無理があります。いい意味で予想が外れた料理の数々でした。
 国民宿舎には民営と地方自治体の公営があるんですが、この「いんのしまロッジ」は民営です。民営の方がサービスがいいのか?と聞かれると何とも言えないですが、こちらの従業員の皆さんの心意気は感じましたね。
 ただし、行楽シーズンの予約はかなり難しいですので計画はお早めに…。
 1年前の思い出なんかを語りながらビールのグラスを傾け、美味しいものを頂き、幸せなひとときを過ごしました。


5月 4日() 走行距離 103.4km 総走行距離 59589.9km
 目覚し時計とともに起床。7時過ぎです。
 窓からこぼれる光は明るく、まずまずの天気のようですね。
 朝食時間になって館内に放送が流れました。放送は昨晩の夕食時にも流れたんですが、放送始まりのチャイムが『瀬戸の花嫁』なんです。さすがのご当地ソングですね。
 朝食もなかなかに豪勢でしたよ。卵とじの澄ましは卓上の一人用コンロで自分で溶き入れるというこだわりです。火を通し過ぎない辺りで頂くのがポイントでしょうね。
 僕は普段がパン食なんで和朝食は珍しさも手伝ってか食が進みます。彼女は普段が和食ですが、そういえば西日本の宿は納豆が出ないですよね。って決めちゃってもいいんでしょうか…。また波紋が広がりそうですが(^_^)
 帰り間際に不思議なお土産を発見。「飲むヨーグルト」だとか「噛むタバコ」だとかは聞いたことがありますが、ここに売っていたのは「食べるしいたけ」…、そのままじゃん。
 部屋に戻って今日のスケジュールを確認します。今日は朝から生口島に渡ろうかと思っていたんですが、因島のパンフレットを眺めていた彼女が除虫菊を見てみたいと言ったんですね。除虫菊は因島を代表する花で、市の花にも指定されているそうです。で、開花のシーズンが5月から6月とのこと。今年は暖かかったんで既に見頃を迎えていそうな感じですよね。
 ただ、そのパンフレットからはどの辺りなのかという情報は掴めず、出発の支度をしてフロントへと下りて行きました。ここで精算をしたついでに、フロントの女性にどの辺りで除虫菊を見られるのかを聞いてみたんです。そしたら因島北部に当たる重井西港をやや過ぎた辺りに除虫菊のお花畑があるそうです。ちょうど今が見頃だそうで、先日もテレビで放映されたそうなんです。それもあってか、今日も同じような質問を受けたということですから「たくさんいらっしゃるかも知れませんね」とのこと。何でも細い農道を走っていく上に駐車場が狭いんだとか。除虫菊の人気の程はわかりませんが、ますます見たくなってきました。
 宿を出て駐車場に来てビックリ。昨日に引続きキャバリエの上には黒い斑点が…。何の実でしょうか。車を停める場所は考えましょう…。
 でも運転席側のガラスに小さな貼り紙があったんです。フロントガラスを拭かせていただきました、と。嬉しい心遣いです。これで気分よく宿を後に出来ますからね。国民宿舎のサービスに対する印象がすっかりと変わった二日間でした。
 目指す重井西港は島のほぼ反対側に当たります。公園のある山から街の中を通り、生口島へと渡る橋を過ぎて再び簡素な風景になってきました。
 因島を走っていて面白いのは看板などを見ていても村上と付く社名、店名が多いことですね。洒落たお店には「M&○」とかといった名前もあったりして、「ひょっとしたら村上さんのM?」なんてことを言いながら笑ってました。直接の子孫かどうかはわかりませんが村上水軍が栄華を誇っていた時代が偲ばれる、というところでしょうか。
 海岸沿いに走ると小さな漁港があります。それが重井西港。少し先の海岸沿いの斜面に白く輝く畑が見えてきました。あれが除虫菊のお花畑でしょう。港から少しのところにお花畑へと通じる道があるらしいんですが、見逃してしまい重井港近くまで走ってました。仕方なくターンしてゆっくりと走っていると西に向かって分岐する細い道路が見えてきました。きちんと除虫菊の文字も見えますね。でも東へ向かって走ってると見えなかったんです。それほど細い農道でした。
 キャバリエと軽トラックがすれ違うのがやっとの程の道ですから、バンなどが来ればどちらかが数百メートルをバックしなければならないような恐ろしい道です。もっとも車の乗り入れを禁止こそしていないものの、歩いて登ってねという感じのお願いはありましたから素直に従ったほうがいいかも知れませんね。
 畑を行き過ぎたところで停め、歩いて戻ります。農道を挟んで上側の斜面と下側の斜面に見事に花が開いていました。思わず見とれてましたね。
 近年では除虫菊も実用化が目的ではなく観賞用に栽培される程度になってしまったんですが、ここも同じで、近くに住んでおられる方が個人的に手入れされているんだそうです。市の花を保存しているだけに市の管理かと思ってたんですがあくまでも個人なんだとか。それもかなりのご高齢の方のようです。この広い敷地の、しかも傾斜になっている畑を手入れされているのには頭が下がります。除虫菊の一株一株が活き活きして見えますからね。
 花は黄色い部分を中心として白い花びらが囲んでおり、マーガレットのようです。除虫菊に関しての知識がほとんど無かったので、実は強い香りがするんじゃないかと思ってたんです。なんせ殺虫剤を作る原料なわけですからね。でも実際には小さな蜂が花にとまって蜜を吸ってたりしています。花に鼻を近づけてみても、せいぜいするのは菊の香りくらいですね。当たり前ですが…。
 プロらしきカメラマンが除虫菊を接写されている横でお花畑をバックに写真を撮りあいしたり、プロに負けじと接近して撮ってみたり。植物に囲まれていると心が休まって時を忘れますね。
 キャバリエに戻ってもと来た農道を帰ります。海岸線を走って今度は因島南インターから生口橋を経由して生口島北インターへ。しまなみ海道が開通して3年が経ちますが、依然として生口島内と大島内は高速道路が開通しておらず一旦一般道へと降りることを余儀なくされます。生口島を通過してしまう車は島の南側の道路を走るように案内があるんですが、島に目的のある僕たちは北側の道路を走りました。さほど大きいとはいえない島ですから、しばらく走ると反対側に近づいてきます。そこに生口島のメジャーな観光地が揃っています。例えば西の日光と呼ばれる耕三寺や平山郁夫美術館などもこの周辺です。
 港の近くまで行ったものの駐車場が無く、結局、耕三寺近くの町営駐車場に車を預けました。そこから少し歩きます。
 ここでの予定はサイクリング。しまなみ海道で二人並んでサイクリングできるのを楽しみにしてたんです。週間の天気予報では本日はあまり天候がよろしくないとのことですが、今朝からの天気はまずまずで決行する事にしました。が、自転車を貸してくれそうな施設が見つからないんです。土産物屋のお兄さんに聞いてみると、観光客の多い通りをやや外れたところにある観光案内所を教えてくれました。どのバスに乗ればいいの?という案内を受けていた中年夫婦との話のやり取りの後、ようやく相手をしていただけました。行楽シーズンだというのに女性お一人でまかなっておられるようです。
 待ちかねたように自転車を2台借りたい、というとなんと「無い」ん(レンタル中)です。ありゃ。どうしましょう…。
 「ここに戻ってこられますか?」と聞かれたんで、車がここなんで戻ってきますよと答えると、「そしたら、電動アシスト付きのが残ってるんですがどうしますか?」と。電動は乗り捨てが出来ないらしいんです。僕は数年間を自転車通勤してたんで普通のを、普段自転車に乗らない彼女は電動を、ということで承諾です。
 電動アシストの説明を聞いてしまなみのマップをもらって出発です。
 街の雰囲気を残す港までの区間を過ぎれば右手に海を眺めながらのサイクリングを楽しめるようになりました。ここに限らずしまなみ海道は尾道から今治まで、自転車道が整備されていて快適です。出発を記念して写真を撮りあったり、古びた趣のある建物を見ては停まってみたり。平坦な海岸線は電動アシストを使わずに走ります。
 沿道には柑橘類の畑が見え、甘夏やレモンの香りが周囲に漂っています。体を動かしている時に嗅ぐ柑橘系の香りは心地いいですね。
 遠くに見えていた多々羅大橋が近くに見えてきたところで、自転車道は上り坂に入りました。大きな吊橋、多々羅大橋へのアプローチのためです。下を大型船が通るため、海面からの高さが高いんですね。車なら苦も無いんですが、自転車となると意外と急坂に感じます。ここでアシストの威力発揮です。僕が乗っている三段変速の普通の自転車と比べれば楽…なんでしょうね。多分。
 長いアプローチの坂を上りきったところで間近に大きな橋が見えてきました。袂をくぐり抜ければ橋へと出ます。いよいよ多々羅大橋の通り抜けです。3年前にしまなみ海道をレンタサイクルで走ったときは大三島にキャバリエを停めて今治方面へと向かったので、この橋を自転車で渡るのは初めてなんです。もちろんのこと彼女も初めてですから二人ワクワクしながら上がりました。
 入口に自転車用の料金所があります。橋によって値段が異なるのですが、この多々羅大橋は片道100円。原付も同額で、歩行者は無料となっています。誰もいないので善意に任せている、という感じがしないでもないですがここはきちんと納めましょう。
 二人分200円を投入していよいよ海上へ。今回この橋を自転車で走ってみたかったのには意味があるんです。ここはしまなみ海道で唯一、途中に県境があるんですね。つまり、自転車で広島県から愛媛県へと走れるわけです。少なくとも3年以上前は考えられなかったシチュエーションだけに楽しみだったんです。
 心地いい風を受けながら瀬戸内海の上を走り、大三島へと渡り終える前でついに愛媛県の文字が見えてきました。自転車で四国へ。面白いじゃないですか…。
 生口島側と同じ様に大三島側も長いアプローチの坂が続きます。もちろん下りです。
 昨年のオフで集合場所となった駐車場を横目に海岸沿いの道路を北へと向かいました。目指すは島の反対側。宮浦にある大山祇神社です。しまなみに来たら是非訪れてみたいと彼女が言う神社で、この思いと僕の願いをミックスしてサイクリングにしてみたというわけです。
 途中、OPELだったかBMWだったか小さめの車を運転しているおばさん一家に「大三島神社」への道を尋ねられたんですが、大山祇(おおやまづみ)神社のことですよね?名前の訂正をせずに大山祇神社への道を案内しました。最初、聞かれた時に僕が持っているマップを広げたものだから「あれ?観光の方なんですか?」なんて聞かれたんですが、そんなに板についてたんでしょうか(笑) カゴにはレンタサイクルを示す大きなプレートがつけられてたんですが…。
 3年前、対岸の広島県にある忠海へフェリーで渡ったときに利用した盛港への分岐点となる井口港を過ぎます。ここからおそらく宮浦へは小さな峠を越えるはずです。去年のオフ会で走った道ですから…。あの時は先頭を走ってましたよね。だから後ろが気になってあんまり周囲の様子を記憶してないんです。…それが大問題でした。この三村峠、思った以上にハードです。一応もらったマップには推奨コースとして多々羅しまなみ公園から宮浦を経て盛までのコースが掲載されていますし、自転車道も設けられているんですが、僕は汗がタラタラ、彼女の顔にも疲労の色が…。ちょっと休もう、と思っても自販機もなし。どうしたものか、と考えていると下り坂に入りました。峠を越えたようです。
 苦あれば楽ありですね。今まで上った分を一気に下ります。数分間ペダルをこぐことなく走り続けました。
 楽あれば苦ありです…。帰りもありますから(笑)
 峠を越えた後も緩やかな下り坂が続き、労することなく大山祇神社に到着しました。生口島の案内所を出てから2時間弱。程よい距離で程よい疲労感ですね。帰りのことを考えなければ…。
 既に1時をまわっていてお昼を食べようかどうしようかと悩んだんですが、まずは神社へ参拝することに。境内には大きな楠が植わっています。国指定天然記念物にもなっている木で、名を「小千命(おちのみこと)御手植の楠」というのだとか。ともかく写真を撮ったりしながら御本殿の大山積大神(おおやまづみのおおかみ)に手を合わせました。
 その後、宝物館へ。ここには水軍の武将、河野通信の紺絲威鎧兜(こんいとおどしよろいかぶと)や源義経の赤絲威鎧(あかいとおどしよろい)などの国宝が展示してあります。勝ち戦を感謝して奉納したものだそうですね。
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 中でも彼女が楽しみにしていた重要文化財の紺絲裾素懸威胴丸は、見応えがありました。今まで数々の鎧冑と呼ばれるものを見てきましたが、その中でもインパクトの度合いではかなり上位に入りますね。というのも鶴姫が着用していた日本唯一の女性用鎧なんです。さすがは女性、ウェストのくびれと胸部との対比は驚異です。それにも増してこんな女の子が実際に戦っていたのかと思うと儚さというか切なさを感じますね。
 展示室を3階から2階へと降りると外の音が聞こえてきました。ザーザー鳴ってます。…雨!?
 別棟の資料館へ渡るために渡り廊下を歩くと明らかに雨が降っているのが判りました。これはマズいです。だってレンタサイクルは乗り捨てが出来ないんですから…。雨であろうと生口島まで帰らないといけないんです。大三島を離れるまでに雨が止む事を期待しつつ次の紫陽殿へ。
 ここでは先ほどの国宝館と同じく沢山の武具にお目にかかれます。というのも全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の8割がこの大三島に保存されているんだそうです。それくらい信仰されていた神社なんですね。なんせ、大山積大神は古くから信仰されていた武人の神様ですから…。
 相変わらず雨は止まないんですが、お腹はすいてきます。もう2時ですからね。
 ガイドブックに載っていた「せとうち茶屋大三島」で、鯛めしを頂きます。
 近くのテーブルで若者たちが海鮮焼きなんかを食べてるもんですから香ばしいいい匂い漂ってくるんですね。悔しいくらいに。こっちは待ってる身ですからね。
 ようやくやってきた鯛めしは、大きな鯛の身が解さずにご飯の上に乗っていて、適当に分けた鯛とご飯を一緒に頂くと絶妙ですね。このバランスのいい塩加減は見事です。
 とても美味しかったですよ。
 いつまでも雨宿りをするわけにもいかず、土産物屋で傘を買いました。安いビニール傘を探してたんですが既に売り切れたとのこと。デザイン入りの普通の傘です。僕はリュックに入っていた折り畳みの傘を差し、彼女は買った大きな傘を差し、雨の中出発です。
 とはいえ、彼女は雨の中の運転には慣れておらず行きよりもペースは落ち気味です。もっとも上り坂ですしね。にもかかわらず横を走る本州からの車は減速もせずに通り過ぎ、飛沫が降りかかります。いや、すでに服からズボンまでびしょびしょでそんなことに構う余裕すらなくなっていたんですが…。
 そんな状況の中、峠を越えて多々羅大橋までやってきました。これで行程の半分近くが終了です。
 雨の中を約2時間。何とか行きと同じくらいの時間で生口島の観光案内所、スタート地点に到着しました。受付の女性も雨が降ってきたので心配していただいていたようなんですが、無事に帰ってくることが出来て何よりです。借りる時に書いた申込書と引き換えに保証金の1,000円を返金(乗り捨ての場合は戻らないので乗り捨て料みたいなもの)してもらうんですが、その書類を入れていたリュックが雨をかぶっていて書類がもろもろになってました。かなりハードな雨でしたからね。
 「風邪をひかないようにね」と心配してくれるほどびしょ濡れになった彼女とキャバリエの待つ駐車場に戻ってきました。ヒーターを入れて暖を取ります。
 時間があれば耕三寺や平山郁夫美術館などにも行ってみたかったんですが、ちょっと遅かったですね。もっとも二人ともズボンがびしょ濡れで観光どころではなかったのは確かです。
 というわけで本日の夕食場所&宿泊場所の広島市へと向かいます。
 しまなみ海道を突っ走ってもいいんですが、フェリーに乗りたかったんです。ここ生口島の沢港から広島県三原市の須波までをおよそ20分で結ぶフェリーが就航してるんですね。数分走らせて港に着くと乗船待ちの車が列を作ってました。といっても6、7台ほどのもの。余裕で次の便に乗ることが出来そうです。列の後ろにキャバリエを停め、車検証を持って一人でチケットを買いに出ました。
 わざわざ雨の中、車検証を持って出かけたのにチケットは自動券売機。まぁ、極端にサイズが違いそうなチケットを購入していれば乗船の際にでも車検証を求められるんでしょうけどね。そばに立っていた係員のおじさんに乗れるかどうか聞いてみたんです。そしたら時計を見て「6時のに乗れますよ」と。いや、車高がどうかということを気にしたんですが…。白キャバを指差して、「あの、後ろに停めてる分なんですけどね」って聞くと、「あぁ、乗れます乗れます」。多分、台数は問題ない、って意味でしょうね。
 もっとも、須波からフェリーが到着して幾台かを吐き出した後、乗船する時にも改札があっただけで何の注意もなしです。4cmダウンくらいではどうってことないんでしょうね。元が高いですから…。
 3年前に大三島から忠海へ渡った時はわずか20分くらいだからと車内にとどまっていたんですが、今回は同じく20分ですが降りてみました。車両甲板から船室へ階段で上がると、目の下にキャバリエが見えました。他の車両に混ざって大人しく停まっている自分のキャバがなんとなく可愛く見えました。
 船室のシートでくつろぎながらささやかな船旅を楽しみます。といっても近いですね。瀬戸内に浮かぶ島々を眺めながら話をしていると、はや目の前には本州の大地が広がって見えました。
 いつのタイミングで車両甲板に下りればいいのかなぁ、なんて考えながら階段を下りると、すでに前の車がエンジンをかけて出発してるじゃないですか…。急いで駆け寄り、乗り込んで出発させました。後ろの皆さん、すいません…。
 須波からは三原市内へと走り、2号線を広島市内へと向かいます。さすがに時間も遅いので一般道を走るつもりはなく、本郷インターから山陽道に入りました。既に日も落ちて暗いんですが、何か違うんです。暗いだけじゃなくて…。対向車のライトもよく見えなかったりしますからね。どうやらうっすらと霧がかかってるようです。このあたりはよく霧が発生するんでしょうか。そういえば3年前もこの辺りを通過したときは濃い霧に包まれていたように記憶しています。あの時は日中だったんですが数10メートル先も見えず、恐い思いをしたものです。って、夜でも恐いですよ。まぁ、安全運転なんで問題はないんですが。
 東広島市を過ぎて広島市内に入るとさすがに車の数が増えてきましたね。広島インターで降りるのがいいのか手前の広島東インターがいいのか。結局ナビ通りに東で降りて広島高速を走りました。最後の最後、市内の中心部に近づく辺りで渋滞に。が、意外にも駅前から広島城辺りにかけては渋滞もなくスムーズに走ることが出来ました。車線が多いからですかね。それとも連休のビジネス街だからということでしょうか。
 今夜の宿は広島城のすぐ近くにある「サンホテル広島」。彼女にチェックインしてもらっている間に契約駐車場に入庫して来ました。部屋に荷物を放り込んで夜の街に出発です。
 久しぶりで楽しみにしていた本場のお好み焼きを食べに行くんです。大阪の人間がお好み焼きを楽しみに広島に来るというのもどうかと思いますが、少なくとも「広島風」と呼ばれるお好み焼きは広島で食べるのが一番ですよね。
 広電白鳥線沿いに南へ歩き、八丁堀を通り過ぎて右手に見えてくるのがお好み村です。お好み焼き屋がたくさん入った雑居ビルで、その中にある「源蔵」さんが目当ての店です。
 …誰しも考えることは同じなんでしょうね。エレベータで上がると行列が出来てました。店員を囲むようにカウンターが続いていて多くの人が一度に座れるんですがそれでも並ぶんですね。昨日の尾道ラーメンといい今日のお好み焼きといい、二人して物好きですね。
 結局こちらも1時間近く待っていたでしょうか。手際よく焼きあがるお好み焼を前に、ジョッキのビールが進みます。空腹だけにキますね。それにしても広島のお好み焼の製造過程は見ているだけでも楽しいです。見ている「だけ」でいいのか、と聞かれると「いや、食べる」と答えますが、次々と焼きあがるもののうちの二つがお皿に盛られてやってきました。ついにご対面です。
 彼女よりも大きいのを頼んだはずなんですが、最後の一切れをすばやく口の中に押し込むと、珍しく彼女のお皿を見つめてねだってました。ダメですね、食い意地が張ってるってのは。
 最後の一切れの半分をもらって喜びながら食べてました。それにしても美味しいです。大阪の読売テレビのアナウンサーが残していったと思われる出演番組のステッカーが貼られていたりするのが間違いのない美味しさを現しているような気がします。
 まぁ、マスメディアが「美味しい」と言ったものに群がるのは悪いところかも知れないですが、美味しいものを食べたいという欲求は尽きないということでしょうね。
 ほんのりと赤くなった顔に涼しい風を受けながら、お好み村のビルを後にしました。


5月 5日) 走行距離 403.3km 総走行距離 59993.2km
 昨日よりはゆっくりと朝を迎え、10時頃にホテルを出ました。駐車場で精算を済ませ、向かった先が平和記念公園の近くにある駐車場です。昨日から市内のいたるところで「フラワーフェスティバルのため通行規制」という案内を見たんですが、その実態を初めて目の当たりにしました。平和大通りの両側に店が出て、まるでお祭りです。…フェスティバルってお祭りですよね。
 そのためか近くの駐車場もいっぱいです。が、偶然にも出ていく車があったので、そこに駐車することが出来ました。
 しかし、こんなにも人が多い平和記念公園は初めてです。公園の周囲には出店が並び、公園では地元の家族連れ、旅行客たちが入り交ざってます。さすがにフラワーフェスティバルと呼ぶに相応しく、可愛い花の鉢植えでタワーが作られてました。その奥には噴水があり、さらに奥には原爆ドームが見えています。そう、間違いなく広島なのです。
 碑の前で祈りをささげた後、ドームへ向かって歩き出しました。
 千羽鶴が掲げられたエリアがあります。日本各地の学校の生徒たちが一生懸命折ったと折鶴と平和への呼びかけの寄せ書きが印象的ですね。中にはアメリカの学校からのものもありました。平和のシンボルマークが描かれたイラストはいかにもアメリカンですが平和への思いは同じということでしょうね。
 川を挟んでドームを眺めます。その川にかかるのがT字型の相生橋です。原爆投下の目標にされたとも言われています。この橋の上から眺める広島の街は立派に現代の都会として復興しています。いや、復興という言葉すら似つかわしくないくらいに普通の街に見えます。それだけに、横に目をやった時に見える原爆ドームには大きな衝撃を覚えます。崩れ落ちた瓦礫に、飴のように曲がった鉄骨。この一画だけが時を止められたかのように感じます。未来の人々に歴史を伝えるのは大事なことです。ですが、このドームの状態をいつまで保存できるんでしょうか。補修してしまっては意味がなく、自然に任せて崩れてしまっても意味がないんです。この象徴的な建物がなくなっても平和を維持できる世の中であって欲しいものです。
 シンボリックな建物を前にした芝生の上で、誰かがやった餌をかわいい仔猫が食べてました。動物に罪はないといいますが、人間の愚かさをこの仔猫はどう見てるんでしょうね。
 公園をくるっと一回りして、ゲート近くに戻ってきました。昨日の雨が信じられないくらいに晴れ渡っていてます。
 のどが渇いたのに周りに自販機がなく、屋台で売っていたぼったくり価格のペットボトルでのどの渇きを癒した後、平和記念資料館へと入りました。
 ここは、…そうですね。何度見ても、考えること、考え付くこと、何をすべきか、何が出来るのか、等々を深く考えることができます。かなり密度の濃い時間を過ごせるでしょうね。中では僕も彼女も資料、展示物に釘付けで感想なんかは語り合ってはないんですが、思うところは同じはずです。
 前回と変わっていたのは最後のコーナーでしょうか。茨城県で起きたJCOの被曝事故のことなんかが紹介されていました。戦争とは直接関係はないものの、生活の身近なところにこうした脅威があるというのも覚えておかなければならない事でしょうね。
 貴重な2時間を過ごして資料館の出口を出ました。外は大勢の人がフェスティバルを楽しんでます。世界レベルで考えると平和とはいえないかもしれませんが、少なくとも広島のこの一画は平和だなぁ、って思いましたね。平和だからこそこうして二人で旅行が出来るのかもね、なんて思いながらちょっと強めに彼女の手を握ってみました。
 さて、お次は宮島、厳島神社です。
 国道2号線を西へと走り、宮島口を目指します。ところがナビを見ると宮島の周辺が大渋滞です。2号線とバイパスが合流するあたりから宮島口駅周辺まで、見事につながってます。反対車線も宮島口までが大渋滞ですね。要は向かう人が多すぎるということです。さすがは日本三景の一つ、ですね。
 2号線で順調に近づけるところまで近づき、バイパスとの合流点付近からナビを見ながら裏道を走ってみました。地元の人には有名な抜け道なのか、住宅地を通る道路が見事に空いていて渋滞知らずで駅の北側にやってきました。
 ここに隠れ駐車場があったはず…。でも意外にも満車でした。しかし、今日は記念公園についでここでも助けられましたね。ちょうど1台の車が出て行くところでした。出て行ったところを素早くGETです。
 その駐車場から歩いて数分のところに宮島口の桟橋があります。「今からすぐに宮島に行っちゃうの?」と聞いた目の先にはあなご飯の看板が…。そのまま看板に引かれるようにお店に入りました。昼食時を外した2時ごろだったんですが、テーブルは埋まってます。結構有名なお店なんでしょうかね。お土産物を扱うショッピングセンターの中にある割には雰囲気がいいんですが、窓の外は土産物店の店内だけにやや興醒めのところがあります。場所が場所だけに仕方のないところでしょうけどね。
 時間があったので遠めに土産物を眺めていると、もみじの形をした被り物をかぶったキティちゃんが並んでました。…もはやなんでもありです。北海道でもマリモキティとか、クリオネキティとかいましたからね。
 運ばれてきたあなご飯は香ばしくいい具合に焼けたあなごがご飯にかかったタレと絡んでとても美味しかったです。…ご飯の層がもう少し厚かったらなぁ、ってのは僕だけでしょうね。(笑)
 宮島口と宮島の間は松大観光フェリーとJR西日本がフェリーを運航しています。松大観光で切符を買おうとしていた彼女を制してJR西日本側に誘導してしまったのには特に理由もないんですが、鉄道好きの現れでしょうか。
 桟橋詰めのJR社員は一般の駅員と同じく白系統の夏服を着用し、国鉄時代から続く「連絡船」の面影を偲ばせます。宇高連絡船や青函連絡船がなくなった今、唯一JRの連絡船として残っているのがこの宮島航路で、対岸の宮島桟橋も「駅」として駅数にカウントされたりもします。
 あんまり喋ってると彼女にも「それがどうしたの?」とか言われそうなのでこれぐらいにしておいて、乗船を待ちましょう。
 松大観光とJRをあわせると、それこそ数隻が常に動いているというくらいに頻繁に出航しています。それでも出る便ごとに多くの観光客が乗るんですから、名所といわれる所以ですね。
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 車両の乗り込み口から乗り込み、階段で客室へと上がります。進行方向に向かって右側の席に座って出航を待ちます。デッキにある外側を向いたシートに座ったのには訳があります。海側から大鳥居が拝めるからなんですね。
 出航して数分、大きな鳥居が近づいてきました。対岸の神社側からもフラッシュが光ります。鳥居とフェリーの構図がいいのかも知れませんね。
 宮島口で購入した宮島までの往復切符は、JR西日本の下地模様が入ったごく普通の券売機で売っているものなんですが、ちょうど真ん中にミシン目が入ってるんです。桟橋を降りて改札口で半分に切り取られました。こんなに小さくなった切符は初めてです。無くしそうなんで財布にしまっておきました。
 宮島に上陸してまず目に付くのが鹿。周辺のお土産物やさんにも鹿のぬいぐるみが並んでますね…、ってあれ?これ、奈良で見たような…(笑)
 伊勢の二見浦で感じたのと同じような昔ながらの観光地の雰囲気を味わいながら参道を歩きます。神社の目の前に桟橋を作れば便利だったんじゃないのかなぁ、と思ったんですが、そんなことをすれば宿や土産物屋から反発が来るんでしょうね。どの神社も乗り物を降りてから歩かされるのはそんな理由があるのかな、と思ってみたり。ちょっとばかり、ユニバーサルスタジオジャパンとJR西日本のユニバーサルシティ駅の関係を思い出してみました。いや、そこまで商魂はないんでしょうかね…。
 撮影ポイントと呼ばれるところは、すぐに判ります。休みの日なら人が群がってますから。待ってまで撮るべきかその必要がないのかは悩むところですが、気にはなります。ここの撮影ポイントは鳥居がよく見えるところ。若干斜めから、というのがいいんでしょうね。
 厳島神社に到着し、中へ入ります。軋む床の上を歩き、本殿に手を合わせました。
 海に迫り出した回廊部分には能楽を奉納する舞台があったりと興味深いのですが、みんなが群がるのはやっぱり鳥居のよく見える場所。撮影ポイントです。
 写真を撮ったり撮られたり。相変わらず日本人は写真好きです。僕も彼女も…。
 廊下を歩いていくとそのまま外に出ます。あれ?入るときは参拝料がいるのに出口はノーチェック? 道理で神社内のいたるところに「参拝は一方通行で」と書かれている訳ですね。
 出口の近くに宝物館があったので中に入ります。国宝の「平家納経」があったりと平家一門が一族の繁栄を祈願して奉納したものを中心に展示されています。
 宝物館を出ると、道路を歩かずに海岸に下りてみました。海草が打ち上げられた海岸も、満潮時には無くなります。神社が海に浮かぶように見えるわけですからね。今はまだ海岸を歩けます。カメラを片手に歩いていると若いお兄さんに「撮りましょうか」と声をかけられたんです。で、お願いしたら「撮ってもらえますか?」と。いいですよと言うと、どこにいたのか奥さんと赤ちゃんが出てきたんです。家族旅行だったんですね。シャッターを押すと左手に違和感が…。うゎ、何か出てきた…。最近流行りのインスタントカメラですね。こんなことで驚いてちゃぁ情けないです。
 満ちかけの海岸から道路に戻り、桟橋へと歩きました。
 やって来たフェリーからは多くの観光客が降り、また、多くの観光客が帰るために乗船しました。帰りの船では車両甲板に留まり、低い位置から海を眺めます。デッキにもたれかかりながら去り行く宮島を見送りました。
 宮島口のショッピングセンターでお土産のもみじ饅頭を購入し、お土産の入ったビニール袋をブラブラさせながら二人して駐車場に向かって歩きます。いよいよ旅も終わりです。
 キャバリエに乗り込み、来た道を引き返して広島市内へと続くバイパスに入りました。ちょうど夕刻のラッシュと重なったのか広島駅に到着したの時には東京駅へ向かう夜行バスが出発する1時間前の6時をわずかに過ぎてました。
 新幹線ホームの上にある屋上駐車場に停め、下へと降ります。7時出発では夕食時間が中途半端なんですが、食べずに乗ると夜に困るだろうと喫茶店に入ります。軽くホットドッグを食べて夜に備えました。
 新幹線口の前にあるバスロータリーにJRのハイウェイバスが4台連なってやってきました。行先表示幕には「東京駅」とあります。それを確認して喫茶店を出ました。
 夜行バスで12時間、やっぱり東京と広島は遠いんですよね。
 意外にも僕と同じように、乗り込む人を見送る人々が結構いらっしゃいます。もっとも、見送る人の大半が地元の方でしょうが…。大阪の人間が広島発東京行きのバスを見送るのもおかしな話ではあります。
 ドアから乗り込む彼女の後姿を目で追ってました。ちょうど一年前の今日は18時15分に松江駅を出る東京行きの寝台特急「出雲」を見送ったよなぁ、なんて思い出しながら…。
 席に着いて窓に映った彼女に手を振っている間に、バスは出発しました。遠くはなれた東京を目指して。
 
 さて、僕も帰りましょうか…。
 一気に高速を走りゃ、4時間ほどで帰られるのかな?なんてことも考えたんですが、行動は相変わらずです。広島駅から彷徨いつつも2号線に出て、後はひたすら走り続けます。
 広島市内で道の選択を間違ったのと、八本松辺りで渋滞があったのとでペースはやや遅いかな?という感じなんですが、バイパスで尾道や三原市内をショートカットしてほぼ予想通りの時間に岡山県に到達です。
 途中で1回給油のために休憩したものの、なぜかその後は快調に走り続けました。眠気を感じたのは兵庫県に入った辺りでしたかね。上郡市内でどうしようもなく眠たくなったんでコンビニの駐車場に入りました。で、お菓子とジュースを購入。
 揚げ菓子をポリポリ食べてると眠気も去り、一気に走ります。竜野からは行きと同じルートで神戸市内へ。第二神明道路で表示されていた渋滞案内によると山陽道は宝塚を先頭に23kmの渋滞だとか。この渋滞がいつから始まってるのかは判りませんが、ひょっとしたら彼女を乗せたバスも見事にはまってたかも知れないですね(…翌日聞いた話では、やっぱり渋滞につかまってたそうです)。
 西宮の鳴尾浜から阪神高速湾岸線に入りラストスパート。自宅最寄の中野ランプで高速を降りたのは2時半を過ぎようかという頃でした。
 
 今回も足掛け五日間に渡る大旅行でしたね。厳島神社、大山祇神社等に垣間見る神代の昔から、村上水軍の室町、戦国時代、原爆ドームの第二次大戦、そして海を越えてしまなみ海道を開通させた現代と、今回の旅行も歴史を感じさせるに十分な内容でした。歴史を駆け巡った、と言えるでしょうかね。そう、時をかける少女のように…。


5月 1日(水) 走行距離 16.8km 総走行距離 59168.0km
 ついに5月ですね。もう2002年も4分の1が過ぎたかと思うと月日の流れがますます速くなっているように感じます。なんたって後1週間ですからね。サーティーズ仲間入りまで…。

 今日は父が4日からゴルフをプレーしに行くためにキャディバッグを宅急便で送るのを手伝ってきました。近所の取扱店がゴールデンウィークの為にお休みだったんで営業所まで持って行ったんです。営業所への持ちこみということで往復で200円ほど安くなったんだそうです。
 その後は郵便局へ寄って今日は終わり。
 昼からは昨日借りたビデオを見てました。

 昨年同様、今年も明日から遊びに行きます。とは言っても出発は昼過ぎですね。場所は…鳥取砂丘じゃありませんよ。まぁ、砂丘から近いところではありますが… ^_^;
 というわけで、5月5日までホームページの更新&メールチェックはできませんのでよろしくお願いします。


2002年4月まで