(番外編:2002年夏・カンボジア/アンコール・ワット)

長い文章ですので、常時接続でない方は一旦接続を切られた方がよろしいかと思います。


第二日目 アンコールの遺跡に触れて  バイヨン〜アンコール・ワット

  何で行く?
 
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 チチチチチ。日本から持参した目覚し時計が朝の合図を送っています。
 時刻は7時。カーテンを少しだけ開けてみました。爽やかな曇天です。雨季のインドシナ半島の朝は、こんなもんなんでしょうね。連日とも朝からカラッと晴れることはなく、なんとなく重く感じる雲が垂れ込めてます。おまけに涼しい…、あれ? それは勘違いですね。クーラーが付けっ放しだったようです。
 僕たちの部屋は表の通りからすれば裏手の庭に面してます。椰子の木が植わっていたり、鶏が歩き回っていたりするのは東南アジアの裏庭だなぁ、って感じです。昨日の夜は暗くて薄っすらとしか見えてなかったんですが、その大きな庭に大きな建物を建築中なんです。これが「地球の歩き方」にも載っていた「70室の増築」なんですね。だいたい、今が31室しかないのに70室も増築とは発想が違います。でも、これはボレイアンコールに限ったことではないんです。
 今、シェムリアップではホテルの建設、増築ラッシュです。オリンピック開催地などで急遽ホテルが建設されるようなこともありますが、まさにその勢いですね。オリンピックなどの一過性のイベントとは異なり、アンコール・ワットという世界遺産がバックですからどこの宿泊施設も強気なんでしょう。
 裏返せば、今までがそれだけ宿泊施設が少なかったとも言えそうですね。情勢が安定してきたこともあって、観光産業も急成長という感じがします。ホテルが増え、収容できる観光客が増えれば各航空会社も積極的に増便してくるでしょうし、ひょっとしたら日本航空あたりが直行便を出すかも知れないですよね。リゾッチャでアンコールへひとっ飛び、ってな感じで…。
 下に目をやれば、建築現場へ出勤する方々の姿が見えます。歩いて来たりバイクに乗って来たり、自転車に乗って来たり。
 でも、工事はようやく建物の形が出来てきた、という段階で、完成までにはまだまだかかりそうです。「地球の歩き方」には「2002年中に70室の…」という記述があるんですけどね。建築に関しては素人の僕の目からも、「そら無理やろぅ」と思います。
 
 そんなことを考えてると再びアラームが。スヌーズ機能が働いて、鳴動を止めても5分毎に起こしてくれます。何度目かのアラームで隣のベッドから「おはよう」の声が聞こえてきました。
 それでは、朝の支度でも始めますか。
 
 バスルームはトイレと兼用で、日本でもよく目にするユニットバスなんですが、トイレが微妙に違います。
 バスタブにシャワーがついているのは当たり前として、洋式便器のお隣にも小さなシャワーがついてるんです。日本みたいに便器からノズルが出てくるのではなく、ホースがついたシャワーです。結局のところは、滞在期間中に一度も使用しなかったんで使い心地は判らないですが、このシャワー付きトイレはシェムリアップのいたるところでお目にかかりましたから、カンボジアのスタンダードなんでしょうね。もちろん、トイレットペーパーは完備してますのでご心配なく。
 洗面台には固形石鹸、シャンプー、歯磨きセット、髭剃りなど、基本アイテムは揃ってます。でも、その横に日本では馴染みのないものが置かれてました。ポリ容器に入った「水」です。英語とクメール語の標記ですが、一部に中国語も書かれていて「純水」らしいことは判るんですが、一体何に使うの?
 彼女に聞いてみたら、
「うがいをする時に使うんでしょ? だって水道水を口に入れちゃマズいじゃん」
 なるほどね。
 そう、カンボジアでは水道水を飲む人はいません。生水を飲むのはお腹を壊す元です。というわけで、うがいにはこの水を使いましょう。うがいくらいはいいんじゃないのかなぁ、と思った僕は甘かったですね。
 
 部屋に備え付けの冷蔵庫にはビールやコーラと共に、ペットボトル入りの水が置いてあります。
 1.5Lサイズが1ドル。0.75Lサイズが0.5ドルということで、今日の観光用に0.75Lサイズのボトルを提げて行くことにしました。途中で買ってもいいんですけどね。なんとなく安心感を選びました。
 ペットボトルをリュックに詰めて、カメラやらガイドブックやらを放り込んで荷物の準備も完了です。
 腕には日焼け止めを塗り、腕とその他の露出部分には虫除けスプレーをふりかけました。
 でも、実は既に数箇所、蚊に刺されてるんです。寝ている間に。夜中に何度か不快感から目を覚まし、その都度、刺された場所が膨らんでいくのを確認してたんです。ホテルだし、閉め切ってクーラーかけてるし、大丈夫なんじゃないかなぁと思ってたんですが、やはり東南アジアの国ですね。蚊が入るところくらいいくらでもあるようです。今晩から、寝る時も虫除けスプレーは必須ですね。
 それはさておき、僕も彼女も準備が整ったところで、朝ご飯を食べに出発です。
 
 部屋の電気はドア横にある口にキーを差し込むことで点き、抜くと消えます。照明だけでなく、クーラーもテレビも、そして冷蔵庫までもが消えちゃうんです。部屋単位のブレーカーみたいなもんです。まぁ、無人の部屋でクーラーが付きっ放しなのが不経済なのは判りますが、せめて冷蔵庫くらい、チェックインからチェックアウトまで連続で付いててもらえないかなぁ、とは思いますけどね。
 ですので、生ものを買ってきても、一晩で食べきれる量にしておかないと翌日にはアウトですよ。
 
 階段を下りて1階まで来ると、ドアが二つ見えます。外へ出るドアと、フロントへ行くドアです。レストランは離れになっていて、一旦外に出ることになるんですが、そちらのドアに向かう前にフロント側のドアが開きました。
「グッモーニン」
 で出迎えてくれたのは昨日のお兄ちゃん。相変わらず朝から爽やかですね。食事に行く旨を伝えてキーを手渡します。
 
 レストランはオープンテラスというのでしょうか、屋根はあるものの二方の壁はなく、店内にはテーブルと椅子がたくさん並べられています。ウェイターとウェイトレスに席を案内されました。
 ここの朝食はコンチネンタルスタイルということなんですが、オプションは色々と選択できるようです。まずジュースはオレンジかアップルか、それとは別にコーヒーか紅茶か、また卵はオムレツかスクランブルか。こんなことをベラベラと英語で一気に喋られたんで頭がオーバーフローしてたんですが、彼女は冷静に
「オレンジジュースとコーヒーと、オムレツ」
 と返事をしてたんですね。そしたら当たり前のようにウェイターが僕の顔を見たんで、思わず、
「me too(僕も)…」
 と。なんかバカみたいですね。
 
 オレンジジュースは甘味の強い品種なのか、甘味料がたくさん入ってるのか僕好みの味です。コーヒーは食後に、という習慣はないのか、聞かれることもなく同時にやってきましたね。陶器ではなくてガラスの器で。パンはロールパンではなく、20cmほどの長さのフランスパン。バターとストロベリージャムのパックが付いてます。遅れて届けられたのがプレーンオムレツ。コンチネンタルとはいえ、量的には十分です。
 コーヒーはどこかで飲んだような味でした。ハワイだったかバリだったか、いずれにせよ熱帯系の味と香りがしたような気がします。ドリップ式じゃなくて煮出し式だったような気もします。いや、はっきり覚えてないんですが…。
 パンが食パンでもロールパンでもなく、フランスパンだったのはやはりフランス支配の影響が今でも残ってるということでしょうか。このパンだけに限らず、ちらほらとフランス文化が残っているのを目にしました。
 言葉もそうですね。日本にも英語由来の外来語がたくさんあるように、クメール語にもフランス語由来の言葉が少なからずあります。台湾などでお年寄りが日本語を不自由なく話せるように、カンボジアでもお年寄りはフランス語を話せる、ということもあるようです。
 
 食事が済み、観光へ繰り出そう、と思ったんですが、財布の中にはドル紙幣しかないんです。まぁ、着いてから両替をしていないんで当たり前と言えば当たり前なんですが、何かと不便なこともあるんじゃなかろうかと、とりあえず5ドルほどリエルに両替をお願いすべくフロントに向かったんです。女性スタッフは快く引き受けてくれたものの、すぐに用意できなかったのかどこかへ消えちゃいました。
 しばらくその場で待っていようかと思ったんですが、すぐ近くで彼女が昨日空港まで迎えにきてくれたドライバーと話をしているので、その輪に加わってみました。以下、英語です。たまに日本語が混じったりするんですけどね。

「アンコール・ワットやアンコール・トムの観光に、一日いかがですか?」
「今日は、いいです。でも、明日はバンテアイ・スレイに行きたいんで、明日はお願いしますね」
 元から、観光2日目にはバンテアイ・スレイに行く予定にしてたんです。バンテアイ・スレイはシェムリアップの中心地から40kmほど離れた所にある遺跡で、車じゃないと危険であるというような情報もあったんですね。で、2日目は車をチャーターしたいと話し合ってたんです。

「ありがとうございます。で、今日は?」
「えーっと。バイクタクシーで行くつもりなんです」
「モトバイ?」
「はい」
「うーん、あれ、危ないよ」
 ほんとに危ないのか、車に乗って欲しいから言ってるだけなのかは定かじゃないんですが、ドライバーの営業は続きます。
「モトバイって、1台1日7ドルでしょ? 二人だったら14ドル。車なら1台で20ドルだから、大して変わんないですよ」
「…」
 彼女が横目でチラチラと「値切ってよ」と催促してくるんですが、何て切り出したらいいのか判らずにモゴモゴしてたら
「15ドルでどう?」
 と彼女。強気な態度に惚れ惚れしながら思わず続きを楽しみにしてました。情けないの…。
「オゥ…、それはちょっと。ガソリン代もかかりますし…、あ、ちょっと待っててね」
 とフロントの支配人がいるらしき部屋に消えていきました。しばらくして帰ってくると
「17ドルでどうですか?」
 と。話し始めた頃は、アンコール・ワット周辺なら1日20ドル、ちょっと遠出するバンテアイ・スレイ等に行くなら40ドル、という話だったんですが、今の交渉で、近場なら17ドル、バンテアイ・スレイで30ドル、という金額を提示してきたんです。旅行出発前は、バンテアイ・スレイへのチャーターで50ドルはかかるとの話を聞いてたんで、ここでグラッと来ましたね。2日分を足しても47ドルですし。
 思わず彼女に、
「いいんじゃない?」
 と言っちゃいました。その旨を伝えてもらうと(…って、彼女は通訳じゃないっての)、
「ありがとう。それじゃ、行きますか」
 と、はや、行動開始です。
 話の途中で女性のスタッフから手渡された1000リエルの札束を財布に収め、ロビーのソファーを離れました。
 
 
  バイヨンを見上げて
 
 複数のスタッフに見送られて玄関を出ると、昨日乗ったトヨタ・カムリが停まってました。彼の車です。
 今日のコースは、大きく分けて午前中がアンコール・トム、午後がアンコール・ワット。まずは、アンコール・トムの中央に位置するバイヨンに向かいます。
 ホテルの敷地から国道6号線に出ると、またまた体がゾクゾクしてきました。
 これですこれ。バイクと自転車と車が同じ道を邪魔しあうかのように走り、いたるところでクラクションが鳴ってます。まわりの建物も大部分がクメール文字表記で、いい感じです。
 町の中心部に近づくと、もう、わけがわかんないくらい車とバイクと人がごちゃごちゃしてるんです。沿道には屋台とかの物売りやさんが出てますし、この雰囲気はどうにも伝え難いものがあります。
 
 車は信号で停車。信号機は青でも赤でも残り秒数がカウントダウンされる近代的なものです。
 そうそう、車は右側通行で、追い抜きは左側からですね。
 でも、信号を守らないで走り抜けちゃうバイクもあります。右側通行なんで、右折するバイクなどは特に多いですね。歩道に沿ってこそこそ走っちゃえば、信号無視も目立たないですから。
 それよりも何よりも。帰国日に空港の本屋で得た情報なんですが、シェムリアップの街に初めて信号機が登場したのが今年の3月、およそ半年前の出来事なんです。もちろん、首都プノンペンにはずっと以前からあったんでしょうが、これだけ交通量の多いシェムリアップで無かったというのですから驚きです。
 
 交通量の多い街中に交差点ではなくてロータリーがあるのもヨーロピアンな感じがします。もひとつ驚いたのが、「H」の標識で、道路に小高い丘が作られてるんです。乗用車も底を擦ることなく通り抜けられるほどの高さではあるんですが、最大限の徐行を強いられます。徐行は自動車もバイクも同じですね。減速せずに突っ込んだら多分大事故につながるでしょう。街の中心部から各方向への道にそれぞれ設置されてますから、ロイヤルパレスを守ることと関係があるのかもしれませんね。
 グランド・ホテル・ドゥ・アンコールのそばを右折した時に、ドライバーはホテルを指差して
「グランドホテル。高イ」
 と。ポツリポツリと日本語を織り交ぜてくれるので、僕としては助かります。英語に戻って、
「一晩で300ドルです」
 高っ。僕たちのほぼ一週間分の宿泊費じゃないですか (^_^;)
 
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 進路を北へと取り、アンコール・ワットを目指します。バイヨンはさらに先になります。
 まもなくアンコール・ワットか?というころに、ドライバーが名前を聞いてきたんですね。彼女も僕も名前だけを名乗るとドライバーも名乗ってくれました。
「私はブンニーです」
「ブンニー?」
「ブンニー。ブンニー。ブンニー」
 朗らかな笑いの中、車はチェックポイントに到着です。
 
 ここで、アンコール遺跡群に入るための入場券を購入します。車から降りると制服に身を包んだ女性係員が近づいてきました。
「コンニチワ。何日ヲ、ゴ希望デスカ?」
 当日限り有効のチケットが20ドル、3日間有効が40ドル、7日間有効のものが60ドルです。二人とも当然のように
「一週間(=one week)」
 と答えると、
「オオ、長イデスネ」
 と。まぁ、長いんでしょうね。大概の人は3日間を求めるんでしょう。それよりも、日本語で驚かれた、ってことにビックリです(笑)。
「写真をいただけますか?」
 3日、7日のチケットは本人を確認するために写真が必要なんです。これは情報を取得済みなんで、日本から用意してきた証明写真を手渡しました。用意してこなくても、その場で撮影してもらえるそうですが、用意しておいた方が処理は早いんでしょうね。
 高速道路の料金所のようなブースで、別の係員が写真を使ってパウチを作ってます。60ドルと引き換えに手渡されたのが「ONE WEEK PASS」という文字とアンコールワットの姿が描かれたチケットです。
 その時は気にしなかったんですけど、写真は入ってるものの名前はないんですよね。もっとも名前が入ったところでチェックできないですから合理的ともいえます。
 
 ブースの先で待っていてくれたブンニーさんの車に乗り込むと、すぐに別の係員がやってきて、チケットのチェックを行ないます。
 チェックポイントからは両側の建物もなくなり、静かな並木道となります。
 しばらく走ると池が見えてきました。程なく池の向こうに塔の姿が。
「うぉー、アンコール・ワット!」
 正面に近づくと、グレーのシルエットが目に入ってきますが、ここはお預け。昼からの観光です。
 池に沿ってしばらく走り、さらに走るとまもなくアンコール・トムに到着です。
 アンコール・ワットとアンコール・トムの間も、結構な距離があります。最初、アンコール・トムとアンコール・ワットの間を歩いてもいいかなぁと思っていたんですが、とても歩くのは無理そうです。そう考えると、何度もバイクタクシー(以下モトバイ)を止めるくらいなら、1日チャーターしちゃった方がいいですし、さらに言うなら二人で移動してるんですから、少々高いもののこうして車で移動できる方が楽なことは確かです。
 道端に車が停車し、後ろのドアを開けてもらいました。橋があり、欄干にはたくさんの阿修羅像が。そしてその続く先には彫刻の入った大きな石の門があります。これがアンコール・トムへの南側の入口、南大門です。
 乗用車はもちろんのこと、バスまでもがゆうに通り抜けられるほど大きな門で、ブンニーさんは門の向こうで待ってるから、と行っちゃいました。
 車から降りれば速攻で子供たちに取り囲まれます。何が始まるのかと思えば、手に手にアンコール・ワットの写真集やガイドブック、絵ハガキなんかを持ち、口々に
「エハガキ、1マイ、1ドル」
「コレ、1サツ3ドル、ヤスイ」
 と、日本語で売り込みです。こういう光景がある、ってことは知ってたので適当にあしらって先へ。
 参道と言うのでしょうか、道に沿って並んでいる神々と阿修羅は複数の顔を持つ蛇神のナーガを引っ張っているらしいんですが、長い年月の風化によって分断されてますから、ナーガらしくはなかったですね。欄干ですから、下には堀の水が流れています。堀のそばに野生なんでしょうか、馬が佇んでます。そんな写真を撮りつつ南大門に近づきます。
 南大門(あっ、ナンデムンではありませんよ、こう読んじゃうと韓国になりますから…)。門とはいえ、塔のようなスタイルで、その最上段には、四方を見据える顔が彫られています。この巨大な顔こそがアンコール遺跡群の象徴でもあると思うのですが、なんとも趣のある顔なんですね。
 車が通れるほどの門ですから、いわばトンネルみたいなもんです。車が行き交うその狭いトンネルを歩いてくぐります。ここから先がアンコール・トムです。アンコール・トムは周囲約12kmの城壁に囲まれた広大な遺跡です。トムというのがクメール語の「大きい」という意味ですから、アンコール・トムで「大きな都」となります。アンコール・ワットはそれ自体で一つの遺跡ですが、アンコール・トムはバイヨンを始めとするいくつもの遺跡の集合体、という認識でいいんでしょうか。そんな感じです。
 門の上にある石像の微笑を見ながら、待ってくれていた車に乗り込みました。
 
 真っ直ぐと北に向かって走っていくと真正面に巨大な遺跡が見えてきます。バイヨンを周回する道路に入り、真正面で止めてくれました。
「バイヨンです」
「ありがとう」
「このあたりで待ってます」
「わかりました」
 と、入口に向かおうと思った時に、何時に戻って来りゃいいんだろう、と疑問に思ったんですね。で、どういうふうに聞けばいいのかと考えつつ、言葉が出てこなかったんで腕時計を指差したら、
「2時間でも3時間でも、どうぞ」
 と。こういうルーズな時間配分はツアー旅行では出来ないんで個人旅行の特権ですよね。
 では、さっそく。
 
 土産物を売る店舗(といっても壁がテントで出来ている屋台の延長のような店)が正面に並び、僕たちのような観光客が乗用車とかモトバイとかで到着すると、いろんなところからわらわらと子供たちが集まってきます。で、当然かのようにモノを売り付けてきます。
 絵ハガキ、ガイドブック、写真集、フィルム等々。こんなのもあります。
「ツマイタイコーラ、2ホン1ダロ」
 これには注釈が必要でしょうね。「冷たいコーラ2本1ドル」ということです。
「おぉ、ホントに売ってるね」
 実は、ガイドブックに、「ツマイタイコーラ」の話が載ってたんです。どういうわけか、「ツメタイ」とは言わないんですね。これは、その後の1週間もずっと聞き続ける事になります。これまた適当にあしらって先を進みます。でも、考えてみれば2本で1ドルなんで、安いんですよね。1本60円って事ですし。ちなみに僕が日本円を米ドルに変えた日のドル買いレートは1ドルが約122円でした。
 
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 バイヨンのゲート前では制服を着た係員がチケットのチェックを行なってます。
 石段を上りテラスに立てば、目の前にはバイヨン寺院の全貌が見えます。中央に高い塔があり、全体的にゴツゴツした岩山にも見えますね。この広場からの入口が東門になります。大勢の観光客がバイヨンをバックに記念撮影。観光客には日本人はもちろんのこと、様々な人種、様々なスタイルの人がいます。なんとなく違和感があったのが、カンボジアの人々も観光旅行をしてる、ってことです。日本では「旅行」というものはポピュラーなものですから、金閣寺なんかに行けば多くの日本人観光客と、その何分の一かの外国人観光客が見られますが、このアンコールでは信仰の対象として訪れることこそすれ、観光として来ることはないんじゃないかと勝手に思ってました。それだけに、写真を撮るカンボジア人家族は微笑ましく見えましたね。

 テラスの柱、一本一本に彫刻が施されています。その中に踊るアプサラを見つけて立ち止まりました。アプサラとは「天女・天使」のことで、アプサラ・ダンスは伝統舞踏として今でも残っています。明後日くらいにアプサラ・ダンスを見られるディナーショーに行くつもりにしてますので、詳細はその時に書くことにしましょう。ここバイヨンのアプサラは両足のひざを折り曲げ、片方を腰よりも高い位置に持ってきています。腕も両肘を曲げて上へと上げてるんです。二人が対に相似形で踊る姿は優雅かつユーモラスで思わず写真に収めたくなります。
 
 東門を入り、第一回廊から第二回廊へと渡ります。バイヨンは外側に第一回廊、その内側に第二回廊があり、さらにその中に中央祠堂を擁するという構成です。第二回廊の外壁に綺麗なデバダーを見つけて、ちょっと寄り道。デバダーとは「女神」の事で、こちらはアプサラのように舞うこともなく、せいぜい腕を上げたりする程度のポーズなんですが、表情が非常に豊かです。今のように機械が発達していたわけではないですので、当然の如くデバダーの彫刻も一つ一つが手作業ですから、一つとして同じ表情のデバダーがいないんですね。同じ顔のデバダーがいないのにはこの理由と、実在の女官をモデルにしたために一人一人の顔が違うという理由もあるんだそうです。一見、似たようなデバダーでも、よく見ると違うもんです。誰が見ても「綺麗」といえるデバダーもいれば、そうでないデバダーも…。というところですね。
 外壁にはレリーフ(浮き彫り)が施されています。第二回廊外側のレリーフから見始めたんですが、行進する軍の様子等が描かれているのが目に入ってきました。この時はあんまりよくわからずに眺めてたんですが、さすがに一週間近くアンコール遺跡に浸っていると多少なりとも歴史と、レリーフに描かれる出来事の意味が判って来ましたね。
 バイヨンは12世紀に当時の統治者ジャヤヴァルマン七世によって建設された寺院ですから、既に800年以上が経過してるんですが、風雨にさらされているにしてはレリーフは綺麗に残っています。所々変色したり欠けたりと損傷が激しい個所もあるんですが、日本では平安時代末期の建築物なんですから、立派なもんです。
 
バイヨン「クメールの微笑み」 赤坂「カンボジア王国大使館壁面」
 第二回廊を一周するだけで何分かかったでしょうね。レリーフを見ながら歩くと時間を忘れます。回廊から内側に入り、中央祠堂を目指しました。急な階段があり、それを登れば中央祠堂を囲むテラスに出ます。
 ここはバイヨンで最も有名な場所でしょうね。何体もの観世音菩薩像の顔が見渡す限りに広がってるんです。これまたゾクゾクものです。その中にあって一番有名な観世音菩薩の四面仏の前に立ちました。この微笑む表情は非常にイイです。これは「クメールの微笑み」として世界中に紹介されたこともあってか、続々と観光客が押し寄せてます。でも、これ、どこかで見た覚えがある…、と思い出してみれば、赤坂にあるカンボジア王国大使館の壁に大きく浮き彫りにされていたのがこの像です。あっ、でも表情はバイヨンの方がいいと思いますよ。クメールの微笑みにしばらく見惚れてたくらいですから。
 
 中央祠堂から急な階段を下りてもう一度第二回廊をくるっと周り、第一回廊へと戻ります。
 どの辺だったでしょうかね、写真を撮ろうとしたらカメラが突然動かなくなったんです。あれ?と思って表示を見ればなんとここに来て電池切れ。僕が持っているのは普通のコンパクトカメラなんで、電池を入れ替えることなどほとんどなく、つまりは予備の電池も持ってきていないということなんですが、アンコールの観光も始まったばかりですからどこかで電池を買いたいですよね。
 今日は午後からアンコール・ワットに行くので、そこからホテルへの帰りにスーパーかどこかに寄ってもらおう、という結論に至ったんです。もっとも日本製のコンパクトカメラ用バッテリーが売られているという保証もないんで怖いところですけどね。とりあえず今日一日は、彼女のカメラで撮影を続けることにしましょう。
 そうか、なんとなくバイヨンの印象が薄いなぁ、と思ったのは気がそっちに取られちゃったからなんでしょうね。ちなみに、僕は精神分析によれば「過去のことを気にするタイプ」なんだそうです(笑)
 
 午前中はアンコール・トムの観光、という予定なんですが、時刻は既に11時過ぎだというのにまだバイヨンなんです。アンコール・トムにはバイヨン以外にバプーオン、王宮、プリア・パリライ、プラサット・スゥル・プラット等々が控えており、どう見積もっても全部を回るのは不可能です。というか、僕たち二人は観光というものにかける時間が半端じゃなく長いんです。観光だけじゃないですね。美術館や資料館、展示場などでもそう、とにかくいろんなものを吸収しようとするあまりについつい足の歩みもゆっくりになってしまうんです。みんなと同時に見終わるものといえば映画とかビデオくらいなんでしょうかね (^_^;)
 入口近くにあったテラスまで戻ったときに、大事なものを忘れているのに気付きました。第一回廊に施されたレリーフをほとんど見てないんです。でも、もうタイムアウトですね。僕は一人、どうしよう…と思ったんですけど、彼女は彼女で金曜日くらいにもう一度来るから全然心配してないとのこと。なるほどね。そのための1Weekパスなんですから…。今日はバイヨンもアンコール・ワットもダイジェスト版のようなもんらしいです。
 
 テラスから屋台の並びに近づくとブンニーさんが待ってくれているのが目に入りました。もちろん、入口からクルマまでは子供たちからのみやげ物売りの声の洪水です。
 バイヨンの東門から1km弱で次なる観光地バプーオンに到着します。
 車を降りるとすぐ右手に象のテラスがあるんですが、まずはバプーオンへ。
 入口が怪しかったんですが「BAPHUON」の文字を見つけたので中に入ります。東楼門をくぐれば目の前にはバプーオンの寺院と、そこに続く真っ直ぐの参道が見えます。何気なく歩いている石造りの参道ですが、明らかに周りよりも高い位置にあります。日本にいると歩道橋なんかもあり、高い位置を歩くことには何らの抵抗もないんですが、ふと、この時代なら凄い工事だったんだろうなぁ、と思って立ち止まってみました。まぁ、高いとはいっても2mほどのもんなんですが、手すりも何もない参道の端に近づき、身を乗り出すように下を覗きこんで見れば上端と下端に彫刻を施した円柱が参道を支えてました。この円柱に支えられた参道が約200mも続いているんですから当時は大工事だったのであろう事が想像できます。このバプーオンが造営されたのはバイヨンよりも1世紀早い11世紀の中頃。創建者はウダヤーディティヤヴァルマン一世。覚えにくい名前です…。
 
 参道横の小さな池では何が獲れるのか、網を投げ入れるおじさんの姿が見えます。
 長く続く空中参道を歩ききるとバプーオンの寺院に到着です。が、残念ながらガイドブックにも記載があった通り、修復工事中だったんです。大型のクレーンなども使った比較的大規模な修復工事で、足場が組まれたりしてます。修復工事はここに限らず、いろいろな遺跡で目にすることとなりました。それだけ、今まで放置されていた遺跡が多いということが言えるんですが、逆にそれだけ「後世に残すべきもの」として重要視され始めてきた、とも言えますよね。巨大な寝釈迦像があるという寺院の中を見れないのは残念ですが、仕方のないことでしょう。
 
 バプーオンからすぐ横にある王宮へと歩きます。ここは東西600m、南北300mの周壁に囲まれていてアンコール期を通じて王宮が置かれていたそうです。南側の小さな門から入り王宮の塔門へと続く小道を歩きます。塔門からの道と合流した辺りでしょうか、小さなワゴンでフィルムを売るお姉さんがいました。そのワゴンには、フィルムが並べられたケースと一緒にバッテリーもいくつか並べられていたんです。思わず型番を確認しましたね。そしたらコンパクトカメラに使われることが多いタイプだったのか、置いてあるのと僕のカメラのとが同じ種類のものだったんです。
 こんなところで買っちゃ高いんだろうなぁ、という思いもかすめたんですが、こんなところでよく売っててくれたなぁという思いの方が強かったんで、値段を聞いたんです。
 返事は6ドルとのこと。とりあえず「5ドルにならない?」って聞いてみたんですけど、答えは「No」。フィルムとセットなら安くしてくれそうだったんですけど、フィルムは日本からたくさん持ってきたんで、こちらが「No」。これでも安い方らしく、8ドルで売る日もあるということですから、不思議な商売です (^_^)
(帰国後、日本の小売店で調べたところ、家電量販店では720円で売られてました。ほぼ6ドルですよね)
 
 王宮内のピミアナカスに近付いた所で、さっそくカメラに電池を放りこみました。が、エラー表示が出て相変わらずシャッターが切れないんです。中のフィルムが邪魔をしてるんでしょうが、フィルムを取り替えようにも途中で巻き戻す方法も判らず、かといって強引にカバーを開けて取り出すわけにもいかず、とりあえず問題はホテルまで持ち越しとし、今日一日は彼女のカメラで…というスタイルのまま観光続行です。
 
 ピミアナカスは空中楼閣という意味を持つ寺院で、その名の通り見上げるほどの高さを持つピラミッド型の寺院です。でも、急な階段を上らないとダメなのと、肝心の頂上の回廊が立ち入り禁止とわかっていたので登るのはやめて、横の池へ向かいます。
 大きな「男池」とその横にやや小さめの「女池」というのがあります。
 ガイドブックによれば、男池の内側にレリーフがあるとの事なのでほとりまで歩いてみました。ここまで来る人は少ないのか、整備された道ではなく、今にも草が隠そうかというような道を歩いてたどり着いた池の淵は、階段状に2段に分かれていて、その上段に神々やナーガ、そして水面に近い下段には魚やワニが見事に彫られています。彫りが深く、綺麗に残ってますね。
 その帰り道、本物のナーガ…ではなく、蛇がニョロっと姿を現しました。うぉ、怖さを隠すために足早に池を離れ、ライ王のテラスへと向かうべく北門をくぐりました。
 
 ライ王のテラスへ向かう途中にこちらは本物のナーガがありました。あちこちにナーガの像が立ってます。いや、一体何が本物かよく判りませんが… (^^ゞ
 そのナーガ群を抜けると階段が二つあり、左側を上ったところがライ王のテラスです。右側は後から行く象のテラスです。
 テラスの上にはライ王の像が鎮座しています。ちょうどカンボジア人のガイドがフランス人観光客を相手にガイドをしてますのでちょっと聞き耳を立ててみました。…って、当然フランス語なんで意味はサッパリ判らないんですけどね (^_^;)
 大学時代に第二外国語でフランス語を勉強していた彼女はいくつか判る単語があったようなんですけど、僕は勉強していた中国語を聞いてもサッパリです。って、威張ることじゃないです…。
 ライ王の像はとても綺麗なんですが、それもそのはず。これはレプリカで、本物のライ王像は首都プノンペンにある国立博物館に展示されているんだそうです。
 テラスの上にはライ王像と取り囲んでいる女官像くらいで何もないので下に降ります。高さ6mほどあるテラスから階段伝いに下りるとテラスの壁一面に彫刻が施されているのが見えます。壁と壁の間に通路があるのでその中を通ると、こちらも壁一杯の彫刻が目に入ってきます。デバダーやナーガの像がびっしりと並んでいて、その中に阿修羅の姿も見えました。綺麗なデバダーもいますよ。
 
 通路に沿って歩き、ライ王のテラスと像のテラスを隔てる隙間から、今度は象のテラス側に階段を上っていきます。
 象のテラスというだけあり、象の像、というか立体的な壁画があります。実際に鼻が突き出ていて、鼻の下には花があります。ハスの花を摘んでいるとのことで、象の鼻とハスの花が引っ付いて円柱の柱のようになっています。それが3頭ですから、3本の柱のようになっています。その柱の後ろにまわって隠れ気味に写真を撮ったりしました。
 
 と、いい気分で観光を続けているように見えるんですが、実はものすごく暑いんです。すぐに喉が乾くんですね。石をベンチ代わりに座って休憩です。ホテルから持ってきた水のペットボトルもかなり減ってきました。時刻はちょうどお昼時。太陽が真上から照らしてます。雨季のカンボジアですが、朝晩は雨が降って天気が悪く感じるものの、日中はこのようにジリジリと照りつける太陽が痛いくらいですね。もともと汗かきの僕は、既にTシャツに大量の汗をしみ込ませてます。
 
 立ちあがってテラスを歩きます。テラスの上には象以外にもシンハ(獅子)像やナーガの像もあります。このテラスの面白みは、上を歩くだけでなく、側面のレリーフにもあります。ライ王のテラスもそうであったように、この象のテラスも壁面には象のレリーフが一面に広がってるんだそうです。じゃぁ、それを見に行こう、とテラスから下りる階段を下り始めたらトヨタ・カムリが近付いてきて目の前に止まりました。あれ?ブンニーさん?
 降りてきてドアを開けてくれています。
 なんかこうなっちゃったら、レリーフを見たい、とも言いづらくなりましたね。まぁ、いいか、とばかりに次へと向かうことにしました。
 
「食事をしますか?」
 ということだったんで、Yesと答えると、じゃぁレストランに行きましょう、と。
 アンコール・ワットの目の前にレストランがあるそうなんです。
 あまりの暑さに食欲もなくなりがちなんですが、車に乗りこめばクーラーも程よく効いていてホッと一息つけました。では、レストランへと向かいましょうか。
 
 
  アンコール・ワットに立つ
 
 象のテラスの前を出発した一行はバイヨンの周回道路を半周し南大門へと走ります。
 走りながら、僕の頭の中にはふとした疑問が湧いてました。このブンニーさん、どこから僕たちを見張ってたんだろう…って。だって階段から下りたら車が止まったんですからね。でも、ずーっと待ち構えてたって事もないと思います。バプーオンから入るときに、「象のテラスで待ってます」とも聞いてなかったですから。
 さほどスピードを落とすでもなく南大門の中をくぐり抜けます。ほどなく右手にはサンセット見物の名所、プノン・バケンが見えてきました。ブンニーさん曰く、夕日を見に来ましょう、ということなんですが、どうなんでしょうね。雨季はサンライズもサンセットも雲がかかりやすく、なかなか綺麗な光景が見られないと聞きますからね。
 
 プノン・バケンからもう少し南へと下ればアンコール・ワットの環濠が見えてきます。アンコール・ワットそのものも姿を現してきました。
 西参道正面にはたくさんの客待ちバイタクと屋台が並び、当然のごとく観光客もたくさんいます。その正面近くにあるのが「アーティザン・ダンコール アート・ブティック&レストラン」で、ずいぶんと洒落たお店です。この駐車場へと滑りこみました。
 アンコール・ワットの入口もすぐそばなんで、食事が終わったらそのまま観光をして、4時30分に正面で落ち合いましょう、との約束でブンニーさんとは一旦お別れです。では、食事をしましょうか。
 と、車のドアを開けたら即、子供達に囲まれました。駐車場から入口まではホンの数mなんですけどね。熱心というのか何というのか…。
 お店は名前の通り手工芸品を扱うショップを兼ねていて、入ると目の前に広がるシルクの織物や籐や竹の工芸品が目を引きます。お店の右半分がカフェ・レストランになっているのでそちらのスペースに入れば、ウェイターがテーブルまで案内してくれました。店内には西洋系の旅行者の姿がちらほらと見えます。
 ガラスの向こう側にはテラス席もあるんですが、空調の効いたテーブル席の方が今の僕にはありがたいですね。
 それほど食欲がなくなってるわけではないんですが、クメール料理がどんなものか、いまいちわかってなかったんで、とりあえず今回の昼食はサンドイッチとジュースを頼みました。彼女は僕以上に好奇心旺盛なんで、いきなりクメール料理の代表格、アモックに挑戦です。
 ほどなく運ばれてきた料理を見て、ハッとしました。サンドイッチは薄切りの食パンではなくて、フランスパンなんですね。さすがはカンボジア、なのか、さすがは西洋人経営なのか…。
 それはともかく、アモックは美味しそうです。いや、ちょっとつまみ食いをしたんですが美味しかったです。アモックとはココナッツミルクで甘酸っぱく味付けした煮魚で、ここシェムリアップではトンレサップ湖で獲れた魚が使われることが多いそうです。というか、ここは内陸部ですからね。一番近くの漁場がトンレサップ湖、ということでしょうね。
 彼女が頼んだジャスミンティーは、急須に入った熱々のを一杯に氷を詰めたグラスに注いだもので、冷たくて美味しそうです。食べている途中でウェイトレスが、「氷の追加はどうですか?」と器に氷をいっぱい入れて持ってきてくれたんですが、その後で彼女が一言、
「この氷、大丈夫なのかなぁ?」
 と。そういやあんまり気にせずに飲んでましたね、僕は。お店の雰囲気が洒落てたんで、衛生面にも気を遣ってるだろうと思い込んだのがその理由でしょうかね。
 でも、たかが氷とバカには出来ませんよ。僕が持ってきたクメール語の会話集にも、彼女が持ってきた本にも「氷を抜いてください」という意味のクメール語が載ってるくらいですから…。気になるなら口には入れない、というのが基本ですね。
 
 食事が終わり、いよいよアンコール・ワットとご対面です。
 駐車場からお店の入口までの間に付きまとっていた少年が、僕が断ってから「帰リ、帰リ」と「帰りに買ってくれ」というようなことを言ってたんで、警戒しながらレストランを出たんですが、その少年も、他の子供達も姿がありませんでした。お昼時なんですかね。
 バイタクがごった返す道路を渡って石段を上ればアンコール・ワットへの西参道です。なんかドキドキします。
 
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「コンニチワ。チケットヲ見セテ下サイ」
 入口でチケットのチェックを受けます。係員もこれだけ日本人を相手にしてれば日本語も上手くなるんでしょうか、結構流暢な会話でした。いや、会話っていってもこれだけしか聞いてないんですけどね…。
 
 足元に力が入ります。一歩一歩踏みしめながら中央祠堂へと歩み始めました。
 まずは、ナーガ像に迎えられます。ここから環濠を渡る橋となります。正面に見えるアンコール・ワットの姿に駆け寄りたいという逸る気持ちと落ち着いた神聖な気持ちを同時に感じましたね。もちろん僕も彼女もヒンドゥー教徒ではないんですが…。これがイスラムのモスクとかならどうだったでしょうね。いずれ二人で試しに行きたいと思ってます (^^ゞ
 観光客の多くは土地的に近いということもあって圧倒的に東アジアの人々が多いですね。その中でもダントツは日本人、ついで絶対的な人口の多さから中国人、ついで裕福層の韓国人、といった順番でしょうか。西洋人は…、スミマセン、あんまり見分けがつかないです…。会話の言葉から察するに米英、フランス、ドイツくらいの順番ですかね。フランス人は、ここまでの距離と国民の数を考えれば、想像以上に多いです。
 
 歩いていくと目の前からアンコール・ワット独特のシルエットの3本の塔が隠れてきます。
 何に隠されているのかというと、西塔門のある周壁なんです。
 で、数段ある石段を上れば、その門の隙間から中央祠堂が姿を見せるんです。そして、もう数歩、前に出れば3本の塔が現れます。これです。この門の額縁に姿を現すアンコール・ワットの演出法。これには感動せずにいられないです。
 誰もがそこで立ち止まり、感嘆の息を洩らします。今日、何度目かのゾクゾク感です。本日最大かもしれないですね。
 彼女と顔を見合わせ、思わずニンマリしてました。彼女も同じことを考えていたはずです。「来て良かったね」と。
 
 ここで一旦前進するのを止め、この西塔門付近の散策をします。彼女曰く、この付近に会ってみたいデバダーがいるんだとか。中央祠堂を目指して動く人々の流れに背を向けて、少し脇にそれました。
 ここで立ち止まって脇にそれる人はそれほど多くもないんですが、この外壁にもたくさんのデバダーが彫られています。綺麗系、可愛い系、カッコいい系におばさん系? まぁ、それはそれは非常に多くのタイプのデバダーがいらっしゃいますね。同じような顔をしていても、髪形が違ったり、手足の動かし方が違ったり、手に持っている小道具が違ったり。衣装の違いもあります。
 その中で僕が気になったのは、髪の毛を頭頂部から左右にずらした点でそれぞれに結び、垂らしている髪型で、何と言うのか…、誰かに似てるんです。
「あぁ、あれ、あの人。えーっと…」
 としばらく考えて出てきた一言が、
「あぁ、そうそう。セーラームーン」
 彼女の動きが一瞬止まったように見えたんですが、気のせいでしょう…。きっと。
アンコール・ワットにいたセーラームーンたち
 
 門の南側、北側ともにしばらくデバダー展覧会を眺めてたんですが、彼女が探していたデバダーにはお目にかかれませんでした。でも、ガイドブックにも「ここ」という表記ではなく、「このあたり」という程度ですので、見落としたのかな? という感じもします。でも、肝心の中央祠堂を見ずに帰るのもイヤなんで、とりあえずこの場は離れることとしました。続きは週末の再訪の時に、ですね。
 
 門をくぐってからは3本の塔を眺めつつ、観光客が写真を撮り合う中、祠堂を目指します。ここでもはやる気持ちを抑えつつ、ゆっくりと向かいました。徐々に近づく寺院全体の大きさに圧倒されてましたね。
 参道の両側には聖池が広がってきました。ハスの花が咲いてるのも見えます。
 さて、ようやく第一回廊西塔門に到着です。
 それにしても広大な寺院ですね。
 
 この門をくぐれば第一回廊へと入ります。第一回廊にはぐるりと一周、壁に大きなレリーフが残っているそうなんですが、とりあえずレリーフは後回しにして先へと進みます。きっと二人のことですから、一周で1時間はかかるでしょうから…。
 中央祠堂以外で押えておきたいポイントはいくつかあるんですが、僕が見たいのはエコーの響く間。その前に日本人の訪問記念落書き、でしょうか。
 柱に日本人が書いた文字が残されているそうなんです。といっても、もちろん最近の観光客が残したものじゃありませんよ。日本がまだ江戸時代だった頃に、日本人で始めてアンコール・ワットに足跡を残したと言われる森本右近太夫一房が書いたものなんだそうです。
 今でこそ飛行機を乗り継いで出発当日に着ける時代ですけど、当時はかなりの冒険だったんでしょうね。
 探していた二人が、ほぼ同時に
「あっ、これ?」
 と別々の柱の前で思ってました。見ればこの一帯の柱の多くに、漢字らしき文字が薄っすらと残っています。日本はこの400年ですっかり時代が変わりましたけど、ここアンコール・ワットは当時のままの姿を保ってるんですよね。どちらが凄いことなのかは判りませんが、こうして数百年の時代を超えて空間を共有できるのは意味深いことだと思います。
 もっとも、くっきりと読み取れるほどの文字が残っているのではないので、文章として読み取れるレベルではないんですが(…でも、読めたところで漢文ですよね)、しばらく歴史を感じてました。
 
 この十字回廊の北端に、僕が行ってみたかったエコーの間があります。ここは、胸をたたくとエコーが響くという不思議な空間です。でも、その入口の前にクメール人のおじいさんが座ってます。
 ブロークンな英語で、胸を叩けば響くよ、と言いい、実際に自分の胸を叩いたんですね。そしたら、何とも言えない共鳴がその空間に響いたんです。思わず、おーっ、と声をあげましたね。で、二人して自分の胸を叩きます。
 次いで、このおじいさんが「胸は鳴る、その他じゃ鳴らない」と。確かにお腹を叩いても、さっきのエコーは発生しないんです。ふーん、と思いながら身体のいろんな部分を叩いてみたんですが一番良く響くのが胸を叩いた時、なんですね。
 ここは、かつて反響の大きさによって王への忠誠の度合いを測るに使われたとか、健康の具合を調べるのに使われたとか、いろんなことが言われてますが、重く響くエコーにしばし酔いしれ、笑顔のおじいさんのもとを離れました。
 
 少し離れると未完成のアプサラを見ることができます。エコーの空間から少しだけ東に行ったあたりの柱には、下描きのアプサラがあるんですね。輪郭だけ彫られたものなどがそのまま残っていたりするあたりは、なかなかリアリティがあります。いきなり完成されたアンコール・ワットが出来上がったんではなく、やはり人間が手作業で作り出した寺院なんだということがわかります。
 なぜ途中で製作を止めてしまったのか、という理由は定かじゃないですが、現在進行形という感じがして面白くもあります。
 
 では、先に進みましょう。少し西へと歩くと第二回廊に出ます。ここを軽く一周します。
 途中に仏像が安置してあり、たいていの仏像にはお爺さんなりお婆さんなりが線香の火を絶やさずに見守られてます。微笑ましい感じはするんですが、いざ近くを通ろうとすると仏像に線香を供えるのを強要されるんで、ちょっと敬遠気味になってしまいますね。いや、宗教が違うからイヤだ、ってんじゃなくて線香は手渡されるものの、その後、お布施を強要されるんです。そこがちょっと…(^_^;)
 
 いよいよ中央祠堂へ。西側の参道から続く通路は、アルミの梯子で補強された階段を使って登れるんですがそこからは出られないようです。ここもそうなんですが、アンコール遺跡全般に修復作業が進められているのであちこちで立ち入り禁止となっていることがあります。数百年間手付かずのためにボロボロになり、近付くと危険だ、という意味もあります。
 回廊を半周ほどし、中央祠堂へと続くゲートをくぐります。こちらもパイプで足場を組み、防護ネットがかけられてますので、何もない姿を想像するのは難しいですが、危険防止のためには致し方ないところです。

中央祠堂を目指して山登り
 で、二人で中央祠堂を見上げました。「高い」。この一言に尽きます。
 この場所へ来るまでにも、石段あり、階段ありで結構登ってきてるんですが、ここから上は半端じゃなく急激に高くなってます。
 でも、階段で登れるんですよね。いや、これに登りたくてここまで来たんです。この外壁に設けられた急な階段を、観光客の皆さんがはいつくばるようにして登ってるのが見えました。
 南側の面にある階段が、唯一手すりがあって登りやすいという情報がガイドブックにかかれていたのでやって来たんですが、僕も彼女も目がテンです。彼女が一言、
「これ、登るの?」
「うん、登るよ。やめとく?」
「ううん、登る」
 このために、滑りにくいスニーカーを履いてきたんです。というか、このために買ったんです。登らないわけにはいかんでしょう。
 手すりは降りる人が優先で使うのが慣わしになっているようで、登る人は手すりなしです。登っていく彼女の後姿を撮影しようとカメラを借りて先に上がってもらいました。
 恐る恐る登っていく様子を撮ってはみたものの、急な階段っていうのが判る写真を撮るのはなかなか難しいですね。どんなにカメラの向きを変えても案外普通の階段のように見えてしまうんです。とりあえず、撮ったところで僕もカメラをリュックに仕舞って参戦です。
 途中までは順調に、スムーズに登れるんですが、途中で一回でも止まって背面の空気を感じると急に恐くなりますね。階段の踏む部分よりも高さの方がはるかに長いんです。つまりはゆうに45度を越えてるということですね。
 なんとか最上段まで登りました。観光名所でこんなにスリルが味わえるところって、少ないでしょうね。日本ならもっとたくさんの手すりが付くか、立入禁止でしょう。この危なさ…。
 振り返ってみれば今いた場所が遥か下に見えます。降りる時もこの階段かと思えばゾッとしますが、今は爽快です。
 中央祠堂を囲む回廊の各頂点に塔が立っています。この塔がアンコール・ワットの外観で見える3つの塔のうちの外側2つなんですね。あれ? じゃぁ、見える塔は5つでは? とお思いの方は理論派ですね、というか当たり前ですかね。有名な西側参道からのシルエットのように真正面から見ると左右のそれぞれの塔は重なり、都合3つの塔に見えます。
 最上階の回廊は外周と、中央祠堂を結ぶように「田」の字状になっています。もちろん、真ん中が中央塔です。ただ、中央塔の中では線香を焚くおばさん方の姿が見えますから、ちょっと近寄りがたいものがあります。
 
 というわけで、まずは、外周のデバダー探しです。ここにも綺麗なのがいるそうなんです。
 角に近いあたりにいました。とび抜けて綺麗、というほどではないですがレベルは高いですね。数人(? 人じゃないですよね、でも数体、ってのもイヤですね、何となく)の姿を拝んでから回廊を歩きます。
 ここには特徴的な窓があるんです。縦に飾った連子が入ったもので、これはここアンコール・ワットだけでなく同時代の遺跡にも共通するもので、他の遺跡でも目にすることになります。連子の向うには西側の参道が見えました。
 
 ここでちょっと休憩です。
 回廊の縁に座ります。でも、驚いたことに、周りのほとんどが日本人なんです。それも疲れきったというか、観光客らしくない風体というか…。もう、なーんにもしないよ、って感じで座り込んでるんですね。聞こえてくる話を聞けば、午前中から座ってるんだとか。…もう3時過ぎですよ。その時の僕たちには、この人たちの行動が理解できなかったですね。だって、せっかくのアンコール遺跡なんですから、時間の許す限りいろんなところを見たいですよね。
 
 一休みしたところで中央祠堂から下ります。下りも当然、急な階段ですね。
 手すりにつかまって、ゆっくりゆっくりと下りていきます。手すりがあるといえども恐いですから、横向き、もしくは後ろ向きで(階段を向いて)下りる人が圧倒的です。僕も横向きです。でも、さすがに現地ガイドさんは違いますね。急な階段を、前向きでタッタカタッと駆け下りるんです。
 先に下りて彼女が下りてくるのを待ちながらガイドさんの下りる様子を眺めてたんですが、この身軽さに感心しつつ、下りて来た彼女に
「どれくらい繰り返したら、こんなに速く下りれるのかなぁ?」
 と聞けば、
「しなくていいから」
「…」
 
 第二回廊を階段で下り、第一回廊まで戻ります。西参道門側からくるりと半時計回りに回ってみました。まずは、マハーバーラタのレリーフから。回廊のレリーフは有名ですから、ツアー客などもガイド付きで見物してます。というわけで、現地ガイドさんの話を横で聞いてみたり。もっとも、ここでは日本人客よりも欧米人のほうが多かったですから、英語のガイドの方が多かったんですけどね。中には日本人なのに英語でガイドを聞いてる人もいます。現地ツアーなどはガイドさんの話すことが出来る言語によって価格も違うんですね。英語を喋れる人の方が多いですから、日本語のガイドさんが付くツアーは概して高額になります。需要が多いですからね。
 僕たちも、出発までは現地のツアーに参加しようかとも考えていたんですが、結局のところは「地球の歩き方」を片手に個人旅行です。結果的にはガイドさんに解説してもらうのと大きな差はなかったと思いますね。ただ、やはり見落としていた点などがあったのも事実ですが…。
 猿の戦いを見ます。猿が戦ってる、というと動物園の猿山みたいですが、そうではなく、猿の神「ハヌマーン」は『ラーマーヤナ』の中ではラーマ王子に忠誠を尽くす猿軍の将として登場するそうで、そのラーマ王子率いる軍が魔王ラーヴァナと戦っているところだそうです。
 
 スールヤヴァルマン二世軍の行進を見て進みます。
 壁面のレリーフはもちろん素晴らしいんですが、回廊の壁と反対側にある柱の一本一本にも踊るアプサラ等の彫刻が施されています。ここアンコール・ワットに限ったことではないですが、一部の遺跡を除いて、何もない石の面がそのまま残っている場所は少ないんじゃないでしょうか。何かしらの彫刻が(それがデバダー、アプサラなどの形のあるものか、縄文などの幾何学的なものかはともかくとして)彫られているのは感心します。
 これも各時代の統治者の力の大きさを示してるんでしょうか。アンコール・ワットは、12世紀前半にスールヤヴァルマン二世によって造営されていますが、ヒンドゥー教の三大神の中のヴィシュヌ神を奉るための寺院という意味と共に王の権力を神格化するために作られたという意味合いもあるそうです。
 現代の民主主義の時代に「王のために忠誠を誓う」という思想がどれほど理解できるかは判りませんが、バイヨンのレリーフにもある通り、実際に王の下でクメール軍はチャンパ軍と戦ってるんですよね。王のために我が身を捨てられるかどうか、これは当時の思想的な教育次第だったんでしょう。今の日本で万が一戦争があっても第二次大戦の末期のような特攻隊に志願する人は少ないでしょうね。それだけ個人を大事にできる時代になったということでしょうか。個を尊重するのも、行き過ぎると大変なことになりますが重要なことだと思います。
 
 歩みを進めて、次は天国と地獄のレリーフ。上中下段と三段に別れるスタイルで、上から極楽界、裁定を待つものの世界、地獄と別々の世界が描かれてるんです。
 ここはレリーフもいいんですが、見ものは天井でしょうか。花の彫刻が一面に広がっているんです。天井の彫刻というのも謎ですね。作成途中のデバダーがいるくらいですから、建築後に彫刻が施されたと考えるのが普通ですが、それなら、こんなに高い天井一面に、誰がどれくらいの時間をかけてどんな体勢で彫ってたんだろう、という想像が膨らんできます。今なら、ステップ付きの昇降機、というんでしょうか、それなりの重機がいくらでもありますけど、当時は一つずつ足場を組んで作業したんでしょうかね。
 
 東側の面には「乳海攪拌」のレリーフがあります。ヴィシュヌ神の化身の大亀の上に乗る大マンダラ山を、神々と阿修羅が両側から引っ張ることで海中が掻き乱され、海が乳海となってその中からアプサラや神妃ラクシュミーが生まれ、最後に不死の妙薬「アムリタ」が出来たというカンボジアの創世神話です。力強い阿修羅の顔がいいですね。
 北側には、そのアムリタをめぐる神々と阿修羅の戦いが描かれています。本当に不死の薬なんてあったら大変でしょうね。医薬業界が…、いや、そんな現実的な話はやめておきましょう(笑)。
 次の通りへの角にはガルーダに乗るヴィシュヌ神があります。ガルーダとはご存知、東南アジアの神話で活躍する聖なる鳥でヴィシュヌ神の乗り物にもなってます。地元のおじさんたちがたむろする中で見物です。
 
 この回廊は直射日光こそ当たらないんですが、すごく暑いんです。いや、ここだけが暑いんじゃなくて地域的に暑いんですね。なんだか、ちょっと歩いては休憩してる、って感じがします。ペットボトルの水もかなり少なくなってきました。
 それもあってか、レリーフも最後の方は印象が薄くなってしまった感があるんですが、なんとかくるりと一周してきました。最後の印象が薄い云々の前に、もう頭ん中がいろんな「初めて」のものでオーバーヒートしてる、って言う方が正しいのかも知れませんね。暑さだけが理由ではないような気もします。
 
アンコールワットを背に記念撮影
 第一回廊から外に出て、西塔門テラスへと向かって歩きます。
 4時過ぎの日差しの下を歩いてるんですが、まだまだアンコール・ワットに向かってすれ違う観光客も多いですね。
 門を出てすぐのあたりから参道を右へとそれます。池の向こう側に屋台が並んでるんです。そこで飲料水の調達です。
 近付けば、嵐のように呼びかけの声が響きます。
「オニーサン、ツマイタイコーラ2ホン1ダロ」
「オネーサン、水、1ダル」
 屋台に用事のない客は通らない道ですから、「何か買いたいんだろう」と思われてますからね。みんな必死です。
 これだけ一斉に呼びかけられたら、どこかで止まるのが贔屓をしてるようで申し訳ないような気がするのは小心者なんでしょうね。とはいえ、水を買うべく適当な屋台に立ち寄って水を購入。2本1ドルとのことですが、1本購入です。この場合、当然0.5ドルとなるんですが、セントは全く流通してないようです。こういう場合は、たいてい1ドル=4000リエルで計算されるんで、0.5ドル=2000リエルとなります。財布から1000リエルを2枚取り出し、支払いました。僕にとって、初めてのリエルでの買い物です。
 ちなみに、厳密には1ドルが3900〜4000リエルの間で推移しているようで、今朝ホテルで両替をしてもらった時に受け取った札束も19000リエルでしたから、ちょっとだけ、損だったかな? という感じですね。
 池のほとりに沿って歩き、西塔門に近い側で休憩です。
 ここからは池を挟んでアンコール・ワットが見えますから、撮影スポットとしては有名な場所です。ここに立っていても、入れ代わり立ち代り観光客がやって来て記念写真を撮って去っていきます。
 有名な場所=商売になりやすい場所、というのは世界各国同じですね。さっきの屋台ももちろんそうですが、すぐそばに記念撮影用の馬がいます。アンコール・ワットをバックに馬に乗って記念撮影をどうぞ、という商売のようです。
 そんなのどかな風景を、アンコール・ワットを正面にして眺めながら、しばらく眺めてました。ブンニーさんとの約束の4時30分ももうすぐです。
 
 
  シェムリアップの街を歩く
 
 西塔門を越え、環濠にかかる参道を西塔門正面に向かって歩きます。
 正面を出ればすぐそばにバイタクの溜まり場があるんで、観光客を見つければ一斉に声がかかります。その近くにブンニーさんの姿を見つけました。合流して移動です。
 今朝の予定ではアンコール・ワットの後、プノン・バケンでサンセットを、ということだったんですが、
「今日は曇り空なんで、サンセットは見えないです」
 と。いや、そう言ってたようです。後で彼女から聞かされました (^^ゞ 。そうなんですよね、雨季のカンボジアでは、綺麗なサンセットが見られる日はごく僅かしかないんです。
 ちょっと残念ですが、明日以降にまわしましょう。
「ホテルに帰りますか?」
 と聞かれたんですが、その前にリコンファームをしたいんでバンコク・エアウェイズへ寄ってもらうことにしました。
 バンコクエアの営業所は国道6号線沿いの、シェムリアップ中心部から空港へ向かう途中にあります。
 数分走ったところで道路から脇へと入りました。バンコクエアの営業所です。見覚えのあるマークの入った旗が揺らめいてます。でも、活気がないんですね。
「あぁ、日曜日だから休みかな?」
 とか言いながらも、ちょっと待ってねと車を降りて行っちゃいました。しばらくして
「OK。どうぞ」
 と。案内された建物はお世辞にも大きいとは言えないですが(例えれば町の農協の支店くらいって感じでしょうか。例えに無理がありますね…)、中に入れば近代的な設備にちょっと驚いてしまいました。カウンターにはコンピュータの端末が並んでます。
 チケットとパスポートを渡せば、係員は必要事項をコンピュータ端末に入力し、しばらくしてからプリントアウトされた用紙をチケットの表紙にホッチキス止めして返してくれました。
 リコンファームも簡単なもんなんですね。というか、通常は電話でも済ませられるものですから、こんなもんなんでしょうか。ちなみにバンコクからのタイ国際航空の便のリコンファームはHISが代理で行ってくれるとのことですので、この「代理できない」ローカル性がいいですよね。なんとなく…。
 
 やや街の外れ、といった感のあるバンコクエアの営業所から中心部へと走り、反対側へと抜けていきます。この間、わずかに数分。シェムリアップの繁華街はほんとに小さいんです。もちろん、建物が見えなくなるほど外れまで行こうと思うと結構離れてます。一応国道6号線ですからね。
 
 ホテルに到着し、道路から敷地内へ。この部分も妙なんです。日本的発想で行けば、道路から敷地までは舗装してありそうなもんですが、ここは、道路は舗装、敷地内も舗装。なのに繋ぎ目が土のまま、なんです。
 敷地の片隅に車が止まり、ブンニーさんが降りて、後ろのドアを開けてくれました。その後で、
「明日は、何時に出発しますか?」
 と。この時になって、初めてクバール・スピアンへも行ってみたいということを伝えてみたんです。
 クバール・スピアンとはバンテアイ・スレイからさらに山奥へ10kmほど行ったところにある遺跡で、川の底に眠る遺跡なんです。といってもダム工事のために川底に沈んだ集落、とかではなく、川底の石に刻まれた遺跡なんですね。興味はあるものの、場所が遠いですし、ガイドブックには現地ガイドをつけないと危険であるようなことが書かれていたんで、そのあたりも心配だったんです。ブンニーさんなら、ダメならダメ、って言ってくれるだろう、という想いで聞いてみたんです。
 そしたら、手のひらで波を起こすようなジェスチャーをしながら、かなり道が悪い、というようなことを言われたんです。僕はその時てっきり、道が悪いから辞めた方がいいよ、ということかなと思ったんですが、最後まで聞けば、「very beautiful」なんだと。でも、悪い道を行くので10ドル上乗せの40ドルでね、ということらしいです。
 もともとバンテアイ・スレイだけで50ドルと考えていたので、40ドルなら安いもんです。で、
「何時に出発しますか?」
 の質問に戻ります。
「遠いから…」
 と言うので、じゃぁ8時かなぁ、と言えば、
「OK。それじゃ、明日の朝8時にね」
 と一発で了承です。早すぎたかな? という思いもあったんですが、観光は朝の涼しいうちにするのがいいね、と今日思ったばっかりですから、これでいいんでしょう。
 
 フロントへ行き、キーを受け取って部屋へと戻りました。
 今日のこれからの予定は、夕刻にご飯を食べに街に出る、というもの。その前に、明日の飲料水の調達を兼ねてガイドブックに載っていたスーパーへ寄ってみます。とりあえずは、それまで休憩ですね。
 
 その前に…。ユニットバスのドアを締め切り、カメラの中からフィルムを引き抜きます。ちょっとでも光が入ってしまえば今まで撮っていた写真がパーですから怖いんですが、使えないまま日本に持って帰るのも癪なんで、一か八かの挑戦です。暗室でフィルムケースをクルクルとまわし、何とかカメラからフィルムケースに収まりました。後は光が入っていないことを祈るだけです。
 これでカメラからエラー表示も消えました。新しいフィルムを装填して準備完了です。


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 日も沈み、窓の外も暗くなったんですが、外からは雨の降る音も聞こえてきます。実際に窓の外を見ると雨が降ってます。わりと激しく…。
 でも、空腹には勝てず、出発です。
 
 日も暮れて暗くなり、なおかつ雨の降っているシェムリアップの街を歩くのはかなり危険ですね。
 ここには街灯というものがないんです。国道沿いに歩いていて見える明かりといえば、建物から漏れる照明と車、バイクのヘッドライトくらいなもんです。おまけに、繁華街からやや外れてますから、みなさん飛ばしてますしね。気をつけて歩きましょう。
 
 国道6号線を西に向いて歩くと、アプサラ・ホテルという派手目な色使いのネオンが見えてきます。ここから先が、繁華街ですね。少し歩けば左右に屋台の並ぶストリートがあります。今日の夜はこの辺りで、と考えてるんですが、まずはスーパーマーケットです。
 ここで最初の信号。でも、何て言うんでしょうねぇ、信号で立ち止まればバイタクの兄ちゃんたちが寄ってきますし、立ち止まらなければ信号無視ですし(いやいや、法に従いましょうね)。
 
 シアヌーク・ヴィラを通り過ぎて少し歩けば、左手にガソリンスタンドが見えてきます。この敷地内にあるのがスター・マートというスーパーです。大きさはコンビニ程度ですね。店内は結構いろんなものが揃ってます。食料品から日用品まで、普通に生活するには十分なんじゃないでしょうか。
 ここで、水とオレンジジュースとビスケットを購入。水は0.5Lを2本と1.5Lを1本購入。0.5Lはリュックでの持ち歩き用に、大きいのは詰め替え用に、です。ジュースはパックの1Lサイズ。Made in Thailandです。ビスケットは空腹時の非常食用です。
 水も日本よりは安いですよね、必需品とあって。日本で売っている「どこそこのおいしい水」というのとは必要性の意味が違いますから…。
 レジのお姉さんに総額をドルで支払い。おつりには500リエルも入ってました。こういうお店では、きっちりとしてるんですね。
 おつりをもらう時に
「アリガトウゴザイマシタ」
 と。現地の人が対象のスーパーかと思えば、結構日本人もいらっしゃるようですね。
 
 スーパーのポリ袋を下げながら、まだ雨の続く街を歩いて屋台ゾーンへ。
 美味しそうな店(=はやっていて客の多い店)があれば入ろう、とやって来たんですが、雨が降っていることもあってか、どの屋台の入りもポツリポツリという感じです。
 通りの店を一通り眺めてみたんですが結論が出なかったんで、
「とりあえず初日だし…」
 と、それなりのレストランに入ろう、と方針変更。
 通りの奥にある「アルン」というお店に入ってみました。
 
 西洋人観光客もパラパラと席を埋めていて、人気のない店ではなさそうですね。
 室内とテラス席があったんですが、特に希望を聞かれるでもなくテラス席のテーブルに案内されました。持ってきてもらったメニューを眺めて、二人沈黙。
 国内旅行ですら、メニューを決めるのに時間をかける、というか時間のかかる二人ですから、ましてや出てくる料理の想像がつかないメニューを決めるのなんて時間がかかるに決まってます。
 「とりあえずはビールだよね」と、メニューにあった「アンコール・ビール」を注文。その後も必死でメニューの字を目で追ってます。あっ、もちろんメニューは英語とクメール語の併記ですからね、誤解のございませんように。
 頼んだビールが届いても、なおも考え中。でもって、そんなに時間をかける客だとは思ってもないですから、ビールの栓を抜いて行っちゃったんですね。普通なら、それがありがたいんですが…。
 あんまりにも時間をかけるもんですから、ウェイトレスがやってきました。こっちも決めるに決まらないんで、彼女が、
「どれが美味しいですか?」
 って聞いたんです。そしたら
「アモックがおすすめです」
 と。
 あ…、昼に食べちゃった…。ってことでまたもや振り出しに戻る。
 
 豚肉と「bamboo shoot」の炒め物、っていうのがあったんで、「これは何ですか?」って聞いてみたんです。そしたら、「バンブーシュート」としか言わないんですね。
「…バンブーシュートはご存知ないですか?」
 二人、顔を見合わせて
「知らないです」
 ちょっとだけ、怪訝そうな顔をしたような気がしますが、気になるメニューだったんで頼んでみることにしました。
 後、2皿ほど単品メニューをオーダーです。
 
 アンコール・ビールはラベルにアンコール・ワットのシルエットが描かれた、カンボジアの国産ビールです。さすがに輸入ビールと比べて安いですね。でも、美味しいです。まぁ、発泡酒とビールの区別がつかない人間ですから、何を飲んでも美味しいのかもしれませんが…。
 固焼きそば風(フライヌードル)の料理と海老のカレー煮と筍とポークの炒め物がテーブルに並んでます。
「…」
 皿に箸をつけながら、
「バンブーシュートって…」
「タケノコ?」
 ははぁ、そりゃ筍を知らない日本人はおかしいですわな。
 たけのこを知らなかったのではなく、英語を知らなかっただけです…。
 ちなみに、料理はどれも美味しかったですよ。
 
 食後にお勘定をお願いすると、フルーツの盛り合わせを持ってきてくれました。頼んではないので、手をつけるのを躊躇してたんです。で、おつりを持ってきてくれたウェイトレスに、
「これは、(お勘定に)含まれてるんですか?」
 と聞けば、笑顔で
「そうですよ」
 と。それにしても、クメール人の女性は綺麗な人が多いですよね。笑顔がとても素敵でした。
 
 盛られていたフルーツの中でも特に興味が湧いたのが竜眼です。なかなか日本では口にする機会もないもんですからね。ゴワゴワした皮の中にあるつるっとした果肉との対比が新鮮です。
 他にはパイナップルやモンキーバナナが…。サービスとはいえ、デザートを食べる前で既に満腹だったんで、もう十分過ぎます。
 これで二人分合わせて10ドル前後なんですから、食に関しては非常に安いですよね。
 
 お店を出ました。
 雨もやみ、路面に照らされるヘッドライトの灯りを眺めながら国道6号線を歩きます。
 
 ホテルに戻り、シャワーを浴びます。脱いだTシャツの首周りには、汗で出来た塩分が白く残ってました。大量に汗をかきましたからね。温かいシャワーは今日一日で焼けた両腕と首筋とをヒリヒリさせ、痛く感じました。腕時計の跡もクッキリと見えます。やっぱり日焼け止めはしっかり塗っておかないとダメですね。
 
 ベッドは疲れた体を包み込むように、優しく夢の中に誘いました。
 というわけで長かった1日も終わりです。明日はシェムリアップ郊外のバンテアイ・スレイとクバール・スピアン。早起きをしなきゃいけないですけど楽しみです。

3日目へ続く

(2002年夏・カンボジア 2日目・終わり)

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