(番外編:2003年夏・インドネシア/バリ)

長い文章ですので、常時接続でない方は一旦接続を切られた方がよろしいかと思います。


プロローグ 出国まで
 
 アンコール・ワットの遺跡群を目の当たりにし、歴史を肌で感じてからおよそ1年。
 今年も夏休みを利用した旅に出ました。目指すはインドネシア。
 この国にもボロブドゥールという立派な遺跡があります。
 ボロブドゥールはカンボジアのアンコール・ワット、ミャンマーのバガンとともに世界の三大仏教遺跡に数えられる遺跡で、単体の仏教遺跡としては世界最大のものです。
 というわけで、仏教遺跡にとりつかれたように、インドネシアへの旅行が決定しました。
 
 あっ、でも誤解の無きよう。今回はボロブドゥールの遺跡がメインではなく、世界有数のリゾート地、バリ島がメインなんです。そういう意味では、遺跡一色だった去年の旅行とはカラーが違いますよね。とはいえ、遺跡が有ろうが無かろうが、楽しい旅行になるのは間違いないはずです。
 
 …が。
 イラク戦争の影響もあり、全人口の9割近くがイスラム信者というインドネシアは(米国側についた日本人にとって)非常に恐ろしい国へと変わってしまったんですね。現に首都ジャカルタでは爆弾によるテロがあったり、北部のスマトラ島でも不穏な動きがあったりと、若干の躊躇いも感じつつ、出発の日を迎えました。
 
 では、簡単にスケジュールの確認をしておきましょう。

8月24日(日) 関西空港 11:00(GA883)16:45 デンパサール空港 (送迎車) ウブド PakirBungalows 泊
8月25日(月) ウブド滞在 PakirBungalows 泊
8月26日(火) ウブド滞在 PakirBungalows 泊
8月27日(水) ウブド (タクシー) デンパサール空港 18:40(GA247)18:50 ジョグジャカルタ空港 (タクシー) ボロブドゥール Manohara Hotel 泊
8月28日(木) ボロブドゥール・プランバナン観光 Hotel Santika Jogja 泊
8月29日(金) ジョグジャカルタ空港 7:00(GA240)9:10 デンパサール空港 (タクシー) ウブド Waka Di Ume Resort 泊
8月30日(土) ウブド (タクシー) デンパサール空港 (翌)0:25(GA882) 機中泊
8月31日(日) 8:00 関西空港  

 ※GA = ガルーダ・インドネシア航空
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こんなところに、ちょっと宣伝を。
「るるぶ 伊豆'03〜'04」に引き続き、「るるぶ 大阪'04」にも彼女のイラストが掲載されました。

P16〜19が該当ページです。ぜひ、ご覧下さい。
 


 というわけで、今回も彼女には大阪へと来てもらいます。バンコクでもそうだったんですが、成田発着よりもかなり安いんですよね。
 このスケジュールでの、もうひとつの注目点はバリ島からジョグジャカルタへの往復に飛行機を利用することでしょうか。しかも日本からの往復を含めて全てガルーダ・インドネシア航空。福岡でのオーバーラン事故以来、なんとなくマイナスイメージが付きまとってしまってますが、あの事故が起きたのも1996年。既に7年前の話です(それ以来、ガルーダで死亡事故が起こっていないかのと言われると、そうじゃないところがツラいんですが…)。
 バリからジョグジャカルタへの直行便はガルーダしかないんですが、日本からバリへもガルーダを利用することで、バリではストップオーバー扱いとなり、手数料1万円の追加でバリからジョグジャカルタへの往復が出来るんです。JALだと、バリからジョグジャカルタは完全に別料金となりますから、ガルーダで行くメリットは意外と大きいんです。
 
 本当はウブドで連泊して、ジョグジャカルタを後ろに詰めた方がスッキリするんですが、そうできない理由があったんです。
 その理由こそが、今回のインドネシア旅行の最大の目的、舞踊の鑑賞だったんです。
 
 …とはいえ、僕自身、舞踊に関しては全くの素人で、このあたりのスケジュールはほとんど彼女任せになってしまったんですが、ともかく、火曜日・金曜日は「絶対に」ウブドで行われる踊りを見たい、ということだったんです。必須ということらしくて…。
 関空からのガルーダは往路復路とも日曜日・水曜日の週2便しかなく、都合、バリの真ん中にジョグジャカルタを持ってくるしかなかった、ということなんです。
 
 ともかく、今回の旅行の目的は次の通り。
ウブドでの舞踊鑑賞
ウブドのアート鑑賞
ボロブドゥール+プランバナンの遺跡見学
ジョグジャカルタの街歩き
Waka Di Ume Resort を満喫

 各詳細は文章中に記載するとして、さっそく出かけましょう。待ち合わせは去年と同じく、大阪ミナミの難波にあるUFJ銀行前。時間はちょっぴり早めの7時40分です。


 8月24日(日) 第1日目 赤道を越えて(大阪・関西空港→バリ・デンパサール空港→ウブド)
 
 新宿からの夜行バスで梅田に到着する彼女を迎えるため、約束の時刻より20分ほど早めの到着。今回も黒い大きなリュックを担ぎ、半袖ブラウスに黒いジーパン、黒いスニーカーというバックパッカースタイルでの出発です。
 シャッターの閉まった銀行の前で、リュックを担いだままながらもしゃがみ込んで街行く人を眺めていると、はや東南アジアの若者の雰囲気を味わえました。
 平日なら行き交う人も多いんでしょうが、日曜日ゆえ、閑散とした南海難波駅前に異彩を放つスタイルの女性がこちらに向かって歩いてくるのが目に入ってきました。
 涼しげなブラウスに緑色の大きなリュックを背負い、大き目のポーチを肩に下げて、夜行バスのためかやや眠たそうな顔をした彼女と、無事に合流です。
 
 離陸2時間前の9時に関西空港に到着するには8時00分発の特急ラピートに乗らなければならず、ゆっくりと朝食を取る時間もないので駅構内にあるパン屋で焼きたてのパンを購入。
 パン屋の袋を携えて南海なんば駅のコンコースへ。購入したチケットは「ラピート得ダネ往復券」というラピートの往復割引券です。8日間有効のため、期限ギリギリなんですが、駅係員に「31日よりも伸びることはありませんか?」と聞かれたものの、「えぇ、今のところは…」と答えるしかないですよね。予定は未定ですから(笑)。とはいえ、31日にガルーダが飛ばなければ、職場でとんでもない災難が降りかかってくるはずです。なんせ、帰国3日後からは再び名古屋出張なんですから…。
 
 8時ちょうどに、青い車体を滑らせるように「ラピートα3号」は関西空港に向けて発車しました。
 海外旅行に浮かれ気味に、いや、浮かれ過ぎになっているのを彼女に諌められたものの、やはり心は浮つきますよね。今年は既に冬の北海道や夏先取りの沖縄を飛行機で旅行をしているというものの、海外旅行は格が違います。
 
 パンを頬張りながらバリでのスケジュールの話に花を咲かせていると、関西空港も間近に迫ってました。泉佐野を過ぎて右に大きく弧を描くと、関空連絡橋に滑り込みます。橋を渡り終えればそこはもう関西空港。難波を出てから30分ほどで到着です。
 
 4階にある国際線出発ロビーでH.I.S.の文字を見つけ、航空券の引き換えをします。今回もまた1人で4枚。パスポートを片手に全て英語のチケットを手にすると、海外旅行をするという実感が募って来ます。
 その足でガルーダ・インドネシア航空のカウンターへ。
 行き先がリゾート地のバリ島ということもあって、搭乗手続きの順番を待つ人々もなんとなくおしゃれに感じます。
 彼女曰くは「…みんなスーツケースだよね」。
 …えぇ、そうですね。ビーチリゾートを満喫しに行く若い女性たちから見れば、僕たちはデンパサール空港からインドネシア東部のイリアンジャヤにでも乗り継ぎをして密林を探検するかのようなスタイルに映ってるんでしょうね(笑)。
 
 ここで、念のためにリコンファームに関しての質問を女性係員にしてみました。答えは「こちらでは出来ない」とのこと。いまやワールドワイドのオンライン時代なんですから、現地じゃなきゃリコンファームが出来ない、ってのは法制上の問題があるのかもしれませんが簡便化を望みたいですね。現地に着いたらリコンファームなんて面倒なことを忘れて、いち早く遊びたいですから。
 ともかく、出来ない以上デンパサールで何とかするしかないんで、先へと進みましょう。
 
 今年の手荷物検査は、すんなりパス。昨年の教訓から、アーミーナイフはお留守番です。
 EDカードがなくなってから3回目となる出国審査。こちらも慣れたもので、問題もなく出国手続きの完了です。
 新しくなったウィングシャトルに乗ってノースウィングに。ガルーダ883便の搭乗口へと向かいます。
 ところが、搭乗時間には早いのか乗客の姿が少ないんです。隣のグアム行きのロビーには結構な人がいるんですけどね。
 
「なんだか、少ないね」
「うん、ガルーダだから…」
 何かあったら、この返答。この返答を、お互いが何度したことか…(笑)。
 
 さすがに搭乗時刻が近付けば乗客が集まってきます。でも、見るからに平均年齢が若そう。なんといっても、まだ8月。夏休みですからね。それにしても、一見、僕が既に平均年齢よりも上に見えてしまうのはいかがなもんでしょうかね。
 で、搭乗開始。
「あれ、でも、結構年配の人もいるよ」
「だって…」
 搭乗はビジネスクラスのお客さんから…、らしいですから。
 僕たちのような、(普通の)若き社会人は日系航空会社を使うんでしょうね、きっと。
 
 見るからに東南アジア系の顔立ちをしたスチュワーデスに出迎えられて、エアバスA330の機内へ。
 シートに腰掛けて落ち着いたところで周りを見渡してみると、搭乗率は8割程度でしょうか。ところどころに空席もあります。
 離陸前のそわそわとも、うきうきともいえる感覚を楽しみながら離陸を待ちました。間もなく離陸です。
 
 滑走路が空くのを数分待った11時少し過ぎ、赤道を越えた南の楽園、バリ島へ向かってTake Offです。
 
 いつしか機体の両側共に陸地が見えなくなり、太平洋上空にやってきました。 
 予定ルートでは沖縄、フィリピン近辺の上空を通り、およそ6時間45分のフライトでバリ・デンパサール空港に到着の見込みとのこと。関空発の便ということもあり、乗客は半分以上が日本人、というか関西人で、横に座る東京人は珍しいと思うのですがそんなことはどうでも良く、ほとんどが日本人であるにもかかわらず、さすがはガルーダ、アナウンスは当たり前かのようにインドネシア語から始まります。次いで英語。それを邦訳して語るのがおそらくベテランスチュワーデスなんでしょうかね、見事な棒読み日本語です(笑)。
 この抑揚の無さは、去年、父が購入したパソコンに付属していたテキストファイル読み上げソフトとほぼ同一といってもよく、思わず彼女の顔を見ましたね。そしたら
「ガルーダだから…」
 と。はい、諦めましょう。
 かように、日本人スチュワーデスは乗務してません。
 
 日本時間の12時過ぎ、昼食時間となります。
「Beef or UNAGI?」と聞こえたんですが、僕たちは、そのウナギの方を選びました。
 メニューはウナギごはん(鰻丼ではありません。ご飯に錦糸玉子やグリーンピースがまぶしてあり、その上にウナギの切り身が散らばり、紅生姜が添えてあります)、それに茶蕎麦とサラダ、レーズンサンドです。
 蕎麦は去年乗ったタイ国際航空と同じく、めんつゆと練りわさび、刻みネギが添えられた本格派です。
 味はウナギを含めて機内食としてはほどほどに美味しかったように思います。もっとも僕は大概のものを「美味しい」と思う病気のようなんですが…(笑)
 
 外の景色は一面の空。映画の上映にあわせてシェードが閉められたこともあり、おやすみタイムです。
 今回もまた夜行バスでやって来てくれた彼女が、既にウトウトとしていたこともあって僕も目を閉じました。 

機内よりロンボク島を望む

 目を覚ましたのは赤道を越える手前だったでしょうか。
 到着1時間半ほど前に軽食が配られます。それに合わせるように目覚めました。
「サンドイッチ or オニギリ…」
 僕はサンドを、そしてたまたま席を外していた米食派の彼女のためにオニギリをもらいます。
 サンドイッチは、クロワッサンを二つに切り、レタスやハムを挟んでラップしたものなんですが、オニギリはコンビニで売ってるような引っ張るタイプのものです。
 
 おにぎりを頬張る彼女は、今回が初の南半球への旅行となります。僕はかつて、オーストラリアとバリに行ってるんで、(つまり僕はバリ島は2度目なんですね)南半球は3度目です。
 その彼女にとっての記念すべき赤道越え。地球儀のように赤い線は描かれてませんでしたが、カリマンタン島の沖を飛行してますので、既にインドネシア領に入ってます。もちろん、国境の線も見えませんでしたけどね。
 
 バリ島に近付いてきました。デンパサールの空港へは島の東側から、島に沿って時計回りに飛行するようで、左側に座る僕たちの目にはバリの島は映りません。代わりに見えるのがロンボク島。雲を突き抜けて聳える山は3700mを超えるリンジャニ山でしょうか。バリ島一の巨峰アグン山が3142mですから、さらに600mほど高いようです。
 
 そうこうしているうちに機体は高度を下げ、左手にヌサ・ドゥア、ブノアのビーチを眺めながらデンパサール空港(正式名称ングラ・ライ国際空港)に到着しました。
 
 …でも、天気悪いよ。
 滑走路から駐機場までの移動の間、窓ガラスを雨が叩き始めました。結果的にスコールのようなものだったようで、すぐに止んだんですが、何だかなぁ、って感じです。バリ島は今、乾季で月間平均降水量が数十mmの時期ですから、雨なんか降らないんじゃないかと思ってましたからね。
 
 日本人観光客に混じって(って、僕たちも“一応”日本人観光客ではあるんですが…)、入国審査を受けます。
 税関を通り、到着ロビーで両替をします。いくつかの業者から声をかけられるんですが、レートは変わらないでしょうね。呼び込みが積極的ではなかったブースで日本円からインドネシアルピアに両替。5,000円で342,500ルピア(以下Rp.)。いきなり大金持ちの気分です(笑)。
 
 空港の建物から外に出ると、各旅行会社の現地ガイドがプレートを持って呼び込みをしてますが、その中に僕の名前を書いた画用紙を持ったインドネシア人男性を発見。彼が、今晩から3泊お世話になるPakir Bungalowsのオーナー、I Nyoman Darsanaさんです。彼の横には奥さんとお子さんの姿が見えました。奥さんは日本人なんですが、今回、宿泊の手配を全て「日本語で」のメールのやり取りだけで済ませることが出来たのは、この奥さん、橋本さつきさんのおかげです。
 
 で、いきなり「日本語で」注文を。
「すいません、さっそくでアレなんですが、リコンファームをしたいんですけど…」
「あぁ、どうぞ」
 と、リコンファームが出来る場所を一緒に探してくれました。
 途中のインフォメーションで場所を確認してくれたりと、いきなりお手数をかけてしまいましたが、教えてもらった場所は国内線ターミナルにありました。てっきり国際線出発ロビー内にあるのかと思ってましたから、二人だけなら迷ってたでしょうね。
 
 建物の中に入ってリコンファームをお願いすると、女性の係員はパスポートと航空券をチェックした後、「どこに泊まるのか」を聞いてきたんです。どういう意味かわからずに二人であたふたしてると、「もう結構です」って感じで返してくれました。
 ところで、このリコンファームって、帰国便に関するものだったんでしょうか、それともジョグジャカルタ往復分? どちらにしても「OK」と言ってくれたんだから、リコンファームはOKだ、ってことでしょう。何か言われたら、デンパサールの係員がOKって言った、と突っぱねることにしましょう。なんてお気楽な…(笑)
 
 ングラ・ライ国際空港の駐車場から車に乗り込みます。
 車はTOYOTA KIJANG(キジャン)。TOYOTAがインドネシア向けに、というかインドネシア国内で製造している(らしい)4WDです。ちなみにKIJANGとは、インドネシア語で「鹿」のこと。確かにリアのエンブレムには鹿の角がデザインされています。
 運転は奥さん。助手席にはご子息の「ユウちゃん」をひざに乗せたご主人が座ります。
 マニュアル車をこともなげに操る奥さんの運転で、一行は一路ウブドを目指します。
 
 片側2車線の立派なバイパスを快適に走ってると、彼女が
「いい道だね」
 と。比べているのはもちろんシェムリアップ。あの街は、中心部から十数分も走れば、道がガタガタになりますから、整備の良さは桁違いです。
 
 どの辺りを走っている頃か、ご主人の携帯電話が鳴り出しました。この国でも携帯電話の普及は目覚しく、多くの人々が所有しているようです。カメラ付などもあるそうですが、買い替えはあまりしないのか、着信音は日本の数世代前と同じく単音の着メロです。
 インドネシア語で一言二言問いかけて、奥さんに電話を渡します。奥さんも
「Siapa? (誰?)」
 とか聞かれていたようですが、その後で、後ろに座っている僕たちの方を向き、
「バリ・ヒートからです」
 と、携帯を差し出されました。
 
 バリ・ヒート(BALI HEAT)は、バリ島を旅行する人を支援してくれるサイトで、無料の登録をするだけで、旅行中もいろいろと日本語での相談に乗ってくれたり、手配をしてくれたりするそうです。実際に活用するかどうかは別として、とりあえず、便利そうなんで登録をしておいたんですね。その申し込みの欄に、初日に泊まるところを記入する箇所があったんです。で、オーナーの携帯に電話がかかってきたというわけ。
 でも…。確かに「日本語で」対応はしてくれるんですが、誰が聞いても即答できるほど、非日本人です。何となく、日本人から電話があるのかと思ってましたから、違和感があります。
 挨拶の後、バリ・ヒートの現地での活用法などの案内があり、最後に
「何カ、オ困リノ事ハ、ゴザイマセンカ?」
「えーっ、と。まだ着いたばかりなんで、特には…」
 結果的に、何かあれば連絡させてもらいます、という感じで電話を終えてしまったんで、それっきりです(笑)。
 
 その電話の後に教えて頂いたんですが、実は橋本さんも、かつてバリ・ヒートの現地スタッフとして活動されていたことがあるそうです。で、その当時の裏話や苦労話を聞かせていただきました。
 
 石彫りの像が並ぶ店が見えてくれば、バトゥブランです。彫金で知られるチュルクの村もこの近くですね。
 
 空港からおよそ1時間。ウブドの村に入ってきたようです。
 今日の予定は、直接Pakir Bungalowsへ向かうのではなく、パダン・テガル集会場へと向かってもらいます。およそ1時間後の19時から、この集会場で踊りがあるんです。
 ウブドでは、毎日のように村のどこかで舞踊が演じられます。毎日同じものが演じられるのではなく、曜日によって、違う場所で、違うグループが、違う演目で魅せてくれるんです。でも、開演時刻は若干の例外を除いて午後7時前後。ですから、全てを見ようと思うと1週間の滞在でも足りないんですね。
 ウブドには舞踏鑑賞をするうえで、こんなに魅力のある村なんです。彼女が、ウブドでの滞在を希望したのにはこのような理由があったからなんです。
 
 で、今日。パダン・テガル集会場で行われるのは、トレナ・ジェンガラというグループの踊りです。演目はケチャとサンヒャン・ドゥダリ、そしてサンヒャン・ジャランです。
 集会場の前で橋本さん運転の車から下車しました。舞踊鑑賞のあと食事をして、それが済んだ時点で電話をもらえれば迎えに来ますよ、との約束を頂いて、一旦お別れです。
 
 車を降りると踊りの入場券を売るチケット屋さんが数名近付いてきます。といっても専属のスタッフではなく、一般人。でもダフ屋ではなく、誰から買っても、また正規に入口で買っても同じ価格。販売手数料がどのように配分されているのかはわかりませんが、同じ値段ということなので2枚購入。1枚50,000Rp. およそ700円です。インドネシアの物価にしては高めでしょうか。
 
 入口をくぐると、はやバリの雰囲気がムンムンです。地面の舞台の奥にはバリを象徴する割れ門があり、さらにその奥には、セットではなく天然の椰子の木が見えたりと、セットと自然の調和が絶妙です。
 舞台の手前側は客席となっていて、椅子が並べられてます。開演30分ほど前だったんですが前列は埋まっていて、後方の席に腰を下ろしました。
 で、観客は…、というと当然かのように日本人が目立ちます。白人の姿も結構見られるんですが、欧米かオーストラリアかは判らないですね。
 でも…。前に座るジャパニーズのおじさん、ちょっと邪魔です。何だか落ち着きが無くて…。ふらふら動く頭が邪魔で前が見えないよぅ。
 
 いよいよ踊りの開演です。
 ところで、ケチャってご存知ですか? 僕はバリの踊りと言って真っ先に思い浮かべるのがこのケチャです。大勢の上半身裸の男性が円陣を組んで「チャチャチャ」という掛け声と共に両手を挙げて震わせる踊りです。
 この踊りの最大の特徴はガムランの伴奏が無いということでしょうか。
 バリの舞踊の多くは独特の音階を持つガムランの、何とも言えない雰囲気を醸し出す演奏の中で演じられるんですが、その楽しみは明日以降にお預けで、今日はケチャの合唱と手拍子でのリズムに酔うとしましょう。
 
 割れ門の口から数十人、いや、百人近い男性たちが出てきました。皆が上半身裸で白黒のチェックの腰布を着けての登場です。その統率の取れた演技と掛け声が無性にゾクゾクさせてくれます。

ケチャを演じる人々と鑑賞する人々

 演じられる物語は古代インド叙事詩、ラーマーヤナからの抜粋だそうで、ラーマ王子とラワナの軍団との闘いを描いてるんだそうです。見ていながら「だそうです」もないんですが、物語として見るよりも、シータ姫らの衣装とその手足の動きに見とれていた、と言った方が正しいでしょうか。デジカメで撮影します。もっとも、僕も彼女も、基本的には演者の集中力の妨げにならないようにと、フラッシュを使わないように努めていたので、手ブレがひどくて、なかなかいい写真が撮れないんですね。ついつい良い写真を撮ろうと頑張ってしまいます。
 それが物語を物語として見られなくなった理由でもあるんでしょうかね。
 
 猿の王ハノマンも登場してきて、物語も佳境に入ります。ハノマンは去年のカンボジアではラーマ王子に忠誠を尽くす猿軍の将、ハヌマーンとして紹介してましたね。この地ではハノマン通りとしてウブドの中心部を南北に貫く大きな通りの名前にもなってます。ちなみに悪のラワナ軍団は魔王ラーヴァナと記憶してます。国によって伝承の仕方が変わってきた、ということでしょうか。
 
 猿の軍団のリーダー、スグリワがラワナの息子メガナダと戦って、ラーマ軍団がラワナ軍団を打ち破り、シータ姫が無事に救出されてクライマックスです。
 演技の終了で拍手喝采の中で全員が一旦引き上げた後、出演者全員がステージに再登場です。ここで改めて会場を包む拍手が鳴り響きました。さすがにここではフラッシュも遠慮なしですね。一斉にデジタル機器が光を放ちます。
 
 小休止の後、サンヒャン・ドゥダリが始まります。
 サンヒャンとは「聖なる神」で、ドゥダリは「天女」の意です。
 ケチャとは一転して、チェックのスカートをまとい、上半身は胸より下を覆う黄色い衣装を身に付けた女性たちが大勢出てきます。彼女たちが神々の降臨の祈りを唱和すると、前で踊るサンヒャン・ドゥダリの2人の少女が神がかり状態でダンスを舞い始めるんです。
 赤をベースにした金色の目立つ伝統衣装に華やかな冠をかぶって、トランス状態で踊り続けるんですね。
 で、祈りの合唱が終わると、少女2人は時を同じくして気絶してしまうんです。唱和によって憑いた者に踊らされていたわけですからね。でも、心配は要りません。踊りの最中に祈り続けていた僧が、聖水をかけることで正気に戻るんです。
 これが数回繰り返されます。
 
 気絶させるくらいなら、躍らせなきゃいいのに、っていうのは余計なお世話です。
 これは元々、村で災いが起こったとき、それを祓い清めるために宗教儀礼として踊られていたもののようですから。
 
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 最後は、サンヒャン・ジャランです。
 ステージの真ん中に炭が盛られ、火が点けられました。真っ暗なステージで異様に燃え盛ってます。ケチャのバックコーラス隊がそのままの衣装で登場し、円陣を組むように座ってコーラスの開始です。
 ここでトランス状態の男性が馬に跨って登場です。トランス状態といっても決して見るからに狂気ではありません。あくまでも「そういう状態」に陥っている、というのが重要らしいので。
 始めは燃える炭火の周りを走り回るんですが、炎が見えない状態に衰え出すとコーラスに合わせるように、その燻り続ける椰子の炭火を蹴散らすように中に入っていくんです。もちろん裸足で。炭は決して燃え尽きたわけではないですから、蹴散らすことで激しく火の粉が飛び散るんですね。
 これは正気じゃ出来ないでしょう。まさに神がかりです。
 
 でもまぁ、何というんでしょうか。「馬に跨る」とは言え、馬の頭は立派な馬の形をしているものの、跨る部分は細い骨組みだけで、尾の部分はふさふさとした飾りになってるんです。ですから、どう見ても頭だけ立派に、いや、言葉を悪くして言えば、演じる男性の腰の部分から立派な頭が出ているような…。なんだか、20年近く前に流行った志村けんの白鳥ダンスを思い出せます。いや、神聖な踊りにそんなことを言っちゃいけませんよ。そう思った方は、心にそっと仕舞っておきましょう(笑)。
 
 こちらも火の粉を撒き散らした後、失神状態になり、僧の聖水で正気に戻りました。
 
 これで本日の演目は全て終了です。
 終了後、馬に跨っていた男性が客席に向かって足を投げ出すように座ってたんですが、その足の裏が真っ黒になっているのが印象的でした。
 
 会場を後に、レストランへと向かいます。
 初めてのバリ舞踊を見終えて興奮状態で歩きながらも、
「(ドゥダリの)あの子たち、ホントにトランスしてたのかね」と。
「演技でしょ?」
 と醒めた答えを返しつつも、
「でも、可愛かったよねぇ」
 とは、共通の感想です。
 
 電灯が少なく暗めのデウィ・シタ・トゥマック通りを西へと歩き、モンキー・フォレスト通りを南へと下ります。
 左手に見えてきたのが「ベベ・ブンギルII (bebek bengil 2)」という名のお店です。ベベとはインドネシア語のアヒルのことですから、ジャンルはダック料理店になります。
 ウブドに向かう途中の車内で橋本さんが、この姉妹店の「ベベ・ブンギル」を紹介してくれて、近い方の「II」に来たというわけです。が、照明も点いて営業時間中のはずなのに、客は誰一人としていないんです。
 このお店は大概のガイドブックに載る有名店なんですが、客がいなくて引き気味の僕たちをバリスタイルのウェイトレスが迎えてくれました。
 注文したのは代表料理のクリスピー・ダックとその他数点。
 もちろん、ビンタンビアでの乾杯から始まります。
 
 やってきたクリスピー・ダックは、頭こそ無いものの「え?丸ごとだったの?」という感じで、かなりの食べ応えです。2人でムシャムシャ。最初はフォークとナイフで身を骨から分けてたんですが、気が付けば右手で手づかみ。もも肉にかぶり付いてました(笑)。
 パリパリの皮とジューシーなお肉が美味しかったですよ。
 他に頼んだ料理は小エビをガーリックベースの甘辛いソースで味付けしたものをライスの上にかけたもの。それにトマトのクリームスープ。エビは甘辛いと言いながらもかなりの辛さで、ご飯が進みます。
 
 ビールを飲み干し、僕も彼女も満腹になったところで精算です。
 ビールを含め4品で税・サービス料込みでRp.139,725(≒2,000円)。有名レストランで食事をしてこの値段ですから「安いよねぇ」なんて言ってたんですが、この食事が、今回のインドネシア旅行での最高の贅沢料理となるとは、このとき誰が予想していたでしょう(笑)
 
 公演を見たパダン・テガル集会場まで戻り、その近くにあるワルテル(Wartel)からPakir Bungalowsに電話をかけます。ワルテルとは公衆電話のようなもので、電話をかけた後で係りの人にその代金を支払うシステムです。
 「旦那さんが出たらどうするよ」なんて言いながら、かなりビクビクしながら電話をかけたんですが、幸いにも橋本さんに出てもらえました。カンボジア以来、電話での英会話にはかなりの恐怖症なんです。
 
 迎えに来て頂いた車で本日の宿泊地へと向かいます。
 少しばかり山道に入り、ウブドの中心部から5分位でしょうか、Pakir Bungalowsに到着です。
 実際には車を停めた場所から田んぼの畦道を100mほど歩くために、懐中電灯を手渡されました。補助的な意味で点けて歩きましたが、無くても大丈夫かな?という感じですね。わずかな外灯と月明かりが路面を仄かに照らしてます。
 
 用意して頂いた部屋は、二階建て一戸建ての一階部分。二階は別のお客さん用ですが、階段への入口は外にありますから全くの別環境です。
 想像していたよりも広い空間に驚きながら、一通り部屋をチェック。部屋の隅には竹製の大きなベッドがあり、天井には木製の大きなファンが回転してます。奥には大きなバスタブのあるバスルームで、トイレと洗面があります。
 それに…。玄関の外には専用の台所に通じるドアがあり、ガスコンロやシンク、冷蔵庫も完備されてます。つまりはここで長期間の滞在も出来るってことなんですね。
 
 部屋の様子にすっかりご満悦の彼女と共に外へと出ます。建物の隣に併設して専用のテラスがあり、そこには竹製のチェアとテーブルのセットが置かれています。柔らかなクッションの置かれたチェアに腰掛けると最高に贅沢な気分になってきました。
 そのテーブルで宿泊リストに名前を書きます。朝食等の説明をされた後、奥さんはご自宅の棟へと帰って行かれたんですが、僕たち2人はしばらくその場を離れられませんでしたね。旅の初日からこんなにいい気分を味わってもいいのか、という感じです。
 
 しばし時が流れるままにくつろいでから、部屋へと入りました。
 明日からは本格的なウブドの散策。楽しみです。
 

≪2日目へ続く予定≫

(2003年夏・インドネシア 1日目・終わり)

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